2024年12月19日
鳥井 雪
プログラマー。テクノロジー分野のジェンダーギャップ解消を目指すNPO法人Waffleのカリキュラム・マネージャー、株式会社万葉フェロー。子ども向けプログラミング絵本『ルビィのぼうけん』シリーズや中高生向けプログラミング書籍『Girls Who Code 女の子の未来をひらくプログラミング』の翻訳を手掛け、2023年には自著として小学生向けプログラミング書籍『ユウと魔法のプログラミング・ノート』を出版。女性や子どもへのプログラミング普及の功績を称えられ、2024年、Forbes Japanの「Women in Tech 30( テクノロジー領域で未来を創造する30人の女性)」に選出された。
先日、我が家にはこんなことがありました。
家で下の娘(5歳)と、積み木を使って塔を作っていました。KAPLAというその積み木はとてもシンプルで、全て同じ薄い長方形をした木片が大量に用意されています。塔は娘の背より高く積み上がり、自然と役割分担ができました。積んで塔の高さを上げていくわたしと、わたしに積み木を渡す娘です。
娘が突然、ロボットになりました。
「ウィーン、ガガ、モクザイヲ、ワタス、ロボットデス」
そうして、わたしの手の中に、持ちきれない量の積み木を押し込んでいきます。
「ボタンヲ、オスマデ、トマリマセン」
わたしは笑って、娘のつむじのあたりをポチッとします。娘ロボットは無事止まり、わたしは渡された分の積み木で塔を高くします。手の中の積み木を使い切ったわたしは娘に手を出して補充を促しますが、娘は首を横に振りました。
「ボタンヲ、オシテ、クダサイ」
なるほど。娘は、「コンピューターは人間が指示しなければ動かない」という大事な事実を理解しているようです。では次は、「手の中が積み木でいっぱいになったら木片を渡すのをやめる」という、繰り返しの終了条件を娘ロボットにプログラミングする時です。
イメージしていただけたでしょうか。我が家でのプログラミング教育はこんなふうです。
わたしは15年以上Webのプログラマーをやっています。8年ほど前に、子ども向けプログラミング絵本『ルビィのぼうけん』を翻訳し、それから少しずつ子どものプログラミング教育にも関わっています。プログラミング教室の教材監修の経験もありますし、昨年2023年には自著として、子どもを含めたプログラミング初学者向けの本『ユウと魔法のプログラミング・ノート』を出版しました。夫(子どもたちの父親)はプログラミング言語Rubyを実装するプログラマーです。
こんな経歴を聞くと、さぞかし立派なプログラミング英才教育をしているに違いない、と想像されるかもしれません。しかし実際は、全然そんなことはありません。上の娘(7歳)はまぁちょっとScratchをやって、マインクラフトも手を出して好きな家を作った程度です。下の娘(5歳)は特に何も、プログラミングらしきことは学んでいません。英才教育とはほど遠い状況です。
しかしこれには理由があるのです。その理由も別に高邁なものではなく、苦い失敗と反省に基づくものなのですが……。
ここから少し時間を遡ります。上の娘、つまり第一子がまだ5歳くらいのときは、わたしと夫も少し気合いが入っていました。NHK教育(Eテレ)のプログラミング的思考を獲得する番組『テキシコー』は早くから見せていましたし、同じくEテレの『Why!?プログラミング』を見せて、娘がScratchに興味をちらっと示したとたん、「じゃあやってみようか!」とウキウキしながら環境を整えました。娘とプログラミングの楽しさを分かち合えるかと思うととても楽しみでした。
ところでわたしはプログラミング・ワークショップなどで、子どもから大人までプログラミング初学者を教えた経験はそれなりにあります。その際、当然のことですが声を荒げたり、キーボードを奪って自分がコーディングを始めるようなことはありません。分からないのが当たり前なのですから、丁寧なインストラクションを心がけ、うまく行かないことがあれば自力の解決と手助けのバランスを慎重に見極め、なにより「プログラミングが楽しい!」と思ってもらえるよう心を砕きます。
