【日本CTO協会理事・広木大地氏に聞く】開発者体験向上に企業がファーストステップを踏み出すためにできること

2023年4月13日

一般社団法人 日本CTO協会 理事 / 株式会社レクター 代表

広木 大地

2008年に株式会社ミクシィに入社。同社メディア開発部長、開発部部長、サービス本部長執行役員を務めた後、2015年退社。株式会社レクターを創業。技術経営アドバイザリー。著書『エンジニアリング組織論への招待』がブクログ・ビジネス書大賞、翔泳社技術書大賞受賞。一般社団法人日本CTO協会理事。

「開発者体験」は可視化できる

「開発者体験(DX/Developer Experience)」を整え、エンジニアにとって心地いい開発環境を整えることが人材獲得や離職率の低下に効果があるのは間違いない。だが、日本CTO協会で理事を務める広木大地氏の話を聞くと、開発者体験を単に「引く手あまたのエンジニアを自社に惹きつける手段」と位置付けるのは、いささか早計だと思えてくる。

日本CTO協会が監修・編纂し、2021年4月に公開したソフトウェア活用のガイドライン『DX Criteria(DX基準)』の解説でも触れられているように、「開発者体験」は単に快適な開発環境だけを指すわけではなく「超高速に仮説検証する能力」と定義しているからだ。DX Criteriaの策定に関わった広木氏は、開発者体験を次のように解説する。

「開発者体験とは、すなわち『超高速に仮説検証する能力』を高めることを意味します。超高速に仮説検証する能力とは、社会が激しく変化するなかで、企業がその変化に対応し自己変革する能力です。つまり、優秀な人材が集まりやすく、定着しやすい企業は、デジタル社会に適応するために必要な条件を一定水準以上満たしており、常にアップデートできる企業と言い換えてもいいでしょう」

広木氏は開発者体験、つまりデベロッパーエクスペリエンス(DX)とデジタルトランスフォーメーション(DX)はデジタル社会を前に進めるために欠かせない両輪だと言う。そのため、先に挙げたDX Criteriaを自社における開発者体験の程度を測るツールとして使えると話す。

▲DX Criteria 策定の目的とビジョン(画像出典:DX Criteria 策定の目的とビジョン)

「開発者体験を測定する方法には、実際に働いているエンジニアにアンケートを取るやり方が挙げられますが、仮に肯定的な意見が多かったとしても、必ずしも良い開発者体験が実現できているとは言えません。なぜなら、旧態依然とした企業風土に慣れきってしまって、それが当たり前だと思ってしまっている可能性があるからです。その点、DX Criteriaは『チーム』『システム』『データ駆動』『デザイン思考』『コーポレート』の項目ごとに、例えば“テストの自動化がなされているか”“チーム内で何でも話せる心理的安全性は担保されているか”など、具体的なプラクティスが実行されているかどうかをチェックできます。2つのDXは表裏一体です。開発者体験の実現度合いを知るための評価ツールとしてもご利用いただけます」

CTO協会が2022年5月に公表した「Developer eXperience AWARD 2022」も、対外的な情報発信力や自己開示力を示す定量化指標と言えそうだ。

「ランキング上位に名を連ねているのは、イベント登壇やメディアへの露出、テックブログでの情報発信などを通じて、開発現場が抱える技術課題やその取り組み内容をオープンに開示している企業が中心です。外部の技術コミュニティとつながりが深い企業はエンジニアにとって親しみがあり、開発体験の良さを想起させるものなので、一定の評価指標にはなるでしょう。エンジニアでない方にとっては意外な社名が意外な順位にランクインしていると感じるかもしれませんが、それも狙いのうちです。Developer eXperience AWARDの集計結果をきっかけに、経営者やビジネスサイドの方々が、開発者体験について考えるきっかけになってくれたら嬉しいですね

▲「Developer eXperience Award 2022」ランキング上位30社(画像出典:日本CTO協会、エンジニアが選ぶ開発者体験が良いイメージのある企業ランキング30を発表)

目に見えない投資を阻む壁

デジタルトランスフォーメーションの成否とエンジニアリング組織の生産性の高さを表す開発者体験は表裏一体だと話す広木氏。むろんこの2つのDXは経営やビジネスに直結するものだが、経営陣を含む非エンジニア職の人々にとって、開発者体験の重要性や意義を理解するのは容易ではない。ソフトウェア同様、開発者体験も目に見えず触れることもできないからだ。

「テストの自動化を実現し心理的安全性を担保するには、最新の開発メソッドやツールの導入が不可欠です。しかし、どの取り組みも、目の前にある技術的負債を返済するための取り組みであって、売上を押し上げてくれるわけでも、便利な新機能の実現に直結するものでもありません。経営者やビジネスサイドの人たちにしてみれば、こうした目に見えない投資は評価しづらいもの。ともすると投資を惜しむ方向に傾きがちです」

