2021年10月18日
合同会社エンジニアリングマネージメント 社長 兼 流しのEM
2000年より慶應義塾大学村井純教授に師事。動画転送、P2Pなどの基礎研究や受託開発に取り組みつつ大学教員を目指す。博士課程(政策・メディア)修了。その後高学歴ワーキングプアを経て、2012年に株式会社ネットマーケティング入社。マッチングサービス SRE・リクルーター・情シス部長・上場などを担当。2018年にレバレジーズ株式会社入社。開発部長、レバテック技術顧問としてエージェント教育・採用セミナー講師などを担当。2020年より株式会社LIGに参画。海外拠点EM、PjM、エンジニア採用・組織改善コンサルなどを担当。現在は合同会社エンジニアリングマネージメント社長 兼 流しのEMとして活動中。X(@makaibito)
まず最初に、過去と現在のスタートアップにおける採用事情の違いについてお話します。
2010年代中盤までのスタートアップ採用は、待遇などを大きくは提示できず、残業時間も長く労働環境も決して自慢できるようなものではありませんでした。そのため、当時の採用戦略としては
・夢と希望
・事業の社会的意義
・いくばくかのストックオプション
の3点で訴求していくというスタイルが王道でした。
上記3点に自信がある採用責任者だと、前職と据え置きの年収を提示したり、大手企業から来た場合は低く提示したり、競合他社よりも低い年収を提示したりできていました。むしろ年収を積み上げないほうが入社後に定着する、成長してくれる、活躍してくれると信じている方もいらっしゃいました。それでもきちんと経験者採用ができていた時代でした。
スタートアップ界隈の採用が変わり始めたのは2018年頃からではなかったかと思います。
一般財団法人ベンチャーエンタープライズセンター発表の「2020年度ベンチャーキャピタル等投資動向速報」によると、日本国内の投資総額は2017年度の1,362億円に対し2018年度は1,706億円、2019年度は2,172億円と大きく増加しています。コロナ禍の影響で2020年度こそ縮小しましたものの、それでも1,604億円を記録しており2017年度を越える投資が行われています。
資金調達がしやすくなったことがスタートアップの採用を後押ししているだけではないと考えています。以前は調達した資金の使い道として「オフィス」を挙げるスタートアップは多々ありました。IT企業専門の内装工事業者も複数存在し、次々とガラス張りで透明性の高いオフィスが誕生していきました。私も情シス時代に専門の内装工事業者と密にやりとりをしたりした経験があります。綺麗なオフィスは経営者が憧れるマイルストーンの一つであり、デザイナーや新卒を中心に訴求できるポイントではありました。
しかしコロナ禍によりリモートワークの導入が後押しされ、オフィスを最小限にしても体面が保たれるようになると、オフィス施工代金がエンジニアの提示給与に回されたような傾向があります。事実、シード期スタートアップであっても、相場を越えてオファーするようになってきました。私も直近で何度か経験しましたが、内定後のオファー金額がみるみる上がり、現年収の1.25倍に到達した話がいくつかあったくらいです。興味深いのはオファー合戦に最後まで残った企業でした。創業からある程度年数を重ねたベンチャーから順に脱落し、残った企業はスタートアップのみという状態だったのです。
エンジニア側からしても待遇への不満がなくなったシード期は、下記のような理由で魅力があります。
・自分の意志で技術選定ができる
・自分で思うようにシステム設計ができる
・(ゼロに近いところからスタートするため)技術的負債から脱却できる
※参考「Seed期スタートアップがITエンジニア採用で強い理由と、新卒採用戦略の反省」
そんな注目の集まるスタートアップですが、次に実際に働く際の注意点についてお話していきます。
まず理解する必要があるのは、現在働いている企業と、行き先のスタートアップ事業・企業のフェーズの違いです。事業・企業のフェーズを0→1, 1→10, 10→100に分けてご紹介します。
シード期スタートアップが該当します。売り物がまだ確立されていない状態です。一刻も早くプロダクトをローンチし、社会に需要を問い、試行錯誤することが求められます。
