エンジニアにとっての成果とは「いいコードを書くこと」——エムスリーVPoEに聞く、エンジニア組織のパフォーマンスを最大化する「評価」のあり方

2024年9月11日

河合 俊典

高専卒業後、大学院へ進学し機械学習のアルゴリズムに関する研究に従事。大学院卒業後はSansan、Yahoo!JAPANにて機械学習に関連したシステム構築やリーダー経験を経て、2019年2月よりエムスリーに在籍。 AI・機械学習チームにて、機械学習アルゴリズムの実装からインフラ構築、事業横断でのデータ分析等を行った。その他、エムスリー内外の各種イベントの企画、登壇、エムスリー テックブック3(技術書展11)の寄稿といった技術プレゼンス活動にも貢献。 2023年5月エムスリー 3代目VPoEに就任。国内数名のGoogle Cloud Champion Innovator (AI/ML)を務める。

「エンジニアの成果をどのように評価するべきでしょうか?」

多くの開発組織が頭を悩ませるこの質問。そんな難問に対して、「エンジニアが自らが理想的なコードを書き、そのコードが『どれだけ事業に貢献する良いコードなのか』を評価することが重要だ」と答えてくれたのは、エムスリー株式会社でVPoEを務める河合俊典さんです。

理想論のようにも思えるような回答ですが、エムスリーはいかにしてそんな「理想」を現実のものにしているのでしょうか。同社における「エンジニアにとっての成果」の捉え方とその評価方法、そしてエンジニアのパフォーマンスを最大化させるための組織設計について聞きました。

コードとその評価の「属人性」を許容する

——エンジニアにとっての成果や成果を評価する方法について、河合さんはどのように捉えていますか?

河合:エンジニアの成果をどう捉え、どう評価するかは会社それぞれの考え方があると思いますが、エムスリーでは「いいコードを書くこと」や「いい設計を行うこと」など「いいエンジニアリングをすること」がエンジニアの成果だと捉えています。そして、「エンジニアがエンジニアを評価する状態」を目指しています。

私もエンジニアとして長く働いていたのでわかるのですが、いいエンジニアは、誰に認められなくとも、社会から高い評価を得られなくとも「ただ黙々とコードを書いているのが楽しい」という人が多いんですよね。

そこが「エンジニアをいかに評価するか」という問題のポイントになると思っています。「ただ楽しくエンジニアリングをしていたら、より高いスキルを持っている人がやって来て『君が書くコードは美しい!いいね!』と評価してくれる」、評価受けるエンジニア視点で突き詰めると、それが理想の評価方法なのではないかと思っています。「好きなことを必死にやっていたら、自然と評価された」ということが理想状態であるという意味では、アーティストやスポーツ選手に似ているところもあるかもしれませんね。

▲エムスリー株式会社 VPoE 河合俊典氏

——メンバーが書いたコードが「いいコードか否か」を判断するのはマネージャーなど、評価者のみなさんですよね。とすると、評価自体も属人化してしまうのではないでしょうか。

河合:そうですね。一人ひとりのマネージャーがしっかりと「いいコードか否か」を判断できることが大前提にはなります。「いいコード」とは、事業としての課題やその時点までの経緯や状況を加味し、未来を見越した柔軟で堅牢な設計に落とし込まれているコードです。

みなさんご存知の通り、そこにはさまざまな事情が絡みます。エムスリーのマネージャーには、コードに紐付けた事業貢献金額を評価基準の一つにしている人もいますし、技術負債を解消したことやそれらにつながる行動を評価する人もいます。あえて明確な評価基準などは設定せず、評価基準すらも属人化することを許容しているのです。

何らかのフレームを設けて、それに則って評価をすることは、マネジメントする側の負担を軽減できますし、そのフレームは事業や組織を動かすテコとしても活用できるので、メリットもありますよね。一方で、そういった評価制度はエンジニアの性質とはマッチしないことも多い。言い換えれば、モチベーションを喚起することにはつながらないのではないかと思っています。

エンジニアには「いいコードを書く」ことに集中してもらいたいと思っているから、私を含めたマネジメント層が、エンジニアの書いたコードが「どれだけ事業に貢献したのか、今後どれだけの貢献が見込めるのか」をディスカッションし、その数値化に向き合っているという感じですね。

——マネジメント層はコードを評価することで、メンバーにエンジニアリングに集中できる環境を提供しつつ、メンバーのエンジニアリングスキルとビジネスの橋渡し役を担っているようなイメージでしょうか。

河合:橋渡し役というよりは、みんなが自然と橋をつくれるよう支援する役割に近いですね。エンジニアとしてエンジニアの本分たる「いいコード」「いいエンジニアリング」を実現しようとしていたら、いつの間にかビジネスとの橋も出来ていた、みたいな(笑)。