しかし、我が子がScratchの画面に向かい、トラックボールでもたもたとブロックを見当はずれな場所に置く姿をみると、どうでしょう。
「ちがーう、そうじゃない!」
「そこ、その下の『ずっと』の中に、そう、もうちょっと下、あーもう違うってば!」
「ちょっともう、お母さんに貸して!」
まったくもって全然ダメな指導者です。過剰な期待か、親しさの甘えか、自他の分離不足か、その合わせ技か。ともかく、他所様に教えるような態度が、わが子には全然取れないのです。
案の定、上の娘は、数回のトライのあと、もういいかなとばかりにScratchをやりたがらなくなりました。
こんな状況でさらに プログラミングを無理強いしてしまうと、子どもは間違いなくプログラミングを嫌いになってしまうでしょう。海より深い反省のもと、しばらくこちらからプログラミングへの強い働きかけはしないことにしました。
幸いにも上の娘は、Eテレの『テキシコー』と『Why!?プログラミング』は変わらず好きで録画を繰り返し観ていましたし、プログラミングへのちょっとした興味は持ち続けているようでした。
娘の最初のプログラミングのトライが続かなかったのは、もちろん第一に親の伴走態度がなっていないのが理由ですが、観察してみるとそのほかにも理由はありそうでした。主に次の3点です。
まとめてしまうなら、ちょっと触るのが早かった、ということです。デバイスの問題は、タブレットのタッチ操作にすると解決できるかもとも考えました。けれど結局、無理に今急いで解決することもない、という結論になりました。他の2点ともあわせて、そのうち運動能力や認知が発達すれば自然とクリアできそうな事項を、無理に急いで克服させる必要はないと考えたからです。
娘にプログラミングに親しんでもらいたい理由は、コンピューターの力を自分の力にして可能性を広げてほしいから、それから単に両親の好きなプログラミングの楽しさを分かちあいたいからです。
そう思うと、無理に実際のプログラミングを続けさせるより、一緒に生活している親としてできることは色々ありそうです。
娘がプログラミングをしないことにヤキモキするより、自分がプログラミングをしていればいいのです。たとえばmicro:bitを使って、今日の食パンのジャムをランダムに決める装置を作りました。子どもたちも喜んで、しばらくは今日のジャムをmicro:bitを使って決める朝が続きました。もちろん家にあるジャムの種類が変わったら、プログラミングをしなおして対応します(そのうちそれぞれジャムの明確な好みが出てきて、機械頼りはやめてしまいましたが)。
そこまで生活に関わるモノづくりでなくても、「お母さんこれ作ったんだよ」とか「お父さんはこんな仕事をしてるんだよ」という情報を会話に織り交ぜることもあります。自販機で飲み物を買う時に、「想像だけどたぶんこういう仕組み〜」なんて話もします。コンピューターが自分たちの生活のどこにいて、どんなことを実現しているのかをよく話ます。
実は、家では長いこと、「テレビ」と言われているものはモニタにつないだパソコンでした。子どもたちはアニメやEテレを、Amazon Prime Video(アマプラ)やDisney+のストリーミングサービスか、パソコンでの録画再生で観ます。最近そっとTVにすげ替えたのですが、あいかわらず子どもたちのコンテンツはだいたいパソコンのブラウザで再生されるため、TVというよりパソコンに繋いだ大きめのモニターのような存在です。
子どもたちは自分の好きなようにアニメがみたい一心で、トラックボールの扱いに習熟していきます。上の娘は、クリックもカーソル移動も、ブラウザのタブの扱いももはやお手のものです。
子どもはあれこれ用事を言いつけるものです。おかあさんあれ取って、おかあさん飲み物ちょうだい、おかあさんこれみて…。
あんまりあれこれ言われた時は、こう言います。
「お母さんは命令を聞くロボットじゃないんだよ!」