2025年1月27日
国際大学グローバル・コミュニケーション・センター 主幹研究員/准教授
豊福 晋平
教育学者。1967年、北海道生まれ。1995年、東京工業大学(現・東京科学大)大学院総合理工学研究科博士課程中退。同年より国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)に勤務。教育の情報化に関わる研究、調査やプロジェクトに取り組み、複数公立校の学校関係者評価委員長も務める。2020年には「GIGAスクール構想」の標準仕様に準拠した端末の一斉ベンチマークテストを実施し、結果をブログ上で公開したことで話題となった。日本デジタル・シティズンシップ教育研究会共同代表理事。
日本の情報教育は、大きな変革を迎えています。2019年には、小中学校の児童生徒一人ひとりにパソコン、タブレットといったコンピュータ端末を配布し、高速ネットワークを整備する「GIGAスクール構想」が開始。さらに、2020年度から全面施行の新学習指導要領により、全国の小学校ではコンピュータの基本的な操作やプログラミングを学習活動に取り入れるよう定められています。
それでは、我が子が小学校に通うだけで「コンピュータを扱う力」や「プログラミング能力」が身につく時代になったのでしょうか?
「情報教育は、取り組みの内容もレベルも学校によって全然違いますよ」――。このように語るのは、教育の情報化やGIGAスクール構想に詳しい国際大学GLOCOM主幹研究員・豊福晋平さんです。
今時の情報教育の、実態はどのようなものなのでしょうか。子どもを学校に預けるにあたり、保護者が注意すべきポイントとは何か。豊福さんに取材しました。
豊福:「誰もがC言語やPythonでコーディングができるようになる」という水準はさすがに現実的ではなく、扱う内容自体はもっと初歩的なものです。また、正直なところ「平均的な小学校に通うと、コンピュータを扱う力はこういうレベルに達しますよ」と一概に語るのは困難です。
すでにお察しかもしれませんが、学校、ひいては先生ごとに、情報教育の実践内容が全く異なるためです。
大前提として、文部科学省が制定している学習指導要領では、プログラミングをはじめとして、情報教育の学習活動の具体的な内容を定めていません。実際に何をするかは、現場の裁量に大きく任されています。また、「プログラミング」「情報」といった教科を特段、設置しているわけでもありません。あくまで算数や社会、「総合の時間」など、従来からある各教科の授業の中に、各教科の性質に応じて、大まかに以下(※1)の学習活動を取り入れるよう求めています。
(※1):小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 総則編 83ページより
豊福:これらを通して、情報を活用する能力や「プログラミング的思考」(自分が意図する一連の活動を実現するために何をしたらいいか論理的に考えていく力)を育むよう目標を定めています。
豊福:はい。ただ、指導要領の策定時、「これでは何をしたらいいのかわからない」という声も現場の教育者側から噴出したそうです。そのため、文科省は具体的な指導内容の想定事例を「小学校プログラミング教育の手引」という資料などで参考的に示しています。
例として、算数ならば、ビジュアルプログラミング言語の「Scratch」を使って多角形を描画する。理科なら、電子工作で同じく「Scratch」を使い、照明の挙動をコントロールできるプログラムを作成する、といったものです。これに従い、プログラミング教育には「Scratch」を採択する学校が比較的多いですね。教育用プログラミングツールとしては間違いなくキラーアプリです。
実際、小学校教員1036名を対象とした2022年度の調査(※2)によると、41.7%の先生が授業にプログラミングを取り入れていて、使用教材の内訳としてはビジュアル言語が41.6%で最多、そのうち84.2%が「Scratch」を使用していました。あくまで一部を調査対象とした、当時時点の数字ではありますが。
(※2):特定非営利活動法人みんなのコード プログラミング教育 実態調査報告書2022 「小学校教員の意識調査 単純集計結果」(2023年8月9日発表)
豊福:全然、いらっしゃいますよ。現在も、少なくない数の先生方が、プログラミングを指導内容から外して授業しています。
