「“誰かがやらなくちゃ”を全部やる」キャリア形成術。人よりも遅いスタートから、CTOになるまでの道のり【アソビュー兼平大資】

2024年10月7日

アソビュー株式会社 CTO

兼平大資

岩手県出身。新卒でカーナビ開発のPM補佐を経験し、その後は行政や大手電機メーカーのCRM、国内のホテル予約システムの開発などを経験。 2017年にアソビューに入社。新規事業、既存事業のグロース、重要機能の開発、基盤システムの刷新などを、フロントエンド、バックエンド、インフラ、テックリード、PM、EMなど様々な役割で担当。その後VPoE、VPoTを経て、2024年7月より現職。

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「未経験だった領域に取り組むこと」は、エンジニアが成長するうえで重要な要素です。アプリケーションしか触れてこなかった人がインフラに挑戦する、プレイヤーだった人がマネジメントを担うなど、これまでの枠を超えた経験が新たな視点をもたらし、スキルの幅を広げてくれます。

2024年7月よりアソビュー株式会社のCTOに就任した兼平大資さんは、まさにこの「未経験の領域」への挑戦により、キャリアを切り開いてきた人物です。ソフトウェアエンジニアとして同社に入社した後、インフラエンジニアやアーキテクト、テックリード、エンジニアリングマネージャー、VPoEなどのポジションを次々に経験。成果を出し続けて社内外での信頼を獲得し、CTOの要職を務めるようになりました。

そんな兼平さんですが「特定の役職をやりたいと自分から表明したのではなく、会社にとってそのタイミングで必要な業務を一生懸命に担っていたら、結果的に役職がついてきた」と言います。なぜ兼平さんは、さまざまな仕事に果敢に取り組めたのでしょうか。今回はそのキャリアについて振り返っていただきました。

挑戦のきっかけは「人がいないからやる」か「信頼を獲得して任される」

――兼平さんはこれまで、アソビュー内でさまざまなポジションを経験されたと伺っています。どのようなキャリアの変遷をたどったのかを教えていただけますか?

兼平:アソビューには2017年に入社し、最初はソフトウェアエンジニアとしてキャリアをスタートしました。新規事業開発でフロントエンドとバックエンドをどちらも担い、次第にインフラも手伝うようになりました。その後、そのインフラエンジニアが退職したことに伴い、アプリ開発と並行してインフラを私が単独で見ることになりました。

2年目の途中からテックリードになり、チームリーダーも兼務しつつ各種の施策を進めました。3年目にはサービスの規模が大きくなり信頼性・可用性を高める必要性が生じてきたことから、SREチームの立ち上げに関わりました。

4年目にはポイントやクーポンといった重要機能の開発をリードしつつ、システム基盤のリプレイスも推進しました。全社的なシステムアーキテクチャを統括するようになったのがこの時期。加えて、エンジニアリングマネージャーも兼務するようになりました。

5年目にはシステム基盤のリプレイスに引き続き携わりつつ、「開発組織も改善してほしい」という要望があってVPoEに就任。6年目は組織作りをしながら、データ基盤チームやQAチームを立ち上げてそれらのマネージャーをしました。その時期に「アソビュー!」のネイティブアプリを新規立ち上げすることになったのですが、社内にAndroidアプリをつくるエンジニアがいなかったため「私がやります」と手を挙げました。

7年目はそれらが落ち着いてきて、VPoEの役割を現任の服部毅保に任せました。私は技術面にフォーカスする方針で肩書きがVPoTになり、そして前CTOの江部隼矢から「任せた」と言ってもらい、今年の7月にCTOに就任したという流れです。

――こうして話をお聞きすると、短期間のうちに数々のポジションを兼務しつつ働いてこられたことがわかりますね。

兼平:そうですね。これらのポジションは、自分が「⚪︎⚪︎の仕事が好きだからやりたい」と思っていたからというよりは、「社内でその仕事を担う人がいないから自分が手を挙げる」または「他の人々に評価してもらい、新しい仕事を任される」のどちらかのパターンでした。

やる人がいないから手を挙げた仕事としては、たとえばインフラ担当やデータ基盤チーム・QAチームの立ち上げ、Androidアプリ開発などがそれに当たります。評価を得て任された仕事としてはテックリードやアーキテクト、エンジニアリングマネージャー、VPoE、CTOなどです。これらの仕事や役割を行き来したり、同時に担ったりしながら、キャリアを歩んできました。

スタートが遅いから、何でもやる。ハングリー精神と俯瞰的な視点が成長を支えた

――「社内でその仕事を担う人がいないから自分が手を挙げる」のパターンですと、自分が抱える仕事の量も学習すべき領域も増えていきます。大変さゆえに、モチベーションが落ちてしまうことはなかったのでしょうか?

