【新連載】人生もプロダクト。「トンカツ」で考えた小城久美子流キャリアの創り方

2023年9月21日

プロダクトマネージャー

小城 久美子

プロダクトづくりの知見の体系化を試みるプロダクトマネージャー。書籍『プロダクトマネジメントのすべて』共著者であり、日本最大級のプロダクトづくりコミュニティ「プロダクト筋トレ」の主催者。 経歴は、ソフトウェアエンジニア、スクラムマスターなどの開発職を経験後、プロダクトマネージャーに転身し、現在はフリーランスとしてプロダクト戦略の構築や仮説検証の伴走を実施している。

「10年後はどうなっていたいですか?」

これは私が就職活動で一番苦手だった質問です。イチロー選手が小学生の頃から野球選手になる夢を持って大成功したことは頭では知っているし、10年後の姿から逆算して日々の行動を考えた方が良いに決まっています。私自身、何度も将来について考えました。

しかし、結果として10年後のことをうまく思い描けたことはありませんでした。そして、それを後悔もせず、私はいま、この行き当たりばったりな生き方を「トンカツ型人生」と呼んでそこそこ気に入っています。今日は、私のこれまでのキャリアを振り返る自分語りによって、行き当たりばったりな人生の良さを提案します。

トンカツ型人生とは

突然のトンカツの登場に驚かれた方もいらっしゃるでしょう。ここでいうトンカツとは、あの美味しい揚げ物そのものではなく、あの2ちゃんねるで流行したトンカツコピペのことです。

だっておめぇ、トンカツ食ったことない人がトンカツなしじゃ生きてけねぇよなんて、言わねぇだろう – 2006, 2ちゃんねる

このトンカツコピペとは他者と恋愛関係になったことがない人が「恋人無しでは生きていけない」とは言わない、という意味であり、私はこのコピペに学生時代大変胸を打たれました。恥ずかしながら、まるで座右の銘のように人生の選択肢のたびにこの言葉を思い出しています。

世界にはまだ、私が食べたことがないものがあって、私が世界で一番好きな食べ物はそれかもしれない。そう思うと生きるのが少し楽しみになります。

それはキャリアも同じで、今までやったことがない仕事こそが私にとって天職である可能性があります。それは頭でいくらレシピを見て味を想像したとしても、実際に食べてみないとわからないことと同じです。

私が考えるトンカツ型人生とは、今から10年後までの計画を立てるのではなく、まずは色々な経験をしてみて(=いろんなトンカツを食べてみて)、それから自分にとって一番幸せな生き方を考えるという戦略を指します。

私がこれまで食べてきたキャリアのトンカツ

私がこれまで食べてきたキャリアのトンカツは以下に列挙してみました。

  • ・ソフトウェアエンジニア
  • ・スクラムマスター
  • ・プロジェクトマネージャー
  • ・プロダクトマネージャー
  • ・プロダクトマネージャーのコーチ

といったところです。一本道ではなく行ったり来たりして、正社員副業、フリーランス、起業など全部やってきました。

学生からソフトウェアエンジニアへ

私は中高女子校で育ったためか、女性がエンジニア職に就くのが珍しいことに気付いてさえいませんでした。楽しくプログラミングをした中学生がそのまま工学部に進学をし、インターン先でWeb開発の楽しさを知り、就職してソフトウェアエンジニアになりました。

自分では「好きなことが仕事にできた」と、とても誇らしく感じて、まるでプロ野球選手になれた気持ちでした。

ソフトウェアエンジニア、個人プレーからチームプレーへ

そして、同時に絶望しました。自分よりもっとエンジニアリングを楽しんでいて、優秀な同期がたくさんいました。希望とは違う部署で一人でコードを書く毎日。地元から東京に出ることも、大手企業ではなくスタートアップに就職することも大反対だった母を振り切ったにも関わらず、自分が一番好きだと思ったトンカツにかぶりついたら、まったく味がしなかったです

どうしようもないときに助け船を出してくれたのは、隣のチームのマネージャーでした。部署を異動して、優しいメンバーに恵まれて、多くの方に迷惑をかけながらチームで仕事をすることを学びました。