多少セキュリティには気をつける必要がありますが、ソースコードの可読性やスケールなどは優先順位として低い傾向にあり、とにかく事業を前に進めるためにリリースを最優先する必要があります。ソースコードの品質にこだわり過ぎてリリース前にリファクタリングを繰り返し、結局のところリリースされなかったプロダクトも知っていますが、これはワーストケースです。
事業立ち上げ初期のため、多くの場合ガムシャラに働くことが求められます。残業することもあれば、時間外に働くこともあるでしょう。それに伴う残業手当や労務面でのフォローは組織として未熟なため、手薄になってしまうことも多いです。「残業しない主義」とか言える空気ではありません。
社員も揃っていないため、エンジニアとして特定の守備範囲だけやっていれば良いということは少なく、必然的にフロントエンド、サーバサイド、インフラなど幅広く担当する機会が訪れます。それだけでなく、情シスや採用といったような周辺業務を手掛ける必要もあるでしょう。
サービスが当たり、企業を支える収益の柱として価値が出てきた頃合いです。ユーザーもある程度ついてくるとシステムに責任が発生します。スケーラビリティやロバストネスが求められ始めます。そして知名度が出てきたことにより、サイバー攻撃にも日常的に遭遇する頃合いなので、セキュリティも必要です。
ガムシャラに守備範囲を拡げていた0→1フェーズとは違い、専門性が問われ始めます。何かしらの技術的な強みを設定した上で、それ以外のところを新規に加わった得意なエンジニアに譲り始めていく頃合いです。
EXIT、いわゆる上場やM&Aが見えてくる頃合いです。システムの責任はより強くなり、サービスダウンなどは許容されなくなります。
1人のエンジニアが多様な役割をこなす守備範囲の広い働き方は「代替が効かない働き方」と見なされます。言うなれば「持ち場を守る行動」が推奨されます。フロントエンド、サーバサイド、インフラなど役割は細分化され、各々に責任が発生することが多いです。また、労働時間が管理され、長時間働くことは歓迎されなくなります。
事業が0→1、1→10、10→100と成長した際、求められる働き方が異なるため柔軟に対応していく必要があります。このフェーズのギャップは大きく、ついていけない人は多いですし、フェーズが変わった先で面白みを感じなくなって去る人も多いです。
転職で異なるフェーズへ参入するときはさらに注意が必要です。10→100で特定領域を守っていた人が、積極的に仕事を巻き取る必要がある0→1に行くと「大手から来た動きの悪い人」認定さことも少なくありません。結果として居心地が悪くなり、元の企業に戻ったり、元の企業サイズの他社に転職する人もいるようです。
スタートアップに行く方の中に、0→1に関わることができること、設計・技術選定から任されることに魅力を感じて参入する方は多いのです。しかし中には、エンジニアにもかかわらず事業への共感が求められることに戸惑う方も一定数います。。
例えば私がいた自社サービス事業では、1→10の途中くらいまでは最終面接までにアプリケーションを触り、エンジニアの視点から意見することが求められていました。
特にSIerなどから移る方に多いのですが、「事業の提案から関わりたい」と転職したものの、何も言えずに数年が経過してしまうことがあります。ここで注意すべきなのは、「事業への提案」は「事業内容への意見・感想・文句」ではないことです。ただ単に企画部門の指示に従って実装するだけでなく、事業への興味、共感、そしてエンジニアならではの視点も加味された事業に直結する建設的な意見が求められます。
さらに、構成メンバーの少ない0→1のフェーズでは、自社事業への共感だけでなく業界全体に興味を持たなければなりません。自社事業の立ち位置を理解し、何が足りていないのかを認識する必要があります。競合他社のリサーチや、業界全体の流れについてエンジニア自身も知り、今後求められそうな施策や機能、トレンドなどを企画部門に提案する姿勢が必要です。
10→100フェーズから来た方や、SIerやSESから来た方に起きがちな問題ですが、指示を待ってしまうというところがあります。人材が潤沢なわけではいない0→1のフェーズでは企画者が十分にいないことも多く、待っているだけでは仕事がこないケースは多々あります。