このような事態となった要因として大きいのは、従来の講義型の授業のように、先生が児童にプログラミングを一方的に教えるような指導形式をとると、想像を絶する困難を伴うことです。
まず、多くの先生は、情報技術の専門家ではありません。学校や自治体が実施するICT教育の研修である程度は情報活用の知識をカバーしていますが、簡単なプログラミングすらやったことがないレベルの方が多い。
一方、授業でプログラミングを扱う時には、自分のクラスの児童20~40名一人ひとりを指導しないといけません。自由度も難易度も高いプログラミングという作業では、「先生の動きを真似して『Scratch』のブロックを組んでね」と例示をしても、どこかで微妙なミスが生じたり、子どもがふざけて指示とは異なる種類のブロックを組み込んだりします。
そしていざ実行にかけると十人十色のエラーが噴出し、教室の四方八方から「先生、動きません!」との声が聞こえてきます。混乱の中、各児童の挙動を見て回ってエラーの原因を推測し、ミスを突き止め、「ここはこうするんだよ」と教えてあげないといけない。
本来は専門外なのにプログラミングの授業をするのに、あまりにも大きな負担を強いられる。結果として、「しんどいので、プログラミングを教えるのはやめておこう」と判断する先生がいてもおかしくないのです。
豊福:おっしゃる通りです。とはいえ実のところ、学習指導要領ではデジタル端末を使ったプログラミングを必須で求めているわけではありません。あくまでプログラミングの「体験」学習を通して、「プログラミング”的”思考」が身につけばよい…こう解釈することも可能とされています。
そこで、ビジュアル言語をはじめとしたコンピュータプログラミングを敬遠する先生方の間では、コンピュータを全く使わずに「プログラミング的思考」を教える活動が行われています。この指導方法は、「電源=プラグを引っこ抜いたままの」という意味合いで、「アンプラグド・プログラミング」と呼ばれます。
具体的にいうと、例えば、児童のひとりが「ロボット」役を、もうひとりが「プログラマー」役を務めての、疑似的なロボットプログラミング。プログラマー役が「右に進む」「物があれば拾う」などとプログラム処理のフローチャートを書き、チャートに従ってロボット役に指示をします。そしてロボットは指示に応じて、足元に描かれたマス目を進んでいくというものです。あるいは、数字を書いたカードを複数枚用意し、それを小さい順に並べ替えて、ソートアルゴリズムを体験するというものもあります。
このようにしてアンプラグドを実践し、コンピュータを使ったプログラミングを一切しない先生もいらっしゃいます。これでしっかりとプログラミング的思考が身につくのならそれで良いではないかと一部の教育現場ではいわれます。が、コンピュータで何度も試行錯誤を繰り返してプログラミングに親しんでもらう、という観点では疑問の余地があります。人間と異なり、児童の気の済むまで延々と学習に付き合わせようと、決して「文句」を言わないのもコンピュータの良い点ですから。
また、教員の方針次第では授業中以外にもGIGA端末に触れて自由に学習ができますが、コンピュータを敬遠する先生が多かったり、情報教育に力を入れていなかったりする学校では、休み時間における「Scratch」やGIGA端末の利用を一律で禁止してしまう例も少なからずあります。
フィルタリングで教育向けサイト以外のアクセスを禁止している場合でも、「Scratch」を使えば、他のユーザーが作成しアップロードしたゲームでこっそり遊ぶことも可能だからです。そうして児童が休み時間にゲームに興じるのを問題視し、「ただの遊び道具になってしまうから」として、「Scratch」を全面禁止したり、端末自体を封印したりしてしまう、と。
豊福:とはいえ、「ではコンピュータ端末でプログラミング教育を実践してさえいれば『良い学校』か」というと、そうではありません。当然、良い取り組みをしている小学校もあれば、疑問を感じるような学校も両方あります。
従来の授業のような方式で、先生が一方的にプログラミングを教える形式をとっている学校では、結局児童にも大きな負担がかかりますし、最悪の場合は「パソコン嫌い」になることもあるからです。