兼平:たしかに大変ではありました。でも、モチベーションが下がったりはしていなくて。実は私がソフトウェアエンジニアになったのは27歳で、他の人たちよりもスタートが遅かったんですよ。その分ハングリー精神があって「遅れを取り戻さなければ」という気持ちがずっとありました。

それから、私は目の前のタスクだけを見るのではなく「事業やプロダクトを良くするには何をすべきか」と、ものごとを俯瞰的に捉えるタイプです。その目的を達成する手段として、バックエンドやフロントエンド開発だけではなく、インフラを担うことも有効なのは間違いありません。ならば、やってみる価値はあるという気持ちで仕事に取り組んでいました。純粋な知的好奇心もあったと思いますね。

――未経験の領域に挑戦する際には、新しく学習することが山ほどあります。どのように知識をキャッチアップしていますか?

兼平:基本的には、なるべくたくさんの時間を投資するパターンが多いです。私は決して物覚えが良いタイプではないので、短期間で要領よく学ぶことはできないと思っているんです。もちろん効率化も考えるべきですがそれは二の次で、まずは量をこなすことにしていますね。

それから、何かの分野を学ぶ際には「広く」と「深く」を両方やる必要があります。網羅的にその領域の全体像を把握したうえで、そのなかでも特に重要な領域については深く入り込んでいくというアプローチを心掛けています。

過去にインフラの管理をしていた頃の話をすると、「バックエンドのアプリケーションを動かすための、インフラの実行基盤としてAWSの何のサービスを選択するか」を決めなければならなかったことがあります。

インフラについての知識は薄かったので、まずは「広く」学ぶために「Amazon EC2やAWS Elastic Beanstalk、Amazon ECSなど、実現方法の選択肢はどれだけあるのか」をキャッチアップしました。それらを学んだ後、「深く」学ぶためにAWSのドキュメントを徹底的に読み込んでサービスの機能について学んでいく。さらに、実践しなければ理解できないことも多いので、実際にAWSでインフラを構築しつつ学習を進めました。

「事業の成果」に直結する仕事こそが、信頼につながる

――もう一方の「他の人々に評価してもらい、新しい仕事を任される」のパターンについても聞きたいです。どのように、社内での信頼を獲得してきたのでしょうか?

兼平:アソビューは事業会社ですから、「事業の成果につながる動き方をできているか」が、信頼を獲得するうえで重要だと思います。

SREチームの立ち上げを例に挙げると、当時、SRE領域に事業課題がありました。その頃はアソビューが提供するサービスが拡大していき、徐々に社会的なインフラの側面を求められるようになったフェーズです。しかし、エラーを検知するためのモニタリング体制に課題があり、利用されるレジャー施設の方々や何よりもご利用いただくお客さまにご迷惑をおかけしてしまう事態が発生していました。そうした、事業の課題を解決するためのプロジェクトをリードして、しっかりと最後までやりきれたことが、おそらく評価されたポイントでした。

私は、エンジニリングもマネジメントも、事業で成果を出すための手段だと考えています。だからこそ、その選択肢を幅広く持っておくと、解決に結びつきやすくなります。

――エンジニアが、事業における重要点を把握するための良い方法はありますか?

