【虎の穴ラボ】根っから小売文化の組織がエンジニアファーストに生まれ変わるまでの一部始終

2024年1月9日

虎の穴ラボ株式会社 CEO

野田純一

大学卒業後、受託開発の会社に入社。その後DeNAにてゲーム開発に関わったのち、GMOへ入社。アドテク開発や研究に取り組む。2016年に虎の穴ラボの前身であるユメノソラHDに入社し、当時新規事業だったFantiaの開発の傍ら、開発組織の環境整備やエンジニア採用に取り組む。2019年10月、ユメノソラHDのエンジニア組織が「虎の穴ラボ株式会社」として分社化し、CTOに就任。2023年9月より現職。

美少女のイラストに「エンジニア採用!」「今後もずっとフルリモート!」の文字が踊る。一度は目にしたであろう、あの個性的な採用広告の広告主は「虎の穴ラボ」。同人誌通販「とらのあな」を運営するユメノソラホールディングス株式会社から分社したエンジニア・クリエイター組織です。

現CEOの野田純一さんは元GMOのシニアエンジニア。ユメノソラにはエンジニア組織の立ち上げ・拡大をミッションに、最初はイチ社員として入社しました。しかし、入ってみてびっくり。「朝は社是の唱和」「店舗スタッフ準拠の雇用形態」など、フルリモートワークに象徴される今のエンジニアファーストな姿からは想像のつかない世界が広がっていたそう。

先進的なIT企業のシニアエンジニアとしてキャリアを歩んでいた野田さんは、なぜそんな茨の道に足を踏み入れたのでしょうか。組織に根付く文化をどうして変えることができたのか、出社回帰の流れもある中でなぜ「今後もずっとフルリモート!」と言い切れるのかなど、山ほどある気になっていたことを全部聞いてきました。

入って驚いた、「エンジニアライク」とは全く違う小売カルチャー

——GMOのシニアエンジニアだった野田さんが、なぜ虎の穴に転職を決めたんですか?

野田:私自身が、いわゆる「オタク」なんです。アニメや漫画、ゲームが大好きで、秋葉原も大好き。同人即売会にもよく行くし、ときには出展もするというような。それこそ転職のきっかけも同人即売会でした。アニメや漫画とITを掛け合わせた技術書をつくって売っていたら、アニメ関連企業向けイベントで登壇することになりまして。そこで知り合ったとらのあなの社員から「うちで働かないか」と声をかけられたんです。「とらのあな通販の内製化をしたいが、エンジニアがほとんどいない。本気でエンジニアを採用してなんとかしたいんだ」と。

私のような「オタク」からすれば、とらのあなは界隈では名の通った会社。「大好きな業界に関われるなんて面白そうだな」と、2016年10月に入社しました。

でも入ってみたら、それまでいた会社とは社風から何から全く違っていたのです。

——たとえばどういうところが?

野田:わかりやすいことで言えば、「平日勤務、土日祝休み」という雇用形態ではない。というのも、とらのあなは小売企業なんですよ。入社当時は完全に店舗が主体の会社でしたから、雇用形態も店舗で働く人と同じだったんです。

自分はほぼ1人目のエンジニア(正確には前任者がいたものの、野田さんと入れ替わるようにして退社)として入社したので、当時はエンジニアという職種自体もありませんでした

「エンジニアとして入社するなら土日祝休みだろう」と思い込んでいましたから驚きましたね。私はずっとエンジニアが多い企業に所属してきましたから、それ以外にもカルチャーの違いを感じるところは多々ありました。

——そんな中、野田さんが背負ったミッションは何でしたか?

野田:当時外注していたとらのあな通販サイトの内製化と、新規事業として前任者が開発をスタートしていたクリエイター支援プラットフォーム「Fantia」をリリースし、軌道に乗せること。会社として特に重要だったのは、すでに収益の半分を担っていた前者でした。

この時点でエンジニアは私ひとり。内製化するには、とにかくすぐに動けるエンジニアを採用しなくてはなりません。ですが前述のように、当時の社内環境はエンジニアにとってとても魅力的とは言えない状況でした。まずは業界の当たり前の水準にまで、環境を整える必要がありました

離職した社員も、会社を説得する材料に

——環境整備のために、具体的には何から手をつけたんですか?

野田:雇用形態を変える、給与レンジを上げる、書籍購入の補助を始めるなど、エンジニアを抱えるどこの組織もやっている当たり前のことから始めました。いきなりすべては変えられないので、表ではエンジニアの採用を進めつつ、裏で少しずつ環境整備を進めていきました。

——野田さんに制度設計の経験はあったんですか?

