【新連載・栗林健太郎氏】私がキャリア戦略をもたない理由と、結局は一番大事だと思う3つの考え方の話。

2023年10月10日

GMOペパボ株式会社 取締役CTO

栗林 健太郎

GMOペパボ株式会社取締役CTO、日本CTO協会理事。情報処理安全確保支援士(登録番号:013258)。東京都立大学法学部政治学科卒業後、奄美市役所勤務を経て、2008年より株式会社はてなでソフトウェアエンジニアとして勤務。2012年よりGMOペパボ株式会社勤務。現在、同社取締役CTO。技術経営および新技術の研究開発・事業創出に取り組む。2020年より北陸先端科学技術大学院大学に在学する社会人学生としても活動。

こんにちは、作家の栗林健太郎です。作家活動の一環として、GMOペパボ株式会社取締役CTOや一般社団法人日本CTO協会理事もやっています。本コラムでは「キャリアを創る思考法」というテーマについて、3回を通して、私のキャリアに関する考えを述べます。

私のこれまでのキャリア

冒頭で私の社会的な肩書について紹介しました。まずは、現在のその役割に至るまでについて、簡単に記します。

私は1999年に東京都立大学法学部政治学科を卒業した後、数年ほどぶらぶらしていました。就職難ということもあったのですが、実際には「就職」をすることに現実感がなく、特に何もしないでいただけでした。数年後、そろそろ職に就かねばということになり、地元の役所に入ることになりました。真面目な学生であったとは到底いえないものの、一応は法学部を卒業しており、また、本をよく読んでいたので、受かったのでしょう。

就職すると、毎月安定してお金が入ってくるようになりました。そんなわけで、パソコンを買ったりインターネットを始めてみたりといったことができるようになり、気づけばどっぷりハマり込んで、2008年以降はWebエンジニアとしてソフトウェアエンジニアリングを職業とすることになりました。2014年以降は、マネジメントにも携わるようになりました。その他にも、日本CTO協会の理事をやったり、社会人大学院生としても活動していたりします。

なぜこの文章を書いているのか

定職についたら安定してお金が入るようになったので、機材と環境への初期投資ができるようになり、そこからこの世界にどっぷりはまり込んだわけです。それでインターネットで遊んでいたら、それが職業になりました。そうしているうちに、ひょんなことからマネジメントを担うことになり、あれこれやっているうちに別の立場でも仕事をするようになったり、学生をまたやることになったり、ともあれ紆余曲折して今があるわけです。

つまり、特に何か戦略なり努力なりがあって今のようなことをしているわけではないので、私などがキャリアについて何かを語れるということはないように思います。意識高く自分のキャリアを戦略的に考え、積み上げてきたとかそういうタイプではないのです。一方で、そんな私にだからこそいえることが何かあろうということもあるのでしょう。私にこのような原稿の依頼があったのは、そうした背景があったのだろうと推察します。

私自身、現在のキャリアに何か満足を覚えているということはまったくなく、今後やりたいことややるべきことが山積しているという状況です。そうしたことからも、読者の皆様に対して何か偉そうに物申すという立場ではありません。一方で、何かしら書いてくれという依頼があるということは、私が何か書くことによってそれが役立つ可能性があると考えられているという事実はあろうかと思いますので、恥を忍んでこうして書いているわけです。

そもそもキャリア戦略とは何か

この文章をお読みになっている方は、ご自身の「キャリア」を今後どうしていくべきか=キャリア戦略についてご関心があるのだろうと推察します。

「キャリアについて考えたい」という時、人は何を目的にしているのでしょうか。キャリアとは仕事に関することだけではなかろうとは思いますが、ここでは仕事を通じてどうキャリアを築いていくかという問題に限定して考えることにしましょう。

仕事を通じてのキャリア戦略とはすなわち、将来の不確実性を低減し、生涯を通じて得られるリターンを最大化することが目的なのだろうと思います。とすれば、戦略における課題を次の3つの問題に分解できます。

このコラムでは、tips的なことや私自身の狭い経験ではなく、原理・原則についてまず見ていきたいと思います。

そもそも、不確実性とはなんでしょうか? 近接する概念である「リスク」という言葉を補助線にして考えてみましょう。どちらも将来に起こり得る事態についての見方という意味では同じです。ここでいうリスクとは、将来の出来事について、どのようなことが起こり得るのか、そして、それが起こった場合にどのような結果がもたらされるかある程度想定できるような、そんな類の将来の可能性を意味します。

一方で、ここでいう不確実性とは、そもそもどのような出来事が起こり得るかが明らかでなく、したがって想定外の事態が起こった場合に、どのような結果がもたらされるのかも推し量ることが難しいということを指します。つまり、想定し得るリスクの集合の外にあり得る、将来起こり得る出来事とそれがもたらし得る結果についての、現在のわからなさを「不確実性」とここでは呼んでいます。

