採算取れずとも目新しいサービスが続々登場。中国IT巨頭テンセントの公益事業への挑戦

2023年7月31日

中国アジアITライター

山谷 剛史

1976年生まれ、東京都出身。2002年より中国やアジア地域のITトレンドについて執筆。中国IT業界記事、中国流行記事、中国製品レビュー記事を主に執筆。著書に『中国のITは新型コロナウイルスにどのように反撃したのか?』(星海社新書)『中国のインターネット史 ワールドワイドウェブからの独立』(星海社新書)『新しい中国人 ネットで団結する若者たち』(ソフトバンククリエイティブ)など。

公益事業、その響きがつまらなく聞こえるかもしれない。社会問題の解決に向けたものであり、それで儲けることも難しい。ただ、課題解決にフォーカスしたプロダクトだからこそ、目新しいクリエイティブが多いことは特筆に値する。中国のネット巨頭テンセントが行う公益事業からいくつかの具体的な事例を紹介しよう。

中国IT企業のガリバー・テンセント(騰訊)の近年の動き

テンセントは、BAT※と言われる企業の中で、あるいはあらゆる中国ネット企業の中で圧倒的にトップとなった企業だ。

※中国のIT業界で大きな影響力をもつ「百度(バイドゥ)」「阿里巴巴集団(アリババ )」「騰訊(テンセント)」の3社の頭文字を取った名前

テンセントといえば、SNSの「WeChat(微信/ウィチャット)」、それに付随する「WeChat Pay」を代表とする金融事業に加え、ゲーム事業、コンテンツ事業が知られている。さらに、ビジネス向けではテンセントクラウドを運営し、パブリッククラウドにおいてアリババ(32.6%)、ファーウェイ(13.0%)、チャイナテレコム(11.8%)に続く、9.2%のシェアを獲得している(IDC調べ。2022年下半期)。そしてテンセントクラウドを活用したAI事業にも多額の投資を行っている。

アリババやバイドゥ、ファーウェイなど他の企業もAI事業を開始しているなか、テンセントのクラウドサービス及びスマート産業事業グループのCEOである湯道生氏は、同社のAIモデル発表会において次のようにコメントしている。

「企業が必要としているのは業界固有の垂直モデルであると考えています。企業は独自のデータを使用して業界モデルをトレーニングし、微調整することで、より実践的なサービスを提供できるモデルです」

汎用的なものは作成自体が大変で、かつそれが正しく動くかどうかも導入企業としては検証が必要だ。そこでテンセントクラウドは金融、文化観光、政府事務、メディア、教育など10の主要産業をカバーするモデルと、50以上のソリューションを発表した。

一方テンセントのAI事業の活用先として「公益事業」も視野に入れている。同社は2年前に「SSV(持続可能な社会価値ビジネスユニット)」を設立。「2022年第4四半期および年次財務報告書」によれば、AIとクラウドインフラストラクチャの構築に多額の投資を行っていることが掲載されている。このほか産業品質検査やインテリジェント製造、医療などの産業シナリオのほか、高齢者ケアや生物多様性保護や農業などの社会分野においてのAIの導入を進めていると記されている。

▲テンセントSSVが展開する事業

公益事業というのは、例えば貧しい農村の支援や自然再生、老人をサポートするといった社会問題の解決を目指すもので、こうした事業へのクラウドやAIの導入に積極的だ。他のIT企業も公益事業をやってはいるが、一番積極的に行っているのがテンセントだといえるであろう。

老人の聴覚障害対策にAIやミニプログラムを活用

聴覚障害がある中国の高齢者の補聴器装着率はわずか約6.5%と低い数値になっている。その理由として、聴力検査を高齢者が自主的に行わない、聴力に関する知識がない、一定以上の品質の補聴器が高いという理由がある。そのため、難聴になってから難聴だと診断されて対策をとるまで、数年から数十年かかることがよくあるという。

そうした老人向けの聴覚障害対策として、テンセントSSVの老人向け部署「銀髪科学技術研究所」は、聴覚自主検査と聴覚について知るコンテンツを統合した聴力検査用のミニプログラムを発表した。これにより、いつでもどこでも高齢者は家から出ずに比較的静かな場所で聴力の検査ができるようになる。SSVが設立した銀髪科技実験室の担当者は、「この聴覚検査ミニプログラムは、聴覚障害のある高齢者の聴覚を妨げている原因を見つけ、対策を取れるように支援することを目的にリリースした」と語る。

