アップルが断念した「AirPower」に「自立できる」自転車。3Dプリンターと動画サイトが生んだ次世代開発者と拓く、モノのアジャイル開発ができる時代

2022年8月16日

ITジャーナリスト

牧野 武文(まきの たけふみ)

生活とテクノロジー、ビジネスの関係を考えるITジャーナリスト、中国テックウォッチャー。著書に「Googleの正体」(マイコミ新書)、「任天堂ノスタルジー・横井軍平とその時代」(角川新書)など。

3Dプリンターの普及は、蒸気機関、半導体に続く「第3の産業革命」だと言う人もいる。なぜなら、たった1人でも世界を変える発明・開発ができるようになるからだ。その発明を世界に広げるためのSNS、量産資金を調達するためのクラウドファンディングなどの環境も整っている。このように1人でアイディアを形にする開発者を「メイカー」と呼び、いまや世界中で第3の産業革命が起きようとしている。

中国では、1人で開発を行いそれを「bilibili(ビリビリ)」などの動画共有サイトで公開することで収益化を図るという、開発エンターテイナーのような人たちが現れ始めている。その中で話題になっているのが、アップルが開発を放棄した充電パッドAirPowerのコンセプトを、より素晴らしい充電デスクAirDeskとして開発した何同学(フートンシュエ)と、ジャイロ効果による自立して倒れない自転車を開発した稚暉君(ジーホイジュン)の2人だ。

開発をエンターテイメントにしてしまうメイカーたち

中国のメイカーたちは、開発をエンターテイメントにしている。開発のプロセスを動画にまとめ、ビリビリなどで公開し、多くのファンを獲得し、投げ銭やタイアップ、広告などで次の開発資金を稼いでいる。

その中でも人気なのが、ビリビリで951万人(2022年7月現在)のファンを獲得している何同学だ。北京郵電大学の学生である何同学は、大のアップルファンで、MacBookiPadに関する動画を公開し、多くのファンを獲得した。その人気ぶりは、アップルのティム・クックCEOの目にも留まり、20分のリモート対談まで行っている。この中で、ティム・クックCEOは「iPhone・iPadのQRコード対応やナイトモードは中国のユーザーからのフィードバックに応えたもの」と語り、中国のアップルユーザーを大いに喜ばせた。

▲アップルのティム・クックCEOと20分間のリモート対談を行った何同学。ビリビリのアップルデバイス系人気配信主だとは言え、一介の大学生であったため多くの人が驚いた

アップルが開発を断念したAirPowerを超えるAirDesk

そんな何同学は、メイカーとして、アイディアあふれるプロダクトの開発動画も公開している。その中でも傑作として2000万回以上再生されているのがAirDesk。ワイヤレス充電に対応した作業デスクだ。

開発のきっかけは、ワイヤレス充電パッドの使い勝手の悪さだった。デバイスを置くだけで充電ができる充電パッドは、意外にも置く位置がシビアで、少しずれただけで充電が始まってくれない。この問題を解決するために、アップルは2017年の9月、同時に3台までの充電ができる充電パッドAirPowerの製品化を発表した。

このAirPowerは、パッドのどこの位置に置いても充電ができるというものだが、その仕組みは荒技ともいえるもので、小さな充電コイルを大量に敷き詰めるというものだった。結局、この構造による発熱問題が解決できず、20193月に製品化を断念している。アップルファンである何同学は落胆した。そして、アップルがつくらないなら自分でつくろうと決意して、AirDeskの開発が始まった。

何同学が目指したのは大きな充電対応デスクであるため、アップルのように充電コイルを大量に敷き詰めるという方法は現実的ではない。そこで、1つの充電コイルを、XY軸のレールに設置し、デバイスを置いた場所まで移動させる方式にした。デバイスの位置は、天井に設置をしたカメラで物体検出を行い特定する。

この方式の利点は、複数のデバイスを置いた場合でも擬似的に同時並行の充電ができることだ。実際には、複数のデバイスの位置を充電コイルが巡回をすることになる。AirDeskの中にはMac miniが収められ、複数デバイスの充電度などから充電コイルの動作を制御している。

面白いのはここからだ。言語は中国語だが、言葉が分からなくても概ね内容は理解できると思うので、ぜひこの8分弱の動画を見ていただきたい。実際に彼が開発してみると、充電コイルの移動速度が遅い、ケーブルの収まりが悪いなどの課題が次々に出てきて、これを解決をしていくプロセスが見どころになっている。

▲AirDeskの最初のプロトタイプ。充電コイルがX軸Y軸のレールを使って、デバイスの置かれた位置に移動をするというものだった。しかし、つくってみると数々の課題が浮かび上がってきた

改良が加えられ、新しいバージョンのAirDeskがつくられていくのだ。これはモノの世界でのアジャイル開発をやっていることになる。この動画では、実時間では数ヶ月にわたる開発プロセスが、わずか8分足らずで追体験ができる。

▲充電コイルに磁石を取り付け、1時間に1回、水分を取る時間になると、金属製カップが手元に移動をしてくる。また、デスク面のディスプレイにはToDoリストを表示させるようにした。多くの視聴者から「いつ発売になるのだ」という問い合わせが寄せられている

何同学の「自瞄開灯」の動画もおすすめだ。日が暮れたときに部屋の灯りを点けるのだが、スイッチの位置が遠すぎる。これをなんとかしようとして自動化を図るという冗談成分の多い動画だが、試行錯誤と改良のイテレーションが高速で回転していく。アジャイル開発のお手本ともなる動画だ。こちらも中国語が分からなくてもある程度理解ができる8分程度の動画だ。

