2025年1月17日
ITジャーナリスト
生活とテクノロジー、ビジネスの関係を考えるITジャーナリスト、中国テックウォッチャー。著書に「Googleの正体」(マイコミ新書)、「任天堂ノスタルジー・横井軍平とその時代」(角川新書)など。
中国ではチャイナリスクの影響で資金調達が難しい状況が続き、以前のようにはスタートアップ企業が登場してこなくなっている。しかし、そこを突破してユニコーンに成長する企業が中国の起業志望者からお手本として注目されている。今の起業家には、セルフプロディース能力がより求められるようになっている。
スタートアップの楽園時代は終わった。
情熱だけは人一倍ある大学生が3人集まって、お祭り騒ぎをしていると投資家が寄ってきて、事業が軌道に乗るとプロの経営者が後を引き継いでくれる。中国でもこのような神話は2022年頃に完全に終了した。
理由のひとつは、米国でユニコーン企業の大型破綻が相次いだことだ。シェアオフィスのWeWorkを筆頭に、建設テックのKaterra、3Dプリンター住宅のVeev、トラック輸送のマッチングサービスConveyなどが次々と破綻をした。これにより、投資家たちは成長性よりも確実性を重視するようになっている。
この米国の状況にシンクロするように、中国でも投資家心理が変わってきている。
2021年には中国のユニコーン企業24社が米国などの証券市場に上場をし、公開日初日の終値によると、企業価値合計は3641億ドルになった。1社平均では約150億ドル(約2.3兆円)になる。ところが、2023年には19社が上場をし、企業価値合計は649億ドル、1社平均では約34億ドル(約5200億円)にしかならない。公開価格が低いだけでなく、初日から下げる展開が多くなっている。米国の投資家たちは、中国企業に対して、チャイナリスクを感じるようになっている。米中貿易摩擦の動向が読めないために、ひとつの政策が業績に大きく影響することを警戒しているのだ。そのため、投資が集まらず、中国企業の株価の下落が続いている。
この流れで中国の投資家たちも、投資対象を絞り、時間はかかるが着実に香港市場や国内市場の上場を狙うような企業に投資をするようになっている。
このような状況の中で、スタートアップの形は大きく変わってきている。大きな変化は次の2つだ。
従来のスタートアップは、VC(ベンチャーキャピタル)や公的機関などが運営するインキュベータープログラムに参加をし、そこでデモイベントを通じて投資家を探していくというのが一般的だった。多くのスタートアップはビジネスアイディアだけを持っており、コア技術までは開発できていなくても問題がなかった。つまり、以前のスタートアップは情熱とアイディアさえあれば起業できる可能性があったが、現在では技術と資金を自前で何とかする必要があり、それができる人のみ起業することができるという状況になっている。
その中で、コア技術を保有し、資金調達を自力で行ったスタートアップとして、中国では3社が注目されている。いずれもユニコーン企業に成長し、起業を目指す人たちの教科書になっている。
テキスト型生成AI「Kimi」を開発した月之暗面(Moonshot AI)がその典型だ。創業者の楊植麟(ヤン・ジーリン)は、清華大学を卒業後米カーネギーメロン大学に留学し、博士課程を4年で修了。2018年の博士在学中に、清華大学の同級生たちと「循環智能(Recurrent AI)」を創業し、LLMの開発に取り組んだ。開発したLLM「盤古」がファーウェイに買収されたことが、大きなチャンスになった。
この頃、ショートムービーサービスTikTokや抖音で成功したバイトダンスの創業者、張一鳴(ジャン・イーミン)はChatGPTの登場に衝撃を受けていた。TikTokは、AI技術を使って、顔にぴたりと追従する動的スタンプや、誰でもイケメン美女に変えてしまう特殊効果が人気の鍵になっていた。このような効果には、さまざまなAI技術が使われていた。ところが、注意機構に焦点をあてた深層学習モデルのTransformerを使ったChatGPTや画像生成AI、ビデオ生成AIが次々に登場してきて、張は自分たちのAI技術が一瞬で古臭いものに感じられたという。
そこで張は、最先端のLLMの研究者たちに会い始めた。その中の一人が、楊植麟だった。張は個人投資会社を設立してまで楊に投資する意向を示した。こうして2023年4月、Moonshot AIが創業され、Kimiが公開された。Kimiは20万字までのプロンプトに対応をしており、複雑なプロンプトを記述することができる。学生やエンジニアなどに人気の高いテキスト型生成AIになっている。ファーウェイへのプロダクト売却、バイトダンス創業者の注目、すでにKimiというプロダクトが公開されているといった実績があるため、2024年になると、アリババ、テンセント、小紅書(RED)などの大手テック企業やVCが次々と大型投資を決めた。