つまるところ、児童全員にプログラミングを教えようとすること自体に無理があるんですよ。成長途上にある子どもたちは、一人ひとり成長の速度が大きく異なりますし、小学校に入るまでコンピュータをほとんど触ったことのないという子も多い。
そんな子たちにいきなり一律にプログラミングを教えようとしても、皆がプログラミングの仕組みを体得できるということにはなりませんし、より難易度の高いテキストプログラミングともなると理解できる子はごく一部です。
また――これは持論ですが――プログラミングというのは、そもそも人から一方的に「教わる」べきものじゃないと考えています。
これまでプログラミングを身につけてきた大人の多くは、自分がつくりたい・遊んでみたいものや、解決したい問題があって、それを実現するために自主的にコードの書き方を学んできたと思うんです。やりたいことがあるからこそ、プログラミングという難解極まる作業にも向き合えるわけです。
なのに子どもの意欲を無視して、「ハノイの塔(よくプログラミング教育の題材となるパズルゲーム)を解いてみて」などと課題を押しつけても、児童は「いや、僕がやってみたいことと違うんだけど」「よくわかんないし、そもそもやりたくない」と不満を感じるし、そこにプログラミングの面白さや可能性を見出すことは難しい。
豊福:そこで、児童それぞれの発達段階や興味関心を考慮し、モチベーションを引き出し、子どもの方から自発的にプログラミングに取り組むように導く。教員が無理をしながら、全員を相手取って一方的にコーディングについて教えるのではなく、子どもが勝手に学べる環境をつくる。現状においては、このような方針に基づいた学習活動こそが、良い情報教育といえるかと考えています。
GIGAスクール構想開始から約5年、情報教育に力を入れている学校では、このように児童が主体となる学習活動を重視する例が増えています。
豊福:端末やプログラミングを「学ぶべき目標」に据えるのではなく、学校生活におけるあらゆる活動の中で、何かを実現するための「道具」として用いるような学習活動です。
授業だけでなく、学芸会やクラブ活動など、日ごろの活動のなかで、児童がやってみたいアイデアがないかを先生が逐一質問したり、何気ない会話に耳を傾けてみる。その過程で「それ、パソコンをこう活用したらできるかもね」とヒントを提供したりするんですよ。こうして子どもの意欲を引き出しつつ、実際に自分たちのアイデアの実現に向けて動いてもらう、と。
僕が知っているケースを挙げると、例えばある小学校の学芸会の演劇。そこではステージの背後側に大きなスクリーンを設置し、プロジェクターを使用していました。そこに、子どもたちが「Scratch」で自作したアニメーションを背景として映し、出演者が映像内の怪獣と戦ったりするんです。
あるいは、図書委員が「本を借りるたびに引ける、抽選でしおりがもらえるスロットマシン」をプログラムとして組み、貸出の活性化を図る。保護者向けの説明会に使用する学校の紹介ビデオを校内で募り、児童がiPadなんかで自分で撮影した校内インタビュー映像を、iMovieで編集して仕上げる。国語の時間で扱った物語を映像化し、グリーンバックを使った映像合成で児童が物語の世界に入ってみる。
子どもたちは、こうした活動を通して、いつの間にかデジタルツールの扱い方、場合によってはプログラミングのやり方を自発的に調べて自然と身につけていきます。
こうした学校では、GIGAスクールで整備されたICT機器を、教員と児童が積極的に活用する文化が根付いているし、児童のアイデアにどんどん協力する体制が整っている。それでプログラミングができるようになると確約はできませんが、少なくとも児童がやる気になった時に背中を押してあげられるような環境は用意しているといえるでしょう。
豊福:学校の情報発信が、ひとつの指標になります。公式サイト内の学校日記やブログなどで普段から外向けに発信をしていて、なおかつ発信内容の中にICT機器の活用風景やプログラミングに関する話題などがたびたび盛り込まれているところは、ほぼ確実に注力しています。
だって、たまたま一部のパソコン好きの先生だけが「孤軍奮闘」で情報教育に力を入れているような学校の場合は、発信にまではつながりませんから。学校全体で注力しているからこそ、外部に取り組みを発信している。
発信内容で目を向けるべき点は、まずはサイトやブログの更新頻度が高いかどうか。更新頻度が高い学校の場合は、少なくとも、教員側のカルチャーとしてICT活用が根付いているのがわかります。また、授業内や学級会などで、子どもたちがデジタル端末を活用してつくったものを発表する機会が頻繁に設けられているかどうかもポイントです。