▲照明のスイッチが離れたところにあるため、テニスボールを発射してスイッチを入れる仕組みを考案するが、つくってみると次々と課題が明らかになる。それらをひとつひとつ改良していく、アジャイル開発そのものといえる動画になっている

静止状態でも自立をする自転車

もう1人紹介したいのが、同じくビリビリで大きな話題を呼んだ稚暉君だ。稚暉君はファーウェイのエンジニアだが、プライベートプロジェクトとして「倒れない自転車」を1人で開発してしまった。こちらがその開発の様子を記録した動画だ。

開発のきっかけは、稚暉君自身が自転車に乗っていたときの転倒事故だったをしてケガをしてしてしまった。中国では自転車は「自行車(自ら前に行く車)」と呼ばれるが、ぜんぜん「自分で行く車」になっていないし、自転車は倒れずに自ら前進すべきだ考え、倒れない自転車を開発することにした。

原理はジャイロ効果だ。サドルの下の金属製のフライホイールが回転して、これが地球ゴマのようなジャイロスコープとなり、自転車の傾きを検出する。自転車の傾きを検出したら、フライホイールの回転を適切に加速させたり、減速させる。この加減速により、反作用の力が生まれ、自転車の傾きを修正してくれるというものだ。これは、リアクションホイールと呼ばれ、人工衛星の姿勢制御などでも使われている。原理はシンプルだが、実際の制御を回路的に行うのは困難で、機械学習によるAI制御が必要になってくる。

かなり本格的な開発になりそうだが、稚暉君は身近なツールを利用して、ほぼ1人でやり遂げた。

稚暉君は、まず自分の自転車のCADデータをメーカーから取り寄せた。近年では多くのメーカーが自社製品のCADデータをオープン化している。これにより、CAD上で必要な部品の設計を行い、3Dプリンターで出力をした。ただし、フライホイールや強度を必要とする金属部品は3Dプリンターでは出力できないため、知り合いを頼って削り出し加工などをしてもらったという。

▲ベースとなるクロスバイクのCADデータをメーカーから取り寄せ、これをCAD内に転送し、パーツの設計をしていく。現在では、自社製品のCADデータを公開しているメーカーが増えている

主な部品は、バランスを保ち姿勢を補正するフライホイール部分、前輪のハンドルを回転させるパーツ、後輪を駆動させるパーツの3つになる。

▲最も重要なパーツが、サドル下にあるフライホイール。これが回転することでジャイロ効果を生み、自転車の傾きを検知する。また、回転を加速、減速することで生まれる反作用を利用して、自転車の姿勢を制御する。人工衛星の姿勢制御で使われるリアクションホイールと同じ原理だ

Unity仮想環境の中で機械学習を進める

問題はフライホイールによる姿勢制御だ。フライホイールの回転数を増減させることで姿勢を保つが、どの程度回転の加減速を緻密に行うか、制御する必要がある。これにはファーウェイのAIチップ「アセンド310」を採用した。このAIプログラムの開発と機械学習に時間がかかったという。なぜなら、50ものパラメーターを機械学習させて、フライホイールの回転制御をしなければならないからだ。

この機械学習にはUnityが使われた。Unityは精密な物理演算が可能な3Dコンテンツ制作プラットフォームで、近年のアクションゲームの表現がリアルになったのはUnityの功績だ。爆発、打撃、落下といった表現が実写と変わらないリアルさを持つようになった。また、近年では建築や自動車、ロボティクスの製造にも活用されるようになっている。

稚暉君は自転車のCADデータとAIプログラムをUnityに移植し、仮想空間の中で自転車の姿勢制御の機械学習を行わせた。そして、実車を組み立て、そのテスト走行結果からAIプログラムを修正し、再びUnity内で機械学習を進めるということを繰り返し、自立する自転車を完成させた。

▲姿勢制御のための機械学習は、自転車のデータとプログラムをUnityに移植し、物理演算シミュレーション機能を使って進めた

その性能は素晴らしく、走行していない停止状態で自立をすることができる。ハンドルに荷物を引っ掛けても、一瞬揺れるだけで自律的にバランスを回復し、自立状態に戻る。人が乗らなくても、ハンドルを操作しなくても、自分で倒れずに走行することができる「自行車」が完成した。

▲完成した自転車は見事に自立をする。ハンドルに荷物をかけても、静止状態で姿勢を維持する。さらには、柵の上に乗せることも可能になった

モノのアジャイル開発が可能な時代がやってきている

何同学と稚暉君の2人に共通するのは、開発したプロダクトの素晴らしさ、面白さもあるが、何より面白いのがその開発手法だ。モノのアジャイル開発をやってしまう何同学、仮想空間で機械学習を進める稚暉君の手法は、開発エンジニアであればだ誰もがワクワクしてしまう。本来、開発というのはプロダクトをつくるプロセスであって、公開されることのない裏方仕事だ。それを2人はエンターテイメントにしてしまった。

現代社会は、このような開発エンターテイメントを可能にする環境を提供してくれている。手軽に誰でも購入できるAIチップ。印刷感覚で部品が製造できる3Dプリンター。そして、そのプロセスを動画で公開することで収益化が望める動画共有プラットフォーム。この2人に刺激されて、開発プロセスを動画で公開し、クラウドファンディングでプロダクトを量産し、販売をするという専業のメイカーも登場してくることは間違いない。エンジニアにとって素晴らしい時代がやってきている。

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