組織全体が技術とビジネスのどちらかに偏ってしまっては、結局いいプロダクトはつくれないと思っています。技術に偏りすぎてしまえば、おもしろいものはつくれるかもしれませんが、目の前の顧客の課題は解決できないでしょう。一方で、ビジネスに偏りすぎてしまえば、業界を根本から変えるプロダクトはつくれません。エンジニア組織全体としては、技術とビジネスの間でしっかりとバランスを取ることが重要だと考えています。「エンジニアの特性を生かしながら」そのバランスを取れているか、これが私たちが大切にしている評価制度の根幹です。

理想の環境を保つために「組織の急拡大」を避ける

——では、マネジメント層にはビジネス的な視点も求められているわけですね。エンジニアがビジネス的な視点を養うためのポイントがあれば教えてください。

河合:エンジニアにとってコードを書くことは何よりも楽しいことですし、いくら「コードを書いているだけではなく、ビジネスのことも学ばなければならない」と言っても伝わらないことも多いと思うんです。そうではなくて、「『いいコード』を書くためには、ビジネス視点が重要な要素の1つになる」ということをわかってもらう必要があると思っています。

まずは、エンジニアとして技術を磨き、さらにその技術の価値を高めるために、ビジネスについても学んでいく。そういった学びのステップを踏むことが大切なポイントだと思います。土台がなければいいものづくりは出来ませんし、後から土台をつくるというのは難しいですからね。

——具体的にエムスリーではどういった取り組みが行われているのでしょうか?

河合:一例として、エムスリーには全社的にROI文化が根付いていて、これはエンジニア組織も例外ではありません。たとえば、自分が参加しているプロジェクトによってどれくらいの収益が見込めるのか、といった情報がすべてのエンジニアに伝わるようになっています

プロダクトマネージャーがプロジェクトシートを作成し、その中に予測される収益額や必要とするリソースを書いていて、エンジニアリングの工数はエンジニアと相談しながら算出しています。つまり、自らのスキルとリソースが、どれくらいの収益を生み出し得るのかを考える機会がたくさんあるわけですね。その中で「いいコード」を書こうとすると、収益に対する適切な工数感覚や技術選定における審美眼、ビジネスロジック自体を動かす方法が身についてくる仕組みです。

そういった環境だったからこそ、私もエンジニアとしてビジネス的な視点も身につけられたと思っていますし、いいコードを書くことを追求しながらも、ビジネスに触れるたくさんの機会がありました。引き続きこの環境をよりよい形でエンジニアに提供し続けたいと思っています。

——一方で、画一的な評価基準を設けないことにはデメリットもあると思うんです。画一的な評価基準を定めるということは、組織として目指すべき方向を提示するということでもあると思いますし、それを提示しないということは、エンジニアそれぞれが「私が思ういいコード」を書こうとするのではないかと。

河合:私たちはその属人性を許容します。むしろ、属人的なエンジニアリングでも構わないのでイノベーションを起こしてほしいというか、それぞれがそれぞれのユニークネスを発揮してほしいと思っていて。

この考え方の背景にあるのは、エムスリーのミッションです。私たちは「インターネットを活用し健康で楽しく長生きする人を1人でも増やし、不必要な医療コストを1円でも減らすこと。」をミッションに事業を推進しています。

このミッションを実現するためには、医療業界にイノベーションをもたらしていかなくてはなりません。この業界には長い歴史があり、積み上げられてきた素晴らしい文化が多くある中で、さまざまなレガシーも根付いている。

そんな業界を変えるためには、比喩的に言えば“ガラケー”を進化させるだけでは不十分だと思っています。「これまでの当たり前」を根底から覆すようなプロダクト、携帯電話の例えを続けるのであれば、“iPhone”を生み出さなければなりません。

そして、“iPhone”を生み出すためには、さまざまな技術を持ったエンジニアの力を結集させる必要がある。多様な個性を持ったエンジニアが、それぞれの力を最大限に発揮して初めて破壊的なイノベーションを起こすプロダクトは生み出されると考えています。

少し壮大な話をしてしまいましたが、兎にも角にもエンジニアの「こだわり」が事業を通して世の中を変えていくことを信じています。だからこそ、画一的な評価基準は設けず、すべてのエンジニアがひたすらに「いいコード」を追求できる環境を整えたいと考え、評価の軸にしているわけです。

もちろん、現行の評価制度はエンジニア一人ひとりが持つ技術のレベルが高く、卓越しているからこそ成り立っている側面もあります。また、こだわり同士の衝突も当然ありますが、「いいコード」やその先のイノベーションには必要な衝突であるとも思っています。

——エンジニアにとってかなり理想的な環境だと思うのですが、なぜそういった環境をつくれているのでしょうか?