しかし、投資を惜しみ開発者体験を改善することなく放置すれば、作業効率が改善されず激しい変化の時代を勝ち抜く可能性は減るばかりだ。Developer eXperience AWARDもDX Criteriaも、エンジニア部門にとっては自らを律するための指針であるとともに、経営やビジネスサイドの人々に「見えない投資」の重要性を知ってもらうための取り組みでもあるのだと広木氏は力説する。

「見えない投資を怠ることによって、エンジニアの創造性や挑戦への意欲が蝕まれ、よりよいソフトウェアがつくれなくなれば、いずれ売上や利益も下がるでしょう。こうした負のループにはまり込まないようにするためにも、開発者体験の重要性や目に見えない価値を伝える必要があるのです」

むろん、より良い開発者体験を実現することによって、エンジニアの考え方や振る舞いも変わる。

「例えば、テストやデプロイが何重もの安全対策に守られながら自動化され、毎日新たな機能改善がリリースできるようになったとしたら、エンジニアの安全に対する認識やコード修正への抵抗感はかなり軽減されます。半年に一度しかリリースしなかったときに感じていた“この修正でトラブルを起こしたらどうしよう”という不安感から解放されるからです。この便利さと安心感を一度でも体験したら、おそらくプレッシャーに満ちた以前のワークフローに戻りたいとは思わないでしょう。むしろほかの業務にも応用したいと、変化への前向きな気持ちが湧いてくるはずです」

超高速な仮説検証の仕組みを整えることによってエンジニアの仕事は楽になる。だがそれは過程であってゴールではない。効率的な仕事ができるようになることで開発文化が変わることを促し、最終的には経営やビジネスをアップデートすることでもあるのだ。

開発者体験向上へのファーストステップ

では、開発者体験を向上させようと思ったら何から始めるべきなのだろうか。広木氏は会社の事業や規模、フェーズによってさまざまだが、まずはDX Criteriaを活用し、自社の現状を把握することから始めてみてほしいと説く。

「ダイエットを成功させようと思ったらまず体重計に乗ってから対策を立てます。それと同じように、自分たちの組織は何ができていて、何ができていないのか、正しく認識することから始めるべきです。スタートアップやベンチャーはクラウドやアジャイル環境に慣れていることが多く、比較的チェックがつきやすいのですが、大企業は組織の数や規模があるため管理者ですら、現場で何が起こっているか正しくつかめていないことが少なくありません」

現在の状態がつかめると、やりたかったけれどできなかった項目、やろうとすら考えていなかった項目、難易度が高くて達成に時間がかかりそうな項目など、課題認識の粒度が可視化される。それを踏まえ着手しやすい項目から改善していけばいい。

DX Criteriaには320もの項目がある。もし負担が大きいと感じるなら別途用意された簡易診断を試してみるといいと、広木氏は勧める。

「簡易診断は約10分、30問のチェックリストに答えるだけで、DX Criteriaのテーマごとに偏差値を割り出すことができます。こうした診断はどうしても抽象的な話題に終始しがちですが、DX Criteriaは具体的なプラクティスについても言及しています。もし設問の意味がわからなければ、それを認識するだけでも一歩前進です」

▲日本CTO協会が提供している簡易診断の診断結果サンプル(画像出典:DXクライテリア簡易診断について)

課題を認識できてから、先進的な取り組みを実験できる小規模組織を立ち上げ、「いい体験」を社内につくることが重要だと広木氏は諭す。

「改善を重ねていくなかで、徐々に難易度が高い項目にも手を伸ばせるようになるでしょう。センターピンを立て、成功体験を積んだ社員が活動の輪を広げてくれるようになります。体験したことがないことに対して人間はどうしても臆病になりがちです。小さなことを積み重ねていくことでしか状況を打開する手立てはありません。すべてを打ち抜く銀の弾丸はないのです」

説明責任は変革を拒む側が果たすべき

テクノロジーもビジネス環境も日進月歩で変化するにもかかわらず、大半の人間は現状を過大評価し変化を先送りしがちだ。広木氏は開発者体験の向上に取り組むことを、組織にはびこる無意識なバイアスを変えるきっかけにしてほしいとエールを送る。

「変革が遅々として進まないレガシーな企業では、変革を願う人たちに対して、現状維持を望む人たちが説明責任を果たすよう求める傾向があります。われわれはむしろ、DX Criteriaを使って、変革を望まない方々が変革を望む人々に対し説明責任を果たすように変えていきたいんです。

“なぜDX Criteriaにあるこの項目を満たす必要がないのか”“だとするとどんな手段でリスクヘッジすべきか”など、DX Criteriaを起点として具体的な議論ができるようになれば、日本に蔓延する先送り思考が改善に向かうのではないでしょうか」

経産省の試算によれば、システムの老朽化による経済的損失は2025年以降の5年間で年間12兆円に上ると言われる。東京オリンピック4回分に上る巨額な損失だ。

「この巨大な負債を前に、2つのDXを推進するかそれとも衰退するか、その瀬戸際に立っているのがいまの日本です。企業活動を円滑に進めるためにも開発者体験を高め、デジタルトランスフォーメーションを前に進めていかなければなりません」

取材・執筆:武田 敏則(グレタケ)

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