2022年3月3日
ITジャーナリスト
生活とテクノロジー、ビジネスの関係を考えるITジャーナリスト、中国テックウォッチャー。著書に「Googleの正体」(マイコミ新書)、「任天堂ノスタルジー・横井軍平とその時代」(角川新書)など。
中国浙江省杭州市は、「渋滞の都」として有名だった。それはわずか5年で、中国都市の交通渋滞ランキング3位から57位にまで改善した。
その決め手となったのが、アリババのクラウドサービス「阿里雲(アリクラウド)」上の公共サービス群「城市大脳(シティブレイン)」の活用だった。交通量を測定して、それに合わせて交差点の明滅サイクルを調整する。複数の交差点の情報を機械学習を用いて解析し、エリア全体で車両の平均速度を上げることに成功した。シティブレインはアリババだけでなく、百度、テンセントも同様のクラウドサービスを運用している。中国では500以上の都市が検討/導入し、スマート都市の構築を目指している。
クラウドサービスというと、多くの人がAWS(Amazon Web Service)を最初に挙げ、それに続くのがAzure(Microsoft)、GCP(Google Cloud Platform)という認識だと思う。そんな中で、世界第4位のシェアを誇っているのは中国のアリババが運営する「阿里雲(アリクラウド)」だ。
アリクラウドが最も活躍するのは、毎年11月11日の独身の日セールだ。アリババのEC「タオバオ」「Tmall」が始めたこのセールは年々拡大し、2020年のピーク時には、毎秒58.3万件の決済トランザクションが発生した。これを遅滞なく処理したのがアリクラウドだ。10月に入るとアリババのインフラエンジニアは、セールの日までほぼ泊まり込み状態になると言われているが、この常識を超えた規模のセールが、アリクラウドを鍛えていったことは間違いないだろう。
アリクラウドが活躍するもうひとつの舞台は公共サービスだ。市政府などと提携して、公共の役に立つサービス群をアリクラウド上で動かす。コロナ禍下注目されたのが新型コロナの拡散対策として開発された「健康コード」だ。健康コードは、個人のスマートフォンの位置情報履歴から、新型コロナのクラスター発生箇所に立ち寄ったかどうかをチェックして、感染リスクを「緑」「黄色」「赤」の3レベルで評価をする。健康コードが黄色や赤になった場合、地下鉄やバスの公共交通を利用することができなくなる。これにより、感染リスクの高い人の外出を制限し、感染リスクの低い人で経済活動をするという予防と経済の両立をねらったものだ。
浙江省の杭州市では2020年2月11日から「健康コード」の運用を開始した。新型コロナの感染拡大が始まってわずか2ヶ月で運用できたのも、都市行政の基盤としてアリクラウドが導入されているからだ。
このようなアリクラウド上の公共向けサービス群は「シティブレイン」と呼ばれている。市内に存在するIoT機器のセンサーから情報を吸い上げ、クラウドで処理を行い、命令をくだす。人間の「感覚神経→大脳→運動神経」のような仕組みであることから「シティブレイン」と呼ばれる。
シティブレインにどのようなサービスを実装するかは、都市が抱えている課題によって異なる。杭州市の場合、その最大の課題は交通渋滞だった。2017年7月からシティブレインによる交通渋滞解消の試験運用が始まり、当時の杭州市は全国の渋滞ランキングで第3位という渋滞都市だった。
杭州市は長い歴史を持つ古都で、市の中心には日本人にも馴染みのある観光地の西湖がある。この東側に旧市街、北側に新市街が広がり、南は丘陵地、西は山地という地形だ。つまり、ほぼすべての移動は西湖の周遊道路を通ってしまう。これにより、激しい渋滞が常に起きている街だった。
この課題を解決するために、杭州市とアリクラウドのシティブレインチームが協力して解決策を打ち出した。まず、最初に手がけたのが、「今、この瞬間、何台の自動車が道路を走っているのか」ということを正確に知る手段を手に入れることだった。当時の杭州市の自動車の保有台数は298万台というデータがあったが、そのうちの何台が路上に出ると渋滞が起きるのか、誰も正確に知らなかった。
この基礎データを収集するためにシティブレインチームは交通監視カメラの映像を使ったのだ。主要な交差点には、監視カメラが設置され、渋滞と事故をいち早く発見するために交通警察のセンターで一覧ができるようになっていた。
すべての監視カメラ映像を2分に1枚取得し、ディープラーニングの物体検技術を利用して車両の数を数える。監視カメラの映像にすべての自動車が写るわけではないが、交差点の位置関係から、現在路上を走行している車両台数がかなり正確に推定できるようになった。
