2024年9月11日
みなさん、こんにちは。私は中薗昴(なかぞの・すばる)といいます。ソフトウェアエンジニアとライター・編集者を兼業する、いわゆるパラレルワーカー的な生き方をしています。ソフトウェアエンジニアとしてはWebアプリケーションのバックエンド開発、ライター・編集者としてはIT系のインタビュー・イベントレポート記事の受託制作を専門にしています。
ありがたいことに、周囲の方々から「IT系の記事なら中薗さんがトッププレイヤー」と言われることも増え、今回こうして機会をいただき「レバテックLAB」に寄稿することになりました。前編・後編の2回に分けて、私のキャリアを紹介します。
私は最初からこのワークスタイルを目指したわけではありません。いくつもの偶然や決断が重なった結果、このキャリアにたどり着きました。いまの働き方を続けるべきか悩んでいる方々に、私の生き方が参考になれば幸いです。前編では、ライターの仕事を始めたきっかけと、兼業に至った理由を書きます。
私は専業のソフトウェアエンジニアとしてキャリアをスタートしました。金融系のSIerに新卒入社した後に、フリーランスエンジニアとして不動産スタートアップの新規サービス開発や大手IT企業の海外版ECサイト開発に携わりました。ECサイト開発のチームは労働環境がホワイトで、定時出社・定時退社の毎日。お金に困ることもなく余暇の時間もたくさんあったものの、張り合いのない生活でした。
新卒からエンジニアになって5年以上が経ち、良くも悪くもある程度の仕事がこなせるようになったくらいの時期。「このまま、特にやりがいもなく、ゆるゆると働きながら生きていくのかな」と考えていました。
「もっとやりがいのある環境に移る努力をしたらよいのでは」と思われる方もいるかもしれません。今なら私もそう思いますが、その頃の私は正直なところソフトウェアエンジニアの仕事へのモチベーションが失われている状況だったのです。
そんなある日、某エンジニア向けメディアが、記事を書く副業ライターを募集しているのを目にしました。
私はもともと文章を書くことが好きでした。学生時代から本の虫でしたし、金融系のSIerに勤めていた頃はドキュメント作成がとても楽しかった。「お小遣い稼ぎのために記事を書いてみようか。暇だし」と、副業ライターに応募しました。
でも、軽い気持ちで始めたライターの仕事がものすごく面白かったのです。おそらく、適性があったのでしょう。副業ライターを始めてから2カ月間で、文章制作やライター・編集者の業務についての本を20冊くらい買って勉強しました。熱中していましたね。
勉強のかいもあり、最初の半年くらいでたくさんの記事がバズりました。いいね数やブックマーク数が増えるのはもちろんうれしかったですが、それ以上に「自分がつくったコンテンツが、世の中の誰かの人生に影響を与えている」という体験が新鮮でした。文章を書くことにどんどんのめり込み、副業の量を増やしていきました。
余談ですが、私は昔からものづくりが好きなのですけれど「⚪︎⚪︎しかやりたくない」といった類いのこだわりがありません。「ものづくりができるなら、つくるものはなんでもいい」というタイプです。高校・大学時代には音楽にハマっており、大学4年生の頃には受託制作で作曲・編曲をしてお金を稼いでいました(もう音楽はやめてしまいましたが)。また、いまは趣味でマジック:ザ・ギャザリングというカードゲームをしているのですが、遊んでいて一番楽しいのはデッキをつくっている瞬間です。
仮に職種が変わっても制作対象が「ソースコード」や「文章」になるというだけで、「何かをつくるという本質は変わらない」という感覚でいます。だからライターの仕事への抵抗感がなかったのかもしれません。
この経験を踏まえて思うのは、キャリアにおいて先入観なく新しいチャレンジをすることの重要さです。もし私が「エンジニアなんだから副業はプログラミングをするものだ」と思って文章制作に手を出さずにいたら、いまごろ違う人生を歩んでいたかもしれません。
