アニメ業界のエンジニアリング改革に向き合って 『シン・エヴァ』の制作を支えた「スタジオカラー」のシステムづくり

2022年5月11日

株式会社カラー 執行役員 技術管理統括/株式会社プロジェクトスタジオQ 取締役副社長 技術管理統括

鈴木慎之介

1981年東京生まれ。高校在学中にドワンゴにエンジニアとして入社。音楽配信サイト等の立ち上げを経て、2006年動画共有サイト「ニコニコ動画」の立ち上げに参画。その後、開発部長、子会社社長等を歴任。2017年、麻生塾・カラー・ドワンゴの3社による映像制作スタジオ「プロジェクトスタジオQ」を立ち上げ、2019年、カラー執行役員技術管理統括に着任し、カラー全体のシステム及び、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を始めとした作品を支えるシステムを担当。

社会の変化に立ち向かう人たちに向け、「テクノロジーで、挑戦を恐れない勇気を。そして変化のリスクをチャンスに。」というメッセージを伝えるべく、一般社団法人日本CTO協会が開催した「Day One – CTO/VPoE Conference 2022 Spring -」

今回紹介するセッションは、鈴木慎之介(@shinno)氏が語った、監督・プロデューサー庵野秀明氏が代表を務める株式会社カラー、そして『シン・エヴァンゲリオン劇場版』におけるシステムづくり、コロナ禍における新たな働き方や知見などを届ける。

スタジオカラー・プロジェクトスタジオQの「始まり」

鈴木慎之介氏が技術管理統括を務める株式会社カラーは、『エヴァンゲリオン』シリーズなどの人気作品を世に送り出している日本を代表する監督・プロデューサーの庵野秀明氏が代表取締役を務める制作会社だ。

最新作『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は興行収入100億円を突破し、上映終了後1カ月を待たずにAmazon Prime Videoでサブスク配信されたことも記憶に新しい。鈴木氏は、アニメ業界のCGアニメーションクリエーターの育成を主な目的とする、株式会社プロジェクトスタジオQの技術管理統括も務めている。

鈴木氏が技術統括を務めることになったきっかけは、カラーの取締役で『シン・エヴァンゲリオン劇場版』ではCGIアートディレクターを担当している小林浩康氏から、相談を受けたことだという。だがその内容は、

「システムが大変でして」

という一言。それを聞いた鈴木氏は課題の抽象度と難易度の高さを感じ、かなり衝撃を覚えたと振り返る。

そこで鈴木氏は、そもそも何が課題なのか「ヒアリング」を行った。本質的な問題としては、システムのビジョンが不在であること。そして、以下の3点である。

課題1 ノウハウが蓄積されない(設計が作品依存)

映像制作は、トップにいる監督がその作品の方向性やスタッフ選定、制作方法などを設計して進めるのが一般的である。その作品ごとのつくり方に応じて、システムも形を変えていく。だが、作品が世に出た後はそのシステムづくりはクローズされてしまうため、各プロジェクトが分断され、ノウハウがずっと蓄積されてこなかった。

課題2 リソース不足(兼務SE)

いわゆるシステムエンジニア不足である。アニメ業界をはじめとする映像制作業界では、クリエイティブ人材の採用を中心にリソースを割くため、システムに対するエンジニアリングソースの割き方がおざなりになってしまうことが多かった。

課題3 体系化された設計思想がない(実績不足)

システムエンジニアリングの経験者リソースが潤沢でないため、そもそも良いシステムをつくることが難しく、改善も困難。

すべては作品を完成させるために。エンジニアリングシステムのビジョンづくり

鈴木氏は上記に挙げた課題を踏まえ、3つのビジョンを作成した。

「これは映像制作スタジオでは当たり前のことですが、作品の完成に貢献すること。作品ができなければスタジオ運営はできないので、まずはその作品の完成というところを主眼に置きました」

  • クリエイターが安定的に創作活動に専念できる環境を整える
  • ・担当者が変わっても単独作品に依存しない、永続性のあるシステムを計画し創造する
  • なめらかに変えるしくみづくり

「なめらかに変える」とは、いきなりドラスティックにプロセスを変えるのではなく、クリエイティブ領域にハレーションを起こさないように、なるべくなめらかにデジタル化を進めていきたいという鈴木氏の狙いによるものである。

その鈴木氏の想いを表す言葉として紹介されたのは、デジタル庁が発表したデジタル社会の実現に向けた重点計画の一文「誰一人取り残さない、人に優しいデジタル化」。

アナログからデジタルに変換していく上で意識することとして、「生じる波を打ち消さず、標本化し『合成』する」と表現し、アナログとデジタルの「A/D変換」に例えて説明を行った。

「アナログとして主張する波と、デジタルとして主張する波が存在し、双方の主張と特徴を合成する役目がコンバーターであるエンジニアだと捉えています。私的には、アナログとデジタルの相互変換こそが、なめらかなDXなのではないかと考えております