野田:いえ、もちろん初めての経験でした。今までに働いてきた会社はどれも、既に環境が整っていましたから。

当時は、なんの役職も持たないいちエンジニアの私が、既存の社員と全く違った制度をイチからつくっていくことができるんだろうかと、最初は戸惑いました。幸いにも経営陣は「エンジニアが必要だ」という明確な意思と、そのためにはある程度のことを許容するという考えを持っていました。そのおかげで、新しい制度をつくりたいとき、その必要性を根拠とともに経営陣に説明すれば、それがどんなに会社の風土と異なっていても承認してもらえたんです。

となると私がやるべきことは、エンジニアライクな組織をつくるにはどんな制度が必要なのかを明らかにした上で実装可能な形で経営陣に提案し、承認を得られたら制度を組織に実装していくこと。そのために他社の制度を調査したり、総務と調整したりと、順次進めていきました。

一方で、採用活動も開始していました。前職を退職するまでの数年間は新卒採用に携わっていたので、そのときの経験を生かして、中途採用の説明会を毎月開催しました。こうした取り組みによって、エンジニアが1人、また1人と入社してくれました。

また、Twitter(現X)での採用広告もいち早く始めました。当時はまだTwitterに採用広告を出している企業は少なかったのですが、Twitterには当社の事業に関心のある方が多く集まっているから宣伝効果が良いだろうと。出してみたら、これが当たって。そこから認知が拡大していきました。

他にもデブサミなどの大きなイベントには必ず出展するなど、考えられる手は全部打ちました。私自身がオタクでエンジニアだから、そうした人たちはどんなチャネルを見ていて、何が刺さるのかを熟知していたことが大きかったと思います。

——とはいえ、この時点では環境が整い切っていないわけですよね。それでもたくさんのエンジニアが入ってくれたのはなぜだと思いますか?

野田:とらのあなは同人業界ではトップ企業のひとつ。自分と同じように事業に共感して入ってくれる人が多かったと思います。そうした方々はとらのあなの事業のことをよくご存知なので、一般的なIT企業とは環境や文化が違うことも理解できたでしょうし、ある程度は許容してくれていたのではないかと。

とはいえ、あまりの文化の違いに辞めていく人もいました。でも、そうした残念な出来事も「現状のここがネックだからみんな辞めていくんです!変えないと採用できないんです!」と会社を説得する材料として、よりよい環境整備につなげていました。

——潮目が変わったタイミングがあるとすると、いつごろでしょうか?

野田:徐々に変化していった感じなので、これといったタイミングがあるわけではありません。

1つ挙げるとすれば、入社から2年後に通販サイトの内製化が完了したことでしょうか。当時とらのあな通販は会社の売上の半分を担っていました。このタイミングで「当社はエンジニアがいないと成立しない」という状況ができあがりました。

「今後もずっとフルリモート」を貫くために

——その後、エンジニア組織は「虎の穴ラボ」として分社することになるわけですが、この経緯は?

野田:とらのあなには全社で150人くらいの社員がいますが、エンジニア組織が40人弱くらいに育っていったことで、会社の中に「雇用形態も働き方も違う、別の集団」が出来上がりつつありました。そんな中、「同じ会社の中に待遇の違う人がいるのは本来おかしなこと。フレックス制度の導入など、これ以上雇用形態を変えるのであれば分社するしかない」と、総務に提案されたのです。

今後さらにエンジニアファーストの組織にしていくために整えていきたい福利厚生の中には、会社単位でないと申し込めないものもあります。たしかに分社した方が、さらなる環境整備も進めやすいだろう。そう決意して、今まで所属していた親会社であるユメノソラホールディングスから、エンジニア・クリエイター組織を「虎の穴ラボ株式会社」として分社化する形で切り出しました。

——分社化のデメリットについてはどう考えていましたか?

野田:分社した子会社が親会社の言いなりになってしまうと、想定していたほど自由に動けなくなってしまったりして、分社化した意味がなくなってしまうという懸念はありました。

ただ、当社の場合は、虎の穴ラボのトップである私が通販サイトと「Fantia」の責任者であり、どんなプロダクトをどうやってつくるのか、一貫して責任を持っていたのです。そのため、エンジニア組織が分社しても、本社と主従関係にはならないだろうと考えました。もちろん懸念が完全に払拭できたわけではありません。ただ、今後のエンジニア組織拡大、プロダクト拡大のためには、エンジニアの働きやすさ、採用のしやすさを優先して分社化に踏み込んだわけです。

——そこからフルリモートワーク導入など、環境整備が加速していくわけですね。

野田:分社したのが2019年10月で、直後にコロナ禍に突入しました。そのことが変革を促す大きなきっかけになりました。

当時参考にしたのは、古巣のGMOです。GMOが2020年3月にいち早くリモートワークに移行していたことから、私たちも同時期に、フルリモートワークの体制構築に向けて動き出しました。虎の穴ラボの社員がその名の通り「実験体」となり、先んじてフルリモートワークを導入し、うまくいったらユメノソラホールディングスのグループ全体に広げるという形でした。

そうしてフルリモートになると、今度は必ずしも関東圏に住んでいる必要がなくなることに気づきます。そこで次に始めたのが地方勤務制度と全国採用です。私自身も以前、アニメの聖地・沼津に移住しようとしたことがあり、社員にもそのように「聖地に住みたい」と願う人が結構いるのではないか、と。だとしたら全国どこでも働けるようにすれば、エンジニアにとって魅力的な選択肢の一つになれると考えたんです。

——フルリモートにしたことによる課題は?