エンジニアのなかにも「この技術があまり好きではない」とか「マネジメントをしたくない」と考え、自分がこれまでやってきた仕事にとらわれている方がいるのではないでしょうか。ですが、時にはあえて「えいや」と思い切ったチャレンジをすることが、自分の新しい可能性を切り開くことにつながります。
いま振り返ってみれば、その頃の私はソフトウェアエンジニアの仕事において、コンフォートゾーンから抜け出すためのアクションを起こさず、仕事をこなすだけになっていました。それでは、仕事がつまらないのは当然だったのです。
ライターの副業を増やすなかで、ある運命的な出会いがありました。出版社で長年働いてきた、すご腕の編集者と現場取材に行く機会があったのです。現場での立ち振る舞いや企画についての考え方、コンテンツ編集力、文章力、デザインセンス、人間性など、すべてが高い水準でした。
「プロの仕事とはこういうものか」と衝撃的でした。と同時に「自分のしてきたライターの仕事なんて、子どものおままごとみたいだな」と恥ずかしい気持ちになりました。その頃には「ライターの仕事を今後も続けたい」と思っていましたが、その編集者と出会ったことで「副業としてぬるま湯の環境でライターを続けても、永遠にこのレベルに到達できない」と気づかされました。
真の意味でプロのスキルを身に付けるには、厳しい環境に身を置いて自分を鍛えなければなりません。エンジニアの仕事を辞めて、専業のライター・編集者になる覚悟を決めました。
当然ながら、エンジニアのキャリアを手放すことへの恐怖心はありました。けれど、エンジニアの世界においても「プレイヤーだった人がマネージャーになってコードを書かなくなる」とか「エンジニアからプロダクトマネージャーに転向する」といったキャリアチェンジは当たり前のように行われます。そして、数年経ってから、その方々が「やっぱりコードを書きたい」と考えてエンジニアに戻ることもよくあるでしょう。
そうした事例を知っていたことが、キャリア転身の恐怖感を薄れさせてくれました。エンジニアとしての基礎が身に付いていれば数年のブランクは絶対に取り戻せますから、仮にライターの仕事がダメになればエンジニアに戻ればいい、と思える安心感がありました。
どのような業界や業種で働くとしても「スキルの高い人たちと一緒に働く」というのは、その後のキャリアにとって大きくプラスになるように思います。そういった人たちが何を考え、どのようなスタンスで仕事と向き合っているのかを肌で感じられるためです。だからこそ、私にとってもそのすご腕編集者と一緒の環境で働き「すごい人たちがいる世界」を見ておくのは、人生にとって必ずプラスになると思いました。
そうした経緯で、その編集者の勤めていた編集プロダクションで、私も専業のライター・編集者として働き始めました。最初の頃はとにかく楽しかったです。大好きなコンテンツ制作の仕事に毎日携われて、どんどんスキルも上がっていく。こんな天国のような職場があるのかと思いました。
私はソフトウェアエンジニア出身ということもあり、ITの知識を活かして、IT系のメディアを多く担当しました。スキルが上がるにつれ、チームリーダーにもなり、任される仕事の量は増え難易度はどんどん高くなっていきました。
編集者として働いた経験のある方は想像がつくと思うのですが、編集プロダクションはハードワークの会社が多いです(もちろん、なかにはホワイトな会社もあります)。また、当時の私はタスクマネジメントが下手で、仕事をどんどん抱え込んでしまう傾向がありました。いつの間にか私の業務量は、自分のキャパシティを超えたものになっていました。
いろいろなプレッシャーが積み重なり、精神が病んでいきました。原稿と向き合うと呼吸が苦しくなりました。企画を考えることやインタビューをすることが苦痛で、メンバーやクライアントとのコミュニケーションもおっくうでした。身も心もすり減り、あんなに楽しかったライター・編集者の仕事が怖くなっていました。当時はストレスが原因で性格も鬱っぽく、怒りっぽくなり、一緒に働いていた方々には本当にご迷惑をお掛けしたと思っています。