ただ、情報教育に関するアピールがまばらで、なおかつ露骨すぎる場合は要注意です。特に、「ICTを活用した授業を実施しました!」と書いてある場合や、パソコンをやたらと全面に出した写真がある場合などは、気をつけた方がいいかもしれません。本当に普段から各種機器を活用している学校ならば、もはや「当たり前の文化」として根付いているため、わざわざ「ICTを活用しました」とは書かないし、端末そのものにフォーカスした写真を掲載したりしないからです。
積極的に情報教育に取り組み、かつ発信も活発な学校の参考事例としては、東京都の渋谷区立神南小学校、世田谷区立駒繋小学校、千葉県の原山小学校(印西市立)、神奈川県の洗足学園小学校(川崎市、私立)などが挙げられます。これらの学校のウェブサイトやブログを見ると、自然と学校生活にICT活用が取り入れられているのがわかると思いますよ。
豊福:当たり前のことを言うようですが、保護者自身が、家庭にある情報端末を大切に扱うようにしてほしいです。子どもは、大人がどのように道具を扱っているかをよく見ているからです。先生や親がパソコンを乱暴に扱っていると、子どもも、同じように扱います。
正しくコンピュータを使えるようになってほしいなら、大人の方から正しい扱い方を見せましょう。デスクに投げ出すように置くことはせず、丁寧に用いて、「これは大事なものなんだよ」という意識を根付かせる。子どもがコンピュータに馴染むには、こうした日常生活のちょっとした文化や習慣こそが最も重要です。
もしも子どもを持つエンジニアさんならば、普段からさり気なく子どもの前でコーディングをしている姿を見せるのもいいかと思いますよ。自然とプログラミングに興味を持つきっかけになり得ますから。
豊福:はい。やはり、「学校に全てお任せ」というわけにはいきません。学校の先生は、子どもの教育を丸投げをすべき相手ではない。小学生のうちは、学校よりも、家庭で過ごしている時間の方が圧倒的に長いからです。家庭での普段の経験こそが、子どもたちがコンピュータを使う基礎を築く上で重要な役割を果たしますし、先生の知らない子どもの一面も保護者ならば知っているはず。
だから、先生に子どもの教育をお任せするというよりは、先生とチームを組めるようになるといいと思います。子どもの教育方針で悩むことがあったら、ぜひ気軽に学校の先生を頼りましょう。「この子はプログラミングに興味があるみたいなんだけど、どうすればもっと伸ばせるでしょうか?」「パソコンの使い方が苦手みたいなので、何か良い方法はありませんか?」と相談したら、教育のプロフェッショナルとして「学校ではこんな活動をしていますが、こんな教材を使ってみてはいかがですか」と提案をしてくれるかもしれません。
これからの時代、学びのあり方はますます変わっていくでしょう。生成AIが「どんな質問にも辛抱強く付き合ってくれる先生」としての役割を果たすようになれば、いつでもどこでも勉強ができるようになるだろうし、授業にうまくついていけない児童も、やる気次第でいくらでも学び直しが利くようになるでしょう。
すると教員という職業も、「知識と情報を伝授するお仕事」という既存の枠組みから変化し、児童生徒が主体的に学べるよう、様々な角度から得意・不得意を分析し能力を伸ばせるようにアドバイスを行う、モチベーターとしての側面が強まっていくのかもしれません。
僕は現在、小学校に入学した子どもが初めてGIGAスクール端末に触れる時に、情報端末の丁寧な扱い方について理解し、デジタル・シティズンシップ(※3)を育む「GIGAびらき」活動の普及に取り組んでいます。情報活用に親しんでもらうには、こうしたマインドセットもきっと大事なはず。このような草の根レベルの活動も通して、より多くの子どもたちがICT機器を活用したより良き学びに踏み出せるよう、長年教育に関わってきた研究者として貢献していきたいと考えています。
(※3)デジタル・シティズンシップ:デジタル技術の利用を通じて、社会に積極的に関与し、参加する能力のこと。
取材・執筆:田村 今人
編集:光松 瞳
撮影:曽川 拓哉
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