ハレーションを起こさず、緩やかな変化を進めることが、エンジニアの役割として今後は重要になってくると鈴木氏は語っている。

ツール導入・データ管理。「なめらかなしくみづくり」の象徴的な施策を紹介

具体的な施策もいくつか紹介された。その基本的な考え方としては、「計画を立てて会社の承認を得る。予算を得たらシステムを構築する」ことだと鈴木氏。

「システムを運用するためのポリシーを定め、そのポリシーに準じて作業するために、必要なツールを導入したり、導入した施策がきちんと効果が出ているかチェックを回していく。その上で視聴者の皆様に、最高の作品を届けるという点を念頭に置いて設計しました」

施策1:ツール導入

1つ目の施策はツール導入である。アニメ業界ではまだシステム化が進んでおらず、アナログな手法に頼るところが多い。そこで、SaaS製品などを導入し、デジタル化を進めた。これは結果的にコロナ禍のリモートワークの素地にもなったという。

具体的には、Slackのようなリアルタイムでコミュニケーションできるチャットツールや、映像制作で使うマネジメントツールShotGridの導入などの導入を行った。

施策2:創作データの管理

2つ目は作品の中核を成す創作データの管理。アニメ業界では、フルデジタルで作画のプロセスが完結するところが増え、膨大化するデジタルデータをどう保管するかは、ますます重要な課題になっていく。

現在カラーで保存されているデータ量でいうと、エヴァンゲリオンシリーズや他の作品を含めると1PB以上にもなるという。3Dアニメのモデルアセットデータや部品素材を管理するフォルダ構成やデータベース管理には、管理コストや消失リスクなどかなりの課題が存在した。それらをシステム面で改善するために、複数の施策を打ち出した。

インフラ的なアプローチでは、まず分散してしまいがちなストレージを集約する。DELLの「EMC Isilon」という、増やせば増やすほど速くなるというスケールアウトストレージを採用して、遠隔バックアップする。仮に東京の拠点が災害に遭って運用が難しくなっても、ディザスタリカバリで別の拠点のデータを利用できるというメリットもある。

施策3:オープンソースへのコミット

3つの目の施策は、オープンソースツールの導入を積極的に行ったこと。「Blender」という3Dの制作ツールは、Blender財団によりオープンソースでつくられている。カラー並びにスタジオQは、2019年にこのBlender財団が運用している開発基金に対して賛同し、今後の作品制作について積極的に活用するよう、コミュニティへの寄付を行っている。

「スタジオQではさらにオープンソースのコミットを行い、そのブランチがメインに取り込まれて、世界中の皆さんに触っていただける状況に至りました」

さらに2021年の秋には、「Tools:Q」というBlenderのソフトウェアのアドオンを開発し、GitHubで公開している。学生にも利用してもらえるオープンソースへのコミットを通して、若い世代のクリエイター育成につなげ、より多くの人にアニメ業界に参加していただくことを願っていると鈴木氏は熱く語った。

施策4:リモートクリエイティブの推進

4つ目の施策はリモートクリエイティブの推進。2020年のコロナ禍において、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が絶賛制作中にもかかわらず、カラー全体で7~8割の接触機会を減らすべく、リモートワークを導入せざるを得ない状況となった。

SaaS製品の導入などで、リモートワークの素地はできていたというものの、まだまだスタジオでの作業が必要な業務は多々あった。そこでさらに取り組んだのが、5Gの回線を利用し、リモートPCから液晶ペンタブレットでスタジオのPCにて作画するプロセスづくりである。

デジタル作画+リモートワークの推進によって、今後さらに今回のようなパンデミックが起きた際に、柔軟に対応できる仕組みを再構築したという。液晶ペンタブレットメーカーのワコム、カラー、リモートソフトウェアを提供するSplashtop(スプラッシュトップ)、NTTドコモの4社で、高速低遅延な5Gの通信を使って画面共有転送する実証実験を行い、成功したことも紹介された。今後もチューニングを続けていくとのこと。

エンジニアリングは場所を選ばない。思い立ったら旅をしよう

どの業界でも言えることだが、アニメ業界においてもエンジニアが不足している。鈴木氏は「テクノロジーは業界の垣根を越えて抽象化されており、エンジニアリングは場所を選ばない」と語る。どの業界にも専門知識は必要であるものの、セキュリティに関する知見、システムへの投資評価の考え方など、すべてに通用するスキルもたくさんある。技術スキルという業界を行き来するために「パスポート」を手にして、アニメ業界にも「旅」してほしいと訴える。

「今は雇用の流動化が進んでいる。転職はもちろん、副業のようなスタイルでも構わないので、旅感覚で皆さんの技術的な素地を発揮していただきたい。アニメや映像に興味がある人、アニメ業界のDXに携わってみたいと考えている人は、TwitterにDMを投げてほしい」と呼びかけた。

最後に鈴木氏は尊敬する発明家であり東京電機大学初代学長の丹羽保次郎氏が『若き技術者に贈る』に書かれた言葉「技術は人なり」を引用してセッションを締めくくった。

「いいシステムはきっといい人格のもとにできるはずです。映像制作業界のみならず、今やすべての業界にITが浸透してきて、これからも各業界に、ITによるトランスフォーメーションが起き続けていくと思います。その過程において、良きエンジニアによって良きトランスフォーメーションができるように、試行錯誤しながら尽力していきたいと思います」

文・馬場美由紀

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