すると、路上に出ている車両台数が20万台を超えると渋滞が起こり始め、30万台に達すると市内全域が麻痺状態になるということが明らかになった。全体600万台近くある中で、わずか数万台の増加で渋滞が起こるのだ。渋滞を防ぐには、路上に出ている車両台数を20万台以下に抑える必要があることがわかった。
路上の車両台数を低く抑えるには2つのアプローチがある。ひとつは新しく路上に出てくる流入量を制限することだ。中国の大都市では、ナンバーの末尾の偶数/奇数により、日によって中心部に入ることができない流入制限を実施している。ただ、市民の利便性を著しく低下させてしまうこちらの方法では、良い手段とは言いにくい。
もうひとつのアプローチが、路上に出ている車両をできるだけ渋滞エリアから出すことだ。自動車を運転する市民は、スーパーに行きたい、会社に行きたいという何らかの目的を持っている。この目的を達すれば、その車両は駐車場に入り、路上から消えてくれる。つまり、最も効果的なのは、信号の待ちを含めた平均走行速度を上げ、多くの車両が早く目的を達成して、路上走行から離脱させることで、路上走行台数を低く保つことだ。
シティブレインチームは2017年7月に、杭州市で最も渋滞がひどい道路を中心に、32の交差点の交通信号の明滅サイクルを最適化することにした。
シティブレインチームが最初に行ったのは、南北道路と東西道路が直行する交差点に着目して、信号待ちの時間を短縮させることだった。南北道路は渋滞をしていて信号待ちをする車両が列をなしているが、東西道路は空いている。この場合、混雑をしている南北道路の青信号時間を長くして、空いている東西道路の青信号時間を短くすることで、交通の流れをよく調整している。
南北道路も東西道路も渋滞をしている場合は、隣接する交差点の交通信号の明滅サイクルを調節して、課題となる交差点に流入する車両数を絞る。1つの交通信号を最適化するだけでなく、それに関連する交差点の交通信号を同時に最適化していくことが求められる。
交通監視カメラ映像から車両通行数を推定するだけでなく、バスやタクシーのGPS情報から平均速度や通行ルートを取得し、直近の交通量予測を行うモデルを構築した。さらに、機械学習により各交差点の交通信号の明滅サイクルを最適化するモデルを構築し、15分ごとに交通信号の明滅サイクルを交通量にしたがって切り替えるシステムを実現した。これにより、もっとも渋滞がひどい中心道路の渋滞時間は8.5%減少した。
さらに、ビジネスパークなどがある「蕭山エリア」では、208ヶ所の交通信号に対して同様の最適化を行った。施策の結果、この地区の車両走行の平均速度は2%ほど上昇した。
杭州市は2018年に中心の3エリア全域、1300ヶ所の交通信号を最適化し、これにより中心部の渋滞は大きく解消された。2019年にはさらにエリアを拡大し、杭州市ほぼ全域をカバーし、交通渋滞ランキングが第3位から第57位に改善するという成果に結びついた。
交通渋滞解消に行ったのはこれだけではない。同じく大きな役割を果たしたのは「緑の波」という取り組みだった。杭州市では1日に500件の交通事故が起きる。その大半は接触事故で負傷者もいない軽い事故だが、事故処理をする間、車線を塞ぐ。これが交通渋滞を一気に悪化させる。
そこで、交通監視カメラから、画像解析で交通事故を発見するモデルを構築した。交通事故が発見されると、その事故レベル判定、負傷者の推定人数などが、警察や消防署に自動通報される。このシステムにより、当事者が電話で通報するよりも早く事故を察知し、緊急車両を現場に急行させることができる。警察車両、救急車が現場に向かうルート上の信号は、シティブレインの指示によりすべて青になる。
この「緑の波」をつくることで、緊急車両の前方車両が先に進み、道路が比較的にクリアな状態で走れるため、現場への到着時間が大きく短縮される。これにより、交通渋滞の原因となる事故車両の処理は迅速に行われ、交通の流れが回復するのだ。
杭州市のシティブレインは交通渋滞を解消するために、路上走行台数への流入を制限するのではなく、流出量を増やすという発想は、交通渋滞を減らすとともに、市民の利便性を高めたことで高く評価されている。
このシティブレインシステムは、周辺にある上海市や蘇州市、成都市、さらに、マカオ、クアラルンプールにも導入されている。また、同様な機能を実現できるという百度開発の「シティブレイン」やテンセント開発の「WeCity」も同様の公共クラウドサービスを展開し、さまざまな都市に導入され、スマート都市構築に貢献をしている。
中国では500以上の都市が、すでにスマート都市の実行計画を策定、実行している。クラウドが中国の都市を変えようとしている。
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