野田:業務管理はやはり課題ですね。極力管理はしたくないと考えていますが、しなければならない局面はやはり出てきます。60人もいれば、全員が常にパーフェクトに働いているとは限らないですから。

——着々とエンジニアファーストな環境整備が進んだことが窺えますが、今は世の中ではむしろ出社回帰の流れが強いです。それでも「今後もずっとフルリモート」を貫くのはなぜでしょう?

野田:エンジニアの働きやすさを考えてフルリモートに振り切ったので、課題があったからといって出社に戻そうとするのではなく、どうすればフルリモートでうまくいくのか、という方向性で考えたいです。

そのための取り組みの1つとして、独自の作業管理システムをつくりました。簡単に言えば、自分が「何の作業に」「どれくらいの時間を費やしたか」を自己申告するシステム。ただし、このシステムの主目的は「社員の管理」ではありません。作業時間やアウトプットの可視化・記録により、社員一人ひとりが、自分自身の業務を分析して改善することがこのシステムの主目的であり、成長施策の一環として使ってもらっています。

一人ひとりが開発生産性を高める努力を徹底して継続していけば、生産性の低下を懸念して出社に戻す必要はなくなる。今後も健全に組織を拡大していくためには、社員一人ひとりが自分の業務を分析して、その数値に基づいてマネージャーが適切にフィードバックできることが、より重要になっていくのではないかと考えています。

会社を変える追い風は「経営陣の覚悟」

——駆け足で伺ってきましたが、小売文化が深く根付いた組織を変革するのは大変な道のりだったと想像します。野田さんはとらのあなのエンジニア組織が、なぜここまで大きく変われたと思いますか?

野田:エンジニア側も結果を出すこと、つまり売り上げ目標を達成し事業に貢献することにこだわっていて、その姿勢が経営陣にも信頼されていたことが大きかったように思います。

分社化し、事業との距離が遠くなってしまうと、本来はエンジニアとして、社員として貢献するべき事業の売り上げ数値が、頭から離れてしまいがちです。それが続いて開発による売上への貢献が見えなくなると、エンジニアとそれ以外の対立も深まってしまいます。そうならないために、「売上目標を達成することは、虎の穴ラボの存在意義でもある」として、エンジニア自身が事業貢献を自分事として捉えるべきだと常に伝えています。

こうした姿勢はあらゆるところで徹底しています。たとえばGitHub Copilotを導入する際にも「開発生産性を1.5倍にする」と、本社に対して約束しています。

思えば、私が入社した当時は実店舗と通販の売上高が半々の会社でした。「Fantia」も新規事業として動いていましたが、まだ売上はほとんどありませんでした。それが今は、実店舗の割合が大幅に減って、代わりに通販と「Fantia」が会社の生命線と言えるまでに成長しています。

——卵が先か鶏が先かみたいな話ですが、ちゃんと結果を出しているから環境を勝ち取れたとも言えるかもしれませんね。

野田:そうですね。あとは「古い会社」の空気は色濃く残っていましたが、経営陣が本気で会社を変えようとしていたことも大きかったです。

既存社員の待遇と大きく異なる制度をつくるとなると、いくら必要性を真摯に説明したとしても不満につながるリスクがあります。また、経営陣が持つ常識と、私の求める制度が違いすぎて戸惑うこともあったはずです。

それでもリスクを過度に恐れず、私の話やエンジニア業界の常識を理解しようと努め、「必要ならば」とGOサインを出してくれたおかげで、今の虎の穴ラボがあるんだと思います。

——なるほど。会社として「変わろう」という明確な意思があったからこそ実現できたということでしょうか。

野田:そう思います。私自身、こうした「話が通じる経営陣」でなければ、辞めてしまっていたでしょう。

こうした環境だったからこそ、組織づくりのために学んだこと、「これをやるべきだ」と考えたことをすぐに試すことができました。最初は「この状態から、自分ひとりでエンジニアライクな組織をつくって採用するのか…」と気が遠くなることもありましたが、組織のために必要なことを学び、考え、試すサイクルを回せるのが楽しくて、辞めようとは思いませんでした

私はGMOではシニアエンジニアで、ピープルマネジメントをしたことはありませんでした。マネジメントにも初めて取り組むというのに、そのうえエンジニア組織をゼロからつくることになり、私にとっては大きなチャレンジでした。手探りながらも経営陣と協力しつつ、思ったようにやれてきました。シニアエンジニアとして技術を軸にIT企業でキャリアを積んでいく道も魅力的でしたが、その道を歩んでいたら、こんな経験はなかなかできなかったと思います。

今後虎の穴ラボでは新卒採用を始めますし、規模もさらに拡大予定です。まだまだ組織は変わっていくし、私も2023年9月にCTOからCEOとなり、やるべきことも山積み。個人のキャリアとしても、組織をつくっていく身としても、これからが楽しみですね。

取材・執筆:鈴木陸夫
編集:光松瞳、王雨舟
撮影:赤松洋太

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