
エムスリー株式会社 取締役CPO/CAIO
エムスリーテクノロジーズ株式会社代表取締役
山崎聡
大学院博士課程中退後、ベンチャー企業、フリーランスを経て、2006年、臨床研究を手がけるメビックスに入社。2009年、メビックスのエムスリーグループ入り以降、エムスリーグループ内で主にプロダクトマネジメントを担当する。2017年からVPoE。2018年からエムスリー執行役員。2020年からはエンジニアリンググループに加えて、マルチデバイスプラットフォームグループとデザイングループも統括。2020年CDO、2022年CTO兼VPoP。2023年から取締役。2024年エムスリーテクノロジーズ株式会社代表取締役。2025年より現職。
組織を拡大させ、事業を成長させていく上で、「権限委譲」は大切なテーマです。特定のリーダーが権限を持ち続ければ、その個人のキャパシティが組織のボトルネックとなり、いずれ停滞を余儀なくされるからです。
エムスリーのVPoEやCDO、CTO、VPoPといった数々の重要ポストを歴任し、現在CPOとCAIO(Chief AI Officer)を兼任する山崎聡氏は、まさに権限委譲を戦略的に実践し続けてきた人物です。
1つの領域で成果を出しては仕組みを整え、後任へ役割を託し、自らはまた新たな領域の開拓へと向かう——。山崎氏が繰り返してきたこの継承のサイクルは、エムスリーのプロダクト開発組織を進化させてきた原動力でした。
今回は、山崎氏が実践する権限委譲のノウハウを深掘り。組織を停滞させず、次世代のリーダーを育てるための手法に迫ります。
自らのキャパシティを、組織の限界にしないための権限委譲
――山崎さんはこれまで、VPoEやCDO、CTO、VPoPといった重要な役割を次々と後任へ委ねてこられました。権限委譲を重視されてきた理由を教えてください。
山崎:私の根本には、「世の中に大きなインパクトを与えるプロダクトを、1つでも多く生み出したい」という思いがあります。ユーザーが喉から手が出るほど欲しがるものをつくり、喜んでもらうことが大事です。特に、エムスリーが関与している医療の領域において、優れたプロダクトを届けることは、そのまま社会貢献に直結します。
その理想を実現するためには、エンジニアリングだけを極めても不十分です。エンジニアリング、デザイン、QA、そしてプロダクトマネジメント。私はこれら「プロダクト開発の4大職種」すべてを底上げしたいというモチベーションを持っていました。
しかし、これらすべてをひとりで一度にテコ入れすることは不可能です。そのため、まずは自分が最も得意とするエンジニアリング領域から着手し、VPoEとして組織の土台を整えるところから始めました。そこからプロダクトマネジメントやデザインなどへと、徐々に役割を広げていったのです。

――山崎さん自身が複数の領域を横断的に担いながら、体制を構築していったのですね。
山崎:はい。そして、こうした重要なポジションを私ひとりがずっと抱えたままでは、組織は停滞してしまいます。だからこそ私は、皆と協力して実績をつくり、仕組みを整えたら、その役割を他の人に引き継ぐことを意識してきました。このサイクルを回し、重要な役割を担える人間を組織の中に少しずつ増やしていきました。
事業と個人の成長を両立させる「チャレンジマネジメント」の要諦
――後任へ権限を委ねるには、それを担える優秀な人材の存在が不可欠です。エムスリーは優秀な層が厚い企業として知られていますが、なぜこれほど強いメンバーを採用できているのでしょうか?
山崎:ポイントはいくつかありますが、1つは明確なビジョンがあることです。IRなどでも説明していますが、私たちには「サグラダファミリアマップ」という成長地図があります。このマップは、縦軸に事業領域、横軸に展開する国や地域をとっています。長い年月をかけて、広大なマップの未踏領域を埋めていくのです。
この世界観をビジョンとして示せていることが、優秀な層に響く一番の要因だと思います。「ここなら自分の能力を発揮する先がいくらでもある」と感じてもらえるわけです。
もう1つは、「ポジションありき」の採用をしないことです。多くの企業では、まず空いているポジションがあり、その要件に当てはまる人を探す手法をとっています。しかし、エムスリーでそうしたやり方は稀です。私たちは、まず優秀な人を探します。その人が最も高いパフォーマンスを発揮でき、かつ当事者意識を持てるポジションを後から当てはめていきます。
――社内の育成についても伺います。次世代のリーダーを育てる上で、特に心がけていることはありますか?
山崎:私たちは、採用・育成・定着(リテンション)をワンセットで考えています。優秀な人を採用し、その人に実力を発揮してもらい、ここで働き続けたいと感じてもらう。そこで重要になるのが「チャレンジマネジメント」という考え方です。会社で働くすべての人に、挑戦の機会を提供し続けることを重視しています。本人が成長でき、かつ事業も伸びるというWin・Winの状態をつくることが肝要だと捉えています。