不確実性がもたらす本質的な困難

では、そのような不確実性について考えることが、キャリア戦略にとってどのような意味があるのでしょうか。実際に、キャリアにおいて結果的に重要だったことが、ある時点においては起こり得るのかがわからない、そういうことは普通にあるわけです。たとえば、1976年生まれの私にとって、Webが発明された1989年、インターネットが日本で一般化した1995年はそれぞれ歳若く、今のような仕事をしていることを想定することは難しいことでした。

この文章を読んでいる皆様にとっても(もちろん私にとっても)、そうしたことは今まさに水面下で進行しているのかもしれません。昨年末のChatGPTの登場以来、AIが大いに隆盛していることは触れるまでもないことでしょう。現時点では起こり得ると想定することが難しい職業や働き方が、将来普通になっているとか、自分がそうしたことに従事しているということは、普通にありそうなことだけはわかります。しかし、それが具体的に何かはわかりません。

このことは、キャリア戦略にとって本質的な困難をもたらす事態ではないでしょうか?私たちはキャリア戦略の目的である「将来の不確実性を低減し、生涯を通じて得られるリターンを最大化する」ことの前段を、そもそも果たし得ないということなのですから。考えるべき対象がリスクについてなのであれば、論理的に想定し得ることは多いでしょう。しかし、知り得ないことについて想定することはそもそも不可能なわけです。

キャリア戦略=向こう見ずな跳躍?

巷に溢れるキャリア論は、そうした事態についてどのような回答を与えてくれているのでしょうか。私は寡聞にして詳らかにしませんので、その答えを持っていません。もし、そうしたキャリア論というものが、ある種の人々のこれまでの来歴から導き出された教訓であったり、tips的な内容であったりすることが多いのだとすれば、それはキャリア戦略に困難をもたらす不確実性に対処するに際して、どれほど役に立ち得るのでしょうか。

エンジニア界隈で時折話題になるような、どの言語が稼げるとか、どのような技術を学べば高収入を得られるだとか、そういう事柄もまた、同様の疑念を免れないでしょう。もちろん、2〜3年のような短期的なスパンであれば、ある程度高確率で予想できることはあるでしょう。しかし、我々がここで議論しているキャリア戦略とは、もうちょっと長いスパン、もっといえば人生の多くを占める職業生活をどう生きるかという話でしょう。

もちろん、そうした状況下においても、知り得る情報をできる限り収集して何らかの判断を下して、我々は生きているわけです。しかし、それは本質的には博打に他なりません何が起こり得るのかわかり得ない以上、その期待値がどれほどのものかもわかりません。足元の情報で将来を予測し、自分のキャリアを選択しているつもりになったとしても、それは本来あるべきキャリア戦略という全体像からすれば向こうみずな跳躍に過ぎないわけです。

ではどうしたらよいのか?

では、どうしたらよいのでしょうか。いままさに皆様と同様、キャリアの途上にある私自身には、そんなことは分かりようもありません。ではどうしようもなく、ただなりゆきに身を委ねる他ないのでしょうか。それはそれでひとつのあり方だろうと思いますし、自分自身はどちらかというと、そのような態度で生きています。これまでもそうであったように、これからも気のおもむくままにあれこれと楽しんでいくことで生きていくのでしょう。

それではキャリア戦略のそもそもの目的である「将来の不確実性を低減し、生涯を通じて得られるリターンを最大化する」ことにはならないのではないか、と思われる向きもあろうかと思います。その通りです。私には、そうした意味でのキャリア戦略はありません。ですから、私のようなものがこのような文章を綴ることについて、長ったらしいいいわけを冒頭から書いているわけです。そのあたりは私の誠実さの証ではあろうかと思います。

一方で、ではどうしようもないのかというと、必ずしもそうではないのではないかとも思います。どういうことか。それは、先行きが見えないにしても、将来においても有用であり、かつ、変わらないことはあるはずで、そうしたことを実践するのが普通に考えれば良い選択になり得る可能性が高いのではないかと思うわけです。ではそれは何なのか。常識的に考えられるのは、こんなことです。

  • ・これまで普遍的に通用してきたスキルを身につける
  • ・目の前に現れたことを選り好みせずにとりあえずやる
  • ・失敗しても自分が楽しいと思えればいいことをする

もちろん、これらの実践自体も将来においてどれほど有用なのかわからないことではありますが、指針にはなり得るかもしれません。もっと端的には、知り得ないことが起こった時にいち早くキャッチするためには人との繋がりが重要でしょうから、誰とでも仲良くなれるとか、どんなことが起こっても楽しく暮らせるようになんでも楽しめるようになるとか、そんなスキルを身につけておくのが結局は一番なんじゃないかと思ったりもします。

おわりに

そんなわけで、第1回目の本コラムでは「キャリア戦略」について、そもそもそれがどういうことなのかという原理・原則から考えてみました。皆様の思考を何かしら刺激できていたとしたら幸いです。

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