中国のニコニコ動画とも言われる動画投稿サイト「bilibili(ビリビリ)」を媒介に起業をする者もいる。人型ロボットを開発している「智元機器人」(Agibot)だ。創業者の彭志輝(ペン・ジーフイ)は、ファーウェイの「天才少年プロジェクト※」で採用された秀才だった。
※ファーウェイの「天才少年プロジェクト」では、毎年、特筆すべき才能を持った若者を公募し、破格の報酬で採用するということを続けている。
一方で彭は、「稚暉君(ジーフイジュン)」の名前でビリビリで科学解説や「作ってみた」系の動画を投稿し、人気の配信主となっていた。そして、2021年6月に公開した動画「自転車を自動運転にしてみたよ!!」が中国国内だけでなく、海外にまで知られる人気作となった。たった一人で自立して走行する自転車を開発した記録だ。
使っている技術は、回転する金属製ホイールを取り付け、その回転数を変化させることで姿勢制御させるというもの。宇宙船などの姿勢制御にも使われ、リアクションホイールとしてよく知られている。しかし、稚暉君が独特だったのは、その開発手法だった。自分が所有している自転車のメーカーのサイトから図面データをダウンロードし、これをCADソフトに取り込み、必要な部品の設計を行った。そして、3Dプリンターに出力をして部品を完成させた。
また、大きな課題になったのが機械学習用のデータ取りだ。自転車を実際に走らせ、ホイールの回転と姿勢のデータを取り、これを学習させる必要がある。しかし、一人ではそのような走行実験を繰り返すのは負担が大きい。そこで、稚暉君はゲーム開発環境「Unity」を利用した。Unityはゲームの開発環境だが、精密な物理エンジンが搭載されている。近年のアクション系ゲームのリアルさを一変させた。この中に、自転車のCADデータと機械学習プログラムを入力し、Unity内の仮想空間で自転車を走行させ学習を進めたのだ。
自立して走行する自転車の技術そのものはさほど驚くべきような話ではない。しかし、3DプリンターやUnityを利用して、たった一人で完成させた、その手法に視聴者は驚かされた。
2023年2月、彭志輝は動画の中でファーウェイを退社して、人型ロボットを開発するAgibotを創業すると宣言した。動画を通して彼の発想力と開発力を知っていたVCはすぐにオファーを出し、後には新エネルギー車メーカーのBYDも出資をした。現在、Agibot社は人型ロボット「遠征A2」の量産と予約販売が始まっている。AIを搭載し、人間と音声によるコミュニケーションができるため、店頭での販売促進員や解説員、ホテルのフロント業務などができるという。
投資資金の獲得と人脈を得るためにVCに飛び込んだ者もいる。ロケット開発と打ち上げをする民間企業「東方空間(オリエンスペース)」だ。創業者の姚頌(ヤオ・ソン)は、大学卒業後に同級生とともに「DEEPi(深鑑科技)」を創業し、AI半導体の設計を行った。これが米半導体製造「ザインリクス」に買収をされ、一定の成功を見せた。
しかし、次に大きな起業をするには資金力に不足があったうえ、自分自身にはコア技術も人脈もないことを自覚していた。そこで姚頌は、VC「経緯中国」(Matrix)に入社し、投資をする側からさまざまな業界を見ようと考えた。
そこで出会ったのが宇宙ビジネスだった。米SpaceXの成長を見た姚は、このままでは衛星打上げビジネスはSpaceXに独占されてしまい、中国は宇宙開発競争から脱落してしまうと考えた。国家プロジェクトではなく、民間の宇宙企業の必要性を感じた。
姚頌はVCに所属していることを最大限に活用して、ロケット「長征11号」のチーフデザイナーにオリエンスペースへ加わってもらうことになった。さらにさまざまな投資家から投資を受け、政府系ファンドの投資も獲得した。また、スマートフォンゲーム「原神」で急成長したmiHoYo(ミホヨ)も投資をしている。
2021年にオリエンスペースを創業してから、わずか3年で最初の打ち上げに漕ぎ着けた。2024年1月11日、ロケット「引力1号」は山東省沖の海上から打ち上げに成功した。高さ29.5m、重量405トン、推力600トンという固体燃料ロケットとしては世界最大級のものだ。それも、船の上から打ち上げるというユニークな手法だった。船を打ち上げ基地にすることで、打ち上げ基地を建設するコストが大きく下げられる。また、打上げに有利な南方の海上に移動して打上げることも可能になる。
現在は、「引力2号」の打ち上げのために、液体燃料ブースターやブースター自動回収技術の開発を行っている。
2020年以前の起業はネットサービスが多く、極端に言えばパソコン1つあれば起業をすることができた。しかし、もはやネットサービスはレッドオーシャン化をしており、近年のスタートアップはハードウェアに移っている。そのため、大きな起業資金が必要となり、ここを突破できるかどうかが鍵になっている。起業をめざす者は、セルフプロディース能力も求められるようになっている。
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