加えて補聴器もリリースした。中国のWeb会議サービスで、今最も人気になっている「テンセントミーティング(騰訊会議)」傘下の天籟実験室(TEA Lab)と、補聴器メーカーの智听科技(Eartech)が協力。1万元(日本円で約20万円)はする補聴器と同等の性能のAI補聴器「天籟inside補聴器」を約 3,000元(クーポン適用時の価格。日本円で約6万円)でリリースした。(その一部は聴覚障がい者に寄贈している)

「3000元の製品だが1万元相当の機能」と訴える同作品だが、天籟実験室はWeb会議向けに積み重ねた研究が補聴器に活用されるとあって、その言葉に嘘偽りはなさそうだ。

▲天籟inside補聴器の商品図

ただ補聴器がリリースされ、プログラムがリリースされたからといって、突然多くの老人が利用するという都合のいい話はない。そこで大都市を中心に、テンセントは「小区」「社区」と呼ばれる大規模団地の広場で聴力検査ミニプログラムと補聴器を体験できるオフラインスペースを設けた。また、若い家族が聴力検査ミニプログラムリリースを知り、オンライン通話や里帰りの際に老いた家族にAI補聴器の使い方を教えることもあるだろう。

▲テンセントSSVが開発した老人向け見守りデバイス高齢者のソリューションとしては他にも徘徊対策として場所を把握し遠方にいかせないための製品などをリリースしている。

農村の発展にWeChatのミニプログラム(微信小程序)を応用

テンセントSSVには「為村発展実験室」という農村の発展に携わる部署がある。カネやモノを与えるのはあくまで一時的な処置に過ぎない。そのため、恒久的に発展できる農村向けのサービス開発を模索している。

中国のネットサービスは全国民に向けてサービスをリリースしているが、実のところは都市住民のライフスタイルにあわせたもので、それが農村でも使えるというのが多くのネットサービスの実情だ。中国の農村部は5億人の人口を抱えるが、都市部とは状況が異なりすぎてしばしばネットサービスと実情のアンマッチが発生する。例えば農村部には多くの働き盛りの人が都市部に出稼ぎに行くため、村の問題について働き盛りの村民の声を聞かずに運営するという都市部との違いがある。

同実験室はWeChatのミニプログラムで稼働する、全村民参加型の交流ツールを開発した。これまでの村の自治では村と人々の会話で記録をちゃんと行わず、議事録の引き継ぎも行われないケースもよくあった。そこで、あらゆる村民が村への提案を出すことができて、村側が回答するといった一連のやりとりをクラウドで記録するツールを用意した。一見するとWeChatのグループチャットでもできそうだが、大きな違いは記録して保存し続けることが特徴の製品である点だ。

▲各農村の政務窓口に特化したWeChatミニプログラム

多くの村民は一年中他の場所に住んでいて、故郷に長い間戻れない人もいる。故郷を思い懐かしみ、故郷の発展のために提案したいと考えている人も多くいる。そうした人々からの意見も拾えるよう、村の主要な問題について話し合ったり、投票したりするのに役立つデジタルプラットフォームを開発したのである。このWeChatのミニプログラムで動く「村レベルの管理プラットフォーム」は中国各省の3万4000もの村で導入され、455万人以上の村民がサービスを利用するまでに普及した。

加えてテンセントは、アリペイのアントの信用スコア「芝麻信用」のような村の信用システムを開発した。各人の登録された信用情報や善行を点数化し、所有スコアが高ければ、地元銀行のローンの金利がスコアに応じて下がる仕組みだ。四川省徳陽市下の広漢市の村では村民のスコアが100点 上がるごとに、融資金利が0.1%引き下げられる仕組みに。これまで対象となった広漢農村商業銀行は、村民に信用融資を行う前に村に出向いて社会評価調査を行う必要があったが、ポイント制度の導入により調査費用が大幅に削減された。村民と銀行それぞれにメリットがあるわけだ。

▲テンセントによる桂林の農村部の貧困対象者保険「振興保」

農村向けソリューションでは他にも、村の医者が医療器具が限られている中で診察を行い、その診察結果を医者が入力して診断結果を村人に送る村の医者向けのクラウドサービスや、貧困ラインを下回った農民に向けた低価格なネット保険をリリースしている。

さらにテンセントの公益への取り組みとして、テンセントクラウドを活用したクラウドサービス開発コンテスト「騰訊Light公益創新挑戦賽」を開催。3回目となる今年は「未成年者のメンタルヘルス」「高齢者のインターネットの安全性」「生物多様性の保護」の3テーマでクラウドを活用したソリューションを募り、多くのチームが参加した。

今回はテンセントの公益事業によるサービスの一部を紹介した。IT企業の中でトップとなったテンセントは、中国政府の意向も大きく踏まえながら自社が研究開発した様々なテクノロジーを組み合わせ、採算性を無視した弱者のためのサービスを今後もリリースしていくだろう。

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