――どのような仕組みで、チャレンジを管理されているのでしょうか?
山崎:まず組織構造からお話しすると、エムスリーのエンジニアリング組織は階層が少なく、大きく分けて4層しかありません。
一番下がメンバー。次がチームリーダーですが、この役割は実質的に「小さなスタートアップのCTOやVPoE」に近いものです。平均5〜6名のチームを率い、技術選定から事業成果の達成まで一貫して責任を持ちます。その上が組織全体を見るゼネラルマネージャー、そして私たちのような役員層です。
この体制において、チームリーダー以上の人は、自身が管轄するメンバーのチャレンジマネジメントを担います。具体的には「個々人の状況確認」と「チャレンジのストック」という2つのアプローチを並行して行っています。
前者では、今の仕事に慣れてチャレンジ不足に陥っているメンバーがいないか、一人ひとりの状況を細かく確認します。挑戦がなければ成長は止まり、離職のリスクも高まるからです。後者では、事業側で解決すべき課題や達成すべき目標を常に棚卸しし、ストックしておきます。このストックと個人の意向を合致させていくのです。
この際には、本人のWillを必ず尊重します。無理やり役割を押し付けることはまずありません。「今の状況であれば、この役割を担うことがあなたにとってプラスの挑戦になると思うけれど、どうですか」と対話することを心がけています。
そして、エンジニアリング組織全体でこの仕組みが適切に回っているかを、定例ミーティングですべてチェックしています。最近では、この取り組みがビジネスサイドにも展開され、会社全体の文化になりつつありますね。
リーダーを孤独にさせない。過去の苦い経験ふまえ、複数リーダー制に込めた思い
――権限委譲やマネジメント体制の構築において、あえて過去の失敗談を挙げるとすれば、どのようなエピソードがありますか?
山崎:1つ挙げるなら、マネジメントの役割を1人に集中させていた時期の苦い経験です。以前は、原則各チームにリーダーは1人で、そのチームの全責任を担ってもらうというやり方をとっていました。
しかし、その方法だとリーダーがどうしても孤独になってしまうのです。常に1人で悩み、プレッシャーを抱えながらマネジメントを続けるうちに、疲弊して離職してしまうケースが重なりました。チームリーダーを務めるような層は特に優秀ですから、その退職は組織として甚大なダメージでした。
その失敗を踏まえ、1つのチームに複数のリーダーを置く体制を導入しました。例えばCTOタイプとVPoEタイプの2人をセットでアサインし、協力してチーム運営にあたってもらう形式です。
この体制にしてからリーダーの離職は目に見えて減り、ビジネス成果も圧倒的に安定するようになりました。孤独にせず、強みを補完し合うチームでマネジメントを担うことの重要性を痛感しましたね。
――CTOとVPoEというキーワードといえば、2026年3月にCTOの大垣慶介さんとVPoEの河合俊典さんが、新たに業務執行役員に就任されました。これも組織として大きな変化だったのではないでしょうか?
山崎:今回、大垣と河合を業務執行役員に指名したのも、彼らに対するチャレンジマネジメントの結果です。と同時に、これは私自身のチャレンジマネジメントでもあります。権限を委ねるという行為は、任せる側と任される側の双方にとって大きな挑戦になるからです。お互いにとっての挑戦が、今回の就任という形になりました。

――エンジニアリング組織出身のメンバーが経営層に加わることは、エムスリーにとってどのようなプラスがあるとお考えですか?
山崎:エムスリーは今後さらに優れたプロダクトを次々と生み出し、育てていく必要があります。そのためには、プロダクト開発、特にAIのコンテキストを理解した強いリーダーが、経営の意思決定に関わっていくことが不可欠です。プロダクトカンパニーとしてより強くなっていく上で、今回の体制強化は大きな意義を持つと考えています。
マネジメントの本質は「経営」にあり。より大きな価値を生む組織へ
――読者の中で、チャレンジマネジメントの仕組みを取り入れたいと考える方もいるかもしれません。もし、こうした仕組みが全くない組織の場合、何から着手すべきでしょうか?
山崎:まずは、チャレンジの内容を「事業で成果を出す」という軸で定めるのが大事です。うまくいっていないエンジニアリング組織でよく見られるのが、ビジネス側とエンジニア側のやりたいことが対立している構図です。たとえば、エンジニア側は長期的なリファクタリングをしたいけれど、ビジネス側からは機能開発を優先してほしいと言われるような状況ですね。
ですが、エンジニアリング組織が事業やプロダクトのことを真に考え抜けば、ビジネス成果とエンジニアリング的なやりがいは高いレベルで両立できます。そして、事業価値に直結する成果を出し続けていれば、リファクタリングのような間接的な取り組みも、次第に認められるようになっていくものです。
これはエンジニアリングだけでなく、デザインやQA、プロダクトマネジメントでも全く同じです。まずはビジネスに直接貢献し、成果を出すところから順にやっていくべきだと思います。
――最後に、優秀なメンバーを採用・育成しながら権限を委譲し、組織を強くすることの意義について、読者の方々へメッセージをお願いします。
山崎:よく、マネジメントは「管理」と訳されることがありますが、私は不適切だと考えています。マネジメントの本質は「経営」そのものです。何をすれば経営的にプラスになるのかを考え、会社と組織がともに成長できるようにする。これがポイントです。
そして、経営に寄与する成果を出すには、多種多様な手段があります。良いプロダクトをつくることも、優秀な人を採用・育成し、その人が挑戦できる仕事にアサインし続けることも、その手段です。権限を適切に委ねて組織として戦える状態をつくっていくのは、会社がより大きな価値を生み出すために、有効な施策だと考えています。

取材:中薗昴、池田恵実、鹿野水月
執筆:中薗昴
編集:池田恵実
撮影:山辺恵美子