スタートアップ企業の中でも特にエンジニア採用に慣れていない企業では、大枚をはたいてエンジニアを採用したものの、意思疎通に難しさを感じるという話も耳にします。この原因は多くの場合、違うフェーズにいたエンジニアを採用してしまったことにあります。積極的に仕事を自分でつくることに慣れていないが故に「仲間ではなくお客様のようだ」と持て余すことがあるようです。
0→1フェーズでは、例えばディレクターが抱く漠然としたイメージを言語化し、要件定義し、設計に落としていくスキルが求められます。ある程度のサイズに成長すればこれらの工程はディレクターやプロジェクトマネージャーが担当し専門家に譲るものですが、スタートアップにはそんな細分化されたポジションがないケースも多いので歩み寄りが必要です。
私がいた自社サービス事業では、エンジニアが企画職を交えてサービスディスカッションをする時間がありました。事業の方向性をエンジニア自身が本質的に理解した上で能動的に提案する姿勢が求められるのです。
経営層が技術に明るくない場合や、超初期メンバーになった場合、技術選定は丸ごとエンジニアに任せてもらえる状態になります。エンジニアにとってそれは嬉しいことである反面、よくやってしまうパターンとして、手慣れた技術は横において、ここぞとばかりに使ってみたかった最新の技術を選定することです。
最新の技術なのでドキュメントがない、事例がない、質問もできない。その上、大型アップデートが突然起きるといった事態にも陥りやすい。その結果、プロジェクトは思ったように進捗せず、遅れがちになります。進捗に問題があると、痺れを切らした経営層はフリーランスやSESを投入したいとなるのですが、選定された尖った技術ができる人材は市場にそうはいません。
結果、初期メンバーのままでリリースまで完走しなければならないことすらあります。事業全体からすると、実装完了するまでエンジニアが立ち往生しているように見えてしまいます。意気揚々と「◯月までにリリースするので」と、契約に駆けずり回った営業は、幾度となくリリース日の修整にお詫び行脚に奔走しなければなりません。
技術的な挑戦をするのは無事リリースができて、事業が成長し1→10フェーズに落ち着いたタイミングで初めてトライするのが無難でしょう。
0→1のフェーズでは、当該サービスのポテンシャルは未知数です。もしかしたら需要はないかもしれません。ベンチャーキャピタルからのプレッシャーもあります。
早くリリースして当該サービスの需要がどの程度なのか、ユーザーの声に合わせて何をいじるべきなのかをスムーズに計画しなければなりません。プログラムの構造の一部が気に食わなくて、リリース前からリファクタリングをしているケースを見たことがありますが、これは論外です。
スタートアップの会社さんの話を聞いていると、どういうわけかドキュメントがないケースが多々あります。ドキュメントを書かないのが美徳と思っているプロジェクトもあるようです。気心の知れた仲間うちだけでサークルのように開発しているうちは上手く回るかも知れませんが、開発速度をはやめるために増員したいというステークホルダーの前では、ボトルネックでしかありません。
早期からドキュメントを残すことを意識しないと、後からのドキュメント整備は溜め込んだ宿題のように憂鬱な作業となってしまいます。
スタートアップ企業では働き方の違いから、プロダクトの開発状況によっては残業や休日出勤などが必要なケースは多々あります。先に述べたように労務面などの整備はこれからです。
最後にお伝えしたいポイントは心身の健康にくれぐれも気をつけてほしいということです。
シード期スタートアップについて例えるなら、私は学園祭実行委員のようだと表現します。締め切りに向けてチーム一丸となって喧々諤々の議論をしながら進めて仕上げていく様は熱狂的であり、人生にそう何度も経験できるものではありません。
しかし楽しさの反面、当初想定していた領域外の業務を担当することになったり、長時間労働に繋がるようなことはある程度受け入れなければならないのも事実です。シード期スタートアップにジョインすることで自分自身が何を提供でき、自身が求める何が得られるのかをきちんと整理してから挑むようにしましょう。
参考記事
一般財団法人ベンチャーエンタープライズセンター「2020年度ベンチャーキャピタル等投資動向速報」
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