兼平:事業のことを初めから完全に理解するのは難しいですよね。まずは、自分の所属しているチームのリーダーやマネージャーが何の課題を解決したいのかをキャッチアップすることをおすすめします。そこから先は「興味を持つこと」が大切で、会社のあらゆることにアンテナを張って、自主的に情報を取りにいくことが求められます。

そのスタンスで働くことで、普段の業務の範囲を超えた知識や経験を得られる機会が増えます。たとえば今のプロダクトに対する、顧客の率直な声を聞く機会が増えたり、関わることの少ないプロダクトの課題を知ることで、担当するプロダクトの課題とリンクする部分が見つかったり。また、採用やそのプロセスに疑問や課題を感じているときには、人事関連の情報を集めて採用の仕組みづくりなどに関わることで、解決に向けて一歩進むことができるでしょう。

社内の情報共有プロセスには限界があるのと、自らコミュニケーションの矢面に立ったほうが情報の解像度が圧倒的に高まるため、自主的に情報を取得することで理解の質と量の向上につながります。

――兼平さんは各種のポジションを兼務された経験もありますが、時間が限られているなかで複数の業務を担う秘訣はありますか?

兼平:1人でできることには限界があるので、常に他の人への権限移譲を考えながら働いてきました

そして、権限移譲するうえでは、その役割が存在する目的と、解決すべき課題を、相手に伝え続けることが重要です。日常的に、メンバーたちに向けてそうした情報を共有することで、メンバーたちのアウトプットの品質そのものも向上すると思うんですよね。

失敗は誰でもする。大切なのは、倒れてもすぐに立ち上がること

――未経験の領域に挑戦し続けることは、精神的・体力的な負担も大きいはずです。なぜ、つぶれず健康的に働いてこられたのでしょうか?

兼平:これまでいろいろな経験をするなかで、バランスの取り方を覚えました。

何か新しい役割を担い始めたときには、成果を出すために必死に考えて行動します。そんな中で自分の限界を迎えてしまったときに「ここを超えると危ないだろうな」というポイントを理解して、うまい力の抜き方を学んでいきました。

それから、何かのポジションをある程度の期間やってみたうえで「本当に駄目そうだな」と感じたら、自分が努力する以外の解決策を選ぶケースもありました。自分が前向きに取り組めないことを突き詰めようとし過ぎると、ネガティブなスパイラルに入ってしまいます。そんなときには、深く考え過ぎないとか、アプローチそのものを変えるといった自分自身の切り替えがうまくできるかどうかも、働き続けるためには重要です。

――何でもやるというスタンスで仕事に取り組んだからこそ、得られた知見はありますか?

兼平:振り返ってみて感じるのは、やったことがない仕事は、1回やってみるのが良いということですね。というのも、自分がやりたいと思っていなかったことのほうが、取り組んだ際の学びが多いんです。仮に技術的なスペシャリストの道を歩むとしても、マネジメントを経験することで気づけることがたくさんあります。

それから、アソビューという会社が成長し続けたからこそ、自分自身もそれに伴って成長できました。私も人間なので「なるべく楽をしたい」という気持ちは心の奥底にあるんですよね。でも、事業が育って開発組織も拡大していくと、それに伴ってシステムや組織運営に新たな課題が生じます。その場合には自分の知識や働き方もアップデートしなければならないので、変化する環境に身を置けたことで、常に学び続けられました

もちろん、それができたのは「兼平にこの仕事を任せたい」と言ってくれた周囲の方々のおかげでもあります。挑戦するうえでは、やはり真摯に仕事を続けて、社内で信頼関係を構築することがとても大事だと実感しています。

――信頼を得たからこそ新しい仕事が舞い込み、学習して成長して成果を出してさらに信頼を獲得するというくり返しなのですね。

兼平:とはいえ、成功ばかりではなく、ぶっちゃけ私も山ほど失敗しているんですよね。余談ですが、「失敗」に関連して好きな話があります。

昔好きだった『アイシールド21』というアメリカンフットボールの漫画があるんですが、作中でテキサス大学のフットボールコーチであるダレル・ロイヤルの言葉が引用されているんですよ。

フィールドでプレーする誰もが必ず一度や二度屈辱を味わわされるだろう。打ちのめされたことがない選手など存在しない。ただ一流の選手はあらゆる努力を払い速やかに立ち上がろうとする。並の選手はすこしばかり立ち上がるのが遅い。そして、敗者はいつまでもグラウンドに横たわったままである

これはエンジニアの仕事においても同じです。失敗は誰もがするので、そこからすぐに立ち直れるかどうかによって結果が変わるのだと考えています。

取材:中薗昴、光松瞳
執筆:中薗昴
編集:光松瞳
撮影:山辺恵美子

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