エンジニアの方々も、炎上プロジェクトなどで「とてつもない業務量を任されて、かつ日常的にトラブルが頻発する」という経験をしたことのある人もいるでしょう。あの頃の私は、そんな感じの生活を365日ずっと続けていました。その環境にいたら、机の前に座ることすら嫌になるということを、きっと理解してもらえるのではないかと思います。
そこで、退職する決意をしました。上司からは止められましたが、あのとき思い切って辞めてよかったです。読者のなかにも「苦しい環境だけれど、逃げてはいけない」とか「仕事がうまくいかないのは自分が弱いからだ」と思い悩む人がいるかもしれません。もちろん、その環境で精いっぱい努力することは大事ですが、人には向き不向きや心身のキャパシティというものがあります。
たとえ、その環境でうまく行かなくても環境を変えれば一気に道が開けることもあるはずです。無理をせず、戦略的に逃げることも人生の選択肢として考えてください。この編集プロダクションでは大変な思いをしましたが、いまとなっては感謝しています。苦しい経験をしなければ、人生について真剣に考えることもなかったでしょう。
退職後、どのようなキャリアを歩むべきかとても悩みました。まず、「IT専門のライター・編集者として活動しようか」と考えました。ですが、ITの世界は技術の進歩が早いです。私の持っているソフトウェアエンジニアとしての知識は、数年以内に陳腐化するだろうと見越し、今後5年・10年にわたってIT系のメディアを担当することは無理だと判断しました。
「ライター・編集者の仕事をしながら、座学でITの勉強をする」というキャリアも少し考えたものの、これもやめました。現場経験を積まない状態で座学だけしても、エンジニアの方々の考えや悩みを真の意味で理解できないだろうと思いました。
「ITだけではなくいろいろな領域を雑多に担当するライター・編集者になるか」とも考えたのですが、これもイマイチ。ライター・編集者の世界には、その道で何十年も働いてきたベテランたちがいて、そうした人たちと同じフィールドで戦って勝てる自信がありませんでした。
「ライター・編集者を辞めて専業のソフトウェアエンジニアに戻るか」とも思ったものの、これもやめました。いくら編集プロダクションの仕事がつらくて辞めたといっても、コンテンツ制作の仕事には愛着があったので、このキャリアが完全に絶たれてしまうのは怖かったのです。
そうして「ソフトウェアエンジニアとライター・編集者を兼業したらいいのでは」と思うようになりました。ソフトウェア開発の現場に居続けることで、テクノロジーやエンジニアリングのことを解像度高く理解しながら、IT系のコンテンツ制作に携われます。つまり私のパラレルワーカーとしての働き方は、前述のような課題を解決するために消去法的に選び取ったキャリアだったのです。
「掛け算をすることでキャリアの希少価値が生まれる」とよく言われます。特定の領域だけだと100人に1人くらいの価値だとしても、スキルが2つ掛け合わさることで1万人に1人の人材になり、3つ掛け合わされば100万人に1人の人材になるということです。
仮にWebアプリケーションを開発するスキルが100人に1人くらいの価値、取材をして文章を書くスキルが100人に1人くらいの価値、メディアの運営・企画・ディレクションなどをすることが100人に1人くらいの価値だとしても、これらが全部できることで100万人に1人の希少価値となります。私の場合、消去法的に選んだキャリアだったものの、「ソフトウェアエンジニアとライター・編集者を兼業する」というスタイルの人が世の中にほとんどいなかったので、この領域で突出できたのです。
「キャリアプランを立てて実行しました」とは口が裂けても言えません。ただ運に恵まれただけで、本当にラッキーでした。だから、この選択については正直なところ、格好良いキャリア論など語れなくて「諦めずに思考や行動を続けていると、それがうまく行くこともあるよ」という浅~いアドバイスしかできないです(笑)。
後編では私が思う「キャリアや仕事への向き合い方」について書きましたので、ぜひそちらもご覧ください。
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