河合:一言で言えば「この環境をつくることに一番時間を使っているから」だと思います。私もそうですし、山崎(エムスリー株式会社 取締役 CTO兼VPoP / エムスリーテクノロジーズ株式会社 代表取締役 山崎聡氏)も含め、メンバーが技術を追求するための環境を考えること、つくることに非常に多くのリソースを割いていて。

現在の環境を維持できなくなる要素については、一つひとつ徹底的に議論をします。

たとえば、組織の拡大について、属人性を許容し、一人ひとりが書くコードを丁寧に評価する現状の制度は、エンジニア組織が300人を超えた辺りからは別の形も必要だろうといった話もしています。それくらいの規模になると、やはり画一的な評価のためのフレームワークを導入したくなってしまう。

もちろん、仲間を増やしたいという気持ちはありますし、積極的に採用活動をしていますが、一気に組織を拡大してしまうと私たちが理想とする環境が保てなくなってしまうのではないかと。マネジメントチームでは、毎週かなりの時間を割いて「いかにエンジニアにとって理想的な環境を保ちながら、組織を拡大しつつ、イノベーションに至るのか」といった妥協しないための議論をしています。

その時間が、エンジニアの「いいコード」や「こだわり」を通して、事業をよくしていくのです。結果的に事業貢献の出来るエンジニア組織になる、というゴールを描けているからこそ、この環境がつくれていると言えます。

組織の独立性を守るために、組織の多様性を担保する

——いくら理想像を描いたとしても、それを実現することは簡単なことではないと思います。たとえば、エンジニア組織としては少数精鋭を保ちたいと考えていても、経営層から「もっと人数を増やすべきだ」と指摘され、その指摘を受け入れざるを得なかった、という経験をしたCTOやVPoEの方もおられるのではないかと。

河合:もちろんビジネス側のリーダーや経営陣の意見を参考にすることもありますし、常にしっかりとコミュニケーションを取っています。その上で、エンジニア組織の独立性を守るために最も重要なのは「成果を出し続けること」と思います。ここで言う「成果」とは、ビジネスに貢献することですね。エンジニア組織として高いROIを保って進んでいる査証があるからこそ、やりたいことができる。これに代わるものはないと思います。

そして、エムスリーのエンジニア組織がビジネス的な成果を出し続ける上で重要な役割を握っているのがプロダクトマネージャーです。エンジニアがこだわってつくる新しいプロダクトや機能の一つひとつが大きな価値を生むものであれば、それ以上にいいエンジニア組織はないなと。

実際、エムスリーの中でプロダクトマネージャーとエンジニアはとても近い距離にいて、前者がアイデアを生み出し、後者がそのアイデアを形にしています。なので、当然プロダクトマネージャー組織の採用やエンパワーメントも、CTO山崎と協力して実施しています。理想的なエンジニア組織をつくるための重要なポイントは、エンジニア組織の中だけにあるとは限りません。組織や業界情勢の全体から、ポイントを見つけ出して改善を繰り返していることが、組織の独立性を保てているポイントの一つになっていると思います。

——プロダクトマネージャーとエンジニアが起点となり、新たな価値を生み出すことにこだわっていると。

河合:そうですね。もちろん、プロダクトマネージャーに限らずビジネスサイドからの要望に応えることもあります。その際にマネジメントチームが意識しているのは、期待を超えるスピードとクオリティでアウトプットを返すこと。常に100点ではなく、120点、150点のスピードとクオリティで要望に応え続けることにこだわっています。期待しているROIを超えた時にこそ、ビジネス上の信頼は生まれやすいですからね。

そして、さまざまな組織からの期待を越えつづけるためには、やはりメンバーの多様性が重要なんです。信じられないスピードで90点のクオリティに仕上げる人も必要ですし、最後の5点にこだわってアウトプットを出す人も欠かせません。プロスポーツチームと似ていると言えるかもしれませんね(笑)。

さまざまなタイプの人がいるからこそ、さまざまな期待を越えることができると思っているので、組織の多様性はこれからも担保していきたいと考えています。

オタクカルチャーを参考に「技術でつながる組織」をつくる

——属人性を許容するということは、組織の一体感を損ねることにつながってしまう場合もあると思うのですが。

河合:一体感という意味では、私はエンジニア組織は「技術」でつながることが重要だと考えています。成果の出し方や仕事の進め方、あるいは組織に対する考え方などは一定ばらばらでもいい。「ものづくりが好き」という点でつながっていればいいのではないかと。

私はコミケ(コミックマーケット。毎年夏と冬に東京国際展示場で開催される世界最大の同人誌即売会)が好きでよく足を運んでいるんです。コミケっておもしろくて、アニメやゲームの同人誌を売っている人がいれば、プログラミングや軍事の同人誌もあり、それを買う人がいて、コスプレをしている人もいれば、コスプレイヤーの写真を撮っている人もいる。本当にいろんな人が集まっていて、やっていることもばらばらなのだけれど、「オタクカルチャーが好き」という共通点を持っている。経済効果もすごい高いんですよね。

