量子の世界では、「時間」は未来にも過去にも向かい得る? 2本の「時間の矢」に迫る【研究紹介】

2025年2月26日

山下 裕毅

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英サリー大学に所属する研究者らが発表した論文「Emergence of opposing arrows of time in open quantum systems」は、量子の世界において、時間は前後の両方向に動き得ることを示した研究報告である。

研究背景:「時間の矢」と「時間反転対称性」

日常的な経験では、時間には明確な一方向性がある。過去の記憶は持てるが、未来の記憶は持てず、また氷は溶けるが、室温の水が自然に氷になることはない。このように、物事には時間の進行方向、いわゆる「時間の矢」が存在する。

しかし物理学の基本法則には「時間反転対称性」(物理法則や物理系の運動を時間の逆方向に進めても、その振る舞いが物理法則に矛盾しないという性質)があり、振り子運動や惑星の公転運動を撮影した映像を逆再生しても物理法則に矛盾しない。すなわち、基本法則のレベルでは時間に方向性がないのである。

▲時間反転対称性の概念図

研究内容:「マルコフ近似」に注目して

研究チームは、この「時間の矢」と「時間反転対称性」の矛盾について、量子力学の観点から考察を行った。特に、環境と相互作用する開放量子系において、系の未来と過去の状態が現在の状態のみに依存するとするマルコフ近似に注目した分析を実施している。

従来、このマルコフ近似によって時間の一方向性が導かれると考えられてきた。しかし研究チームは、基本方程式(量子ブラウン運動、リンドブラッド方程式、パウリのマスター方程式)を詳細に分析し、マルコフ近似を時間の矢に対して不可知的に(特定の方向を仮定せずに)実装すると、時間反転対称性が保持されることを示した。

重要な発見は、マルコフ近似が時間並進対称性(物理法則や物理系の振る舞いが、時間軸上のどの時点で観測を開始しても変わらないという性質)を破るものの、時間反転対称性は保持するという点である。これは、マルコフ近似を特定の方向を仮定せずに適用した場合、系が現在の時点から見て未来と過去の両方向において同様に振る舞い得ることを意味している。エントロピーの増大についても、特定の時間方向を選択した後に観測される現象として理解できることが示された。

研究チームは、この結果が宇宙論に対して示唆を持つ可能性について言及している。宇宙の始まり(ビッグバン)の時点でマルコフ近似が適用可能だった場合、そこからふたつの時間方向の可能性が生まれた可能性があるという推測を述べている。

Source and Image Credits: Guff, T., Shastry, C.U. & Rocco, A. Emergence of opposing arrows of time in open quantum systems. Sci Rep 15, 3658 (2025). https://doi.org/10.1038/s41598-025-87323-x

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