中でも私はリーンやスクラム開発といった概念が気に入って、プログラミングそのものよりも、開発のフローやなぜそのプログラムを書くのか、そのプログラムがどのようにユーザーに使われるのかといった今までまったく意識していなかった領域に興味を持つようになりました。

それまでのただ「作ったものが人に使われると嬉しい」という感情の解像度があがって、「人により喜んでもらうには自分はエンジニアとしてどう振る舞えばよいのか」が考えられるようになって随分と仕事が楽しくもなりました。

あの頃の自分の視野を広げてくれたのは隣のチームのマネージャーと、開発者コミュニティだ。おなじソフトウェアエンジニアという職種であっても、一人で黙々とする開発と、チーム開発では全く違う味がしました。これは良い悪いではなく、どちらが私の舌に合うかの違いです。

自分が知らないことは知らないままです。エンジニアが舌に合わないとすぐ諦めるのではなく、視野を広げるために色々な人の話を聞くこと、やったことがない仕事の機会を貰えたことはあの頃の私にとって大変貴重でした。

企画職からプロダクトマネージャーへ

その後、私はもっとソフトウェアエンジニアとして力をつけてもっとユーザーを幸せにしたいと思い、シニアが多い会社に転職をしました。その会社はエンジニアがエンジニアリングを専門的に担当する縦割りな組織構造であり、私はエンジニアとして学ぶこと多くありました。一方でエンジニアはエンジニアリングに特化する文化であり、もっとユーザーの近くで開発をしたかった私には少し窮屈でした。そのため、私は一度エンジニアをお休みして企画職に転向することとしました。この転身の詳細は第2回目の連載記事で記載しようと思います。

「企画職」というトンカツはまるで椀子そばのようでした。僅かな喉越しはあるものの、ガッツリした味がするわけではありません。プロジェクトが始まると膨大な量の仕事があり、誰の役割でもないものはすべて自分の仕事のように思えて、関わっている全員の仕事を無駄にしない為にがむしゃらに働きました。今振り返ると、それは私がエンジニアの働き方しか知らなくて、自分に求められていることがどこからどこまでで、何ができたらうまく行っているか分からなかったことが原因でした。

やり方は下手でしたが、プロダクトをつくる仕事はやりがいがありました。目の前にいるユーザーが自分が考えた仕様に喜んでくれること、目に見えて数字があがっていくこと、チームで1つのものをつくるために考えること。そのために自分がどう振る舞えばよいのかを考え続けるなかで、「プロダクトマネージャー」という仕事の存在を知り、自分の責任範囲に名前がついていると驚きました。

そこで私はやっと自分の仕事を知りました。上司から言われたタスクをこなすことではなく、成果を出すことが自分の仕事だと気がついたのです。エンジニアだった頃はタスクの完了が仕事でしたが、プロダクトマネージャーは結果を出すことができれば、そのためにどんなタスクを完了させるかには自由度があったのです。上司は2つの指示を出してくれていました。求めている結果と、その結果を出すためにはどんなタスクが想定されるかです。しかし、結果を出すためにどんなタスクが想定されるかは上司より現場に近い自分自身のほうが解像度が高く、上司の言葉を鵜呑みにしてタスクだけを完了させて仕事をしたつもりになっていてはいけなかったのです。

結果を出すことが自分の仕事だと分かってからは、良い意味で開き直りました。どこからどこまでに自分が手を伸ばすことを期待されているかは二の次で、多少煙たがられても結果を出すために必要なところにはすべて手を伸ばしていきました。

しかし、いきなり結果を出せと放り出されてもうまく行かなかったと思います。まず、どんなタスクをこなすことで結果が出せるのかを訓練していたからこそ、結果を出すために自由度高くタスクを設計することができるようになりました。例えるならプロダクトマネージャーは一枚肉の切れ込みの入っていないトンカツです。最初は誰かに切り分けてもらって1口サイズにしてもらい、慣れたあとに自分の好きなサイズに切って食べていくのが食べやすいと感じました。

プロダクト開発の現場からコーチへ

エンジニアだった頃は勉強をすることができました。自分よりうまくできる人が周りにたくさんいて、真似をしたり、教えてもらったりすることができたのです。しかし、プロダクトマネジメントに関しては勉強の仕方が全くわかりませんでした。

今では信じられないかもしれませんが、数年前までプロダクトマネジメントそのものを学ぶ術が日本にはほとんどありませんでしたそのため、機会をいただいたこともあり、自分ができることをやろうとプロダクトマネジメントの再現性がある部分を体系化することを試みて、書籍『プロダクトマネジメントのすべて』の共著に参加させていただきました。また、エンジニアだった頃に大変助けになったので、コミュニティを立ち上げました。その中でイベントや勉強会を開催して、今ではコミュニティには4,500人の方が居てくださっています。

▲『プロダクトマネジメントのすべて』及川 卓也、曽根原 春樹、小城 久美子 著

ところで、もともとの私は大人数の集まりが苦手で、自分から人を誘えないタイプです。人前に立つことも苦手で、決して大所帯のコミュニティを引っ張っていく器の人間ではありません。普段なら絶対にとらない選択でしたが、コミュニティをやったことで私はプロダクトマネジメントを改善したいと同じ方向を向いている方に出会うことができ、多くのことを学ばせていただきました。一人ではできないことができることに心から感謝しています。本当にやってよかったと思います。苦手な分野ではありましたが、かぶりついてみると好みの味のトンカツでした。

コーチから現場へ

プロダクトマネジメントを体系化して、それを伝えるコーチの仕事は大変やりがいがありました。ただ一方で、トンカツの衣だけを食べているような気持ちにもなりました。一度離れてみたことで改めて、私はチームでプロダクトづくりをすることがとても好きだとよくわかったのです

遠回りをしたことで、自分の一番好きな仕事がわかりました次に何かに食指が伸びるまで、プロダクトマネジメントのトンカツをお腹いっぱい食べるつもりです。

トンカツを揚げて配るステージへ

20代の頃に色々な種類のトンカツを食べてよかったと思います。自分が一番食べやすくて美味しいと感じるトンカツを探し、人生の幸せを最大化する方法を探索してよかったです。

そして、舌が肥えました。自分の好みがわかってきて、与えられる仕事ではそこそこの結果が出せるようにもなりました。
もし、私が大企業で勤務していたら職位が上がって責任範囲が増えたり、他の部署にジョブローテしたりするのかもしれませんが、スタートアップ畑で転職を繰り返しながら専門職をやっているので口を開けていても誰も新しいトンカツを与えてはくれません。

私が見つけた選択肢は2つあります。

  • ・それまでに養った目利きの力で、自分がそこそこ満足できる仕事を受け取る
  • ・自分でリスクを取って仕事をつくる

この2つのどちらを選ぶのか、人生の中で何度も自分に問いかけています。もちろん、「そこそこ」の仕事をするより、自分で仕事を作って自分好みのトンカツを揚げて周りの人を巻き込んでいくほうが濃厚な人生になるのでしょう。ただ、人生のトンカツは仕事だけではありません私の場合は体を壊して思うように働けない時期があり、身体を壊している私にトンカツを差し出してくれる人に心から感謝をしています。

ただ、余力があるときには、自分で仕事をつくることを忘れないようにしたいです。
人から与えられる仕事だけではなく、自分の責任範囲を少し超えて目標達成のためにどう振る舞えばいいかを考えて、魅力的なトンカツを揚げて人に勧めて回ってみんなが少し幸せになるといいですね。

プロダクトも人生も仮説検証をする

私の人生は行き当たりばったりに見えるかもしれません。しかし、40年は長いのです。同じ仕事を1つしかしないのはもったいないと私は思います。

やったことがなければ、それが自分にとって合うのかはわかりません。いろんなことをしてみましょう。

どこにでも飛び込んでみたらいいのです。合わなかったっていい。合わないとわかることが成功です合う、合わないというのは相対評価です。多くの引き出しを持つことで納得して自分の人生を意思決定できるようになります。

私が歳を重ねたときに自分の人生に対してどう感じるのかはわかりません。

ただ、私は今、幅広い仕事をしたことで点と点が線になって想像力が働くことや、色々な人と深い議論をした経験からくる直感の強さを感じることがあって、それを気に入っています。

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