そしてどのような関わり方だったとしても、不思議なことに全員が「今回も自分がコミケをつくってやったぜ」みたいな顔をして満足げに帰るんですよね(笑)。そこがコミケのいいところだと思っていて。

現在、私たちの組織にはおおよそ5人ほどで構成されるチームが20ほど存在します。それぞれのチームがやっていることは、ばらばらでもいい。でも、常に「技術」や「ものづくり」ではつながっていて、そのつながりを感じながら、すべてのメンバーが「自分が未来の医療やエムスリーという組織をつくっている」という自負を持っている状態が理想だと思っています。

結局のところ、私も含めてエムスリーのエンジニア組織のメンバーは「技術オタク」なんですよ。技術のことになるといつまでも話していますから(笑)。社内で定期的にLT大会や勉強会を開催していて、少し前に実施したオフラインでのLT大会では1時間でSlackに1,000以上のコメントが並びました。約100名の組織なので、平均すると一人10個は何かしらのコメントをしている。みんな、技術の話となるとそれだけ盛り上がってしまうんです。

このエンジニアに共通して存在する「好き」の気持ちを、いろいろなところとつなげていくのが私の仕事だとも思ってますね。

新会社設立によって、エンジニアキャリアの選択肢が大きく広がった

——2024年4月には、エムスリーテクノロジーズを立ち上げ、エンジニア組織を新設するという決断をされました。組織運営上、大きな選択だったのではないかと思うのですが、この選択の背景にはどのような狙いがあったのでしょうか?

河合:新会社設立の目的の1つは「グループ会社間の連携を強化し、シナジーを生み出すこと」です。現在、エムスリーには現在17カ国、132社以上のグループ会社があります。各企業が展開している事業を連携させることができれば、かなり大きなインパクトを生み出せる可能性があることはわかっていたのですが、これまではそれぞれに事業を伸ばすことを優先してきました。

今後、事業連携に力を入れていくにあたって課題になるのが、まさにエンジニアリングなんです。グループ会社の中には、成熟したエンジニアリング組織を持つところもあれば、もともと医療事業がベースでエンジニアリング組織が成熟していなかったり、エンジニアリングの力があれば、より大きな成果を出せる組織もたくさんあります。グループを横断して技術力の向上をサポートし、さらなる事業シナジーを生み出すことを目的に、エムスリーテクノロジーズを立ち上げました。

また、エムスリーテクノロジーズの設立によって、エンジニアのキャリアパスが大きく広がることになります。たとえば、グループ会社の中にはCTOがいない組織もたくさんあるので、そういった会社に入って実績を出すことで、将来CTOやVPoE、技術顧問になるようなキャリアもありえます。実際にエムスリーテクノロジーズ設立前から、グループ会社CTO輩出の実績もあり、ロールモデルを追いながら働く事も出来ます。

これまで、「CTOとして経営に参画しながらエンジニア組織を動かしたい」という希望を持つ人がいたとしても、エムスリー単体ではCTOのポストは1つしかないので、その希望を叶えることは難しかった。でも、エムスリーテクノロジーズが設立され、さまざまなグループ会社への出向という選択肢ができた今、その希望が叶う可能性は大きく広がりました。

——エンジニアのみなさんにとって、さらに魅力的な環境になったと言えそうですね。

河合:かなり刺激的な経験が積める環境になっていると思います。先ほど、エンジニアリングとビジネスのバランスが大事だというお話をしましたが、「エンジニアにとって大事なのは、技術力を養うことかビジネス視点を磨くことか」という議論は、これまで何度も繰り返されてきました。

現在のエンジニア市場は、かなり「ビジネス」に寄っているような気がするのですが、振り子のようなもので「やはり技術が大事だ」と言われるようになるタイミングが来ると思います。たとえば、急速なAIの進化が、そのきっかけになるかもしれません。

AIが発達し、簡単なコードであればすぐに生成できるようになる。その結果「エンジニアに求められるのは、じっくりと腰を据えていいものをつくり込むための高い技術力である」ということになるかもしれません。当然、よりビジネスに寄る、具体的には「コードはAIに任せて、それをビジネスにつなぐ力が重要である」と言われるようになる可能性もありますが。

いずれにせよ、エムスリーがエンジニアに求めるものは技術力であり、技術に対する愛であることは変わりません。技術が好きな人であれば、間違いなく楽しみながら働いてもらえると思っています。

企画・取材・執筆:鷲尾 諒太郎
編集:王 雨舟
写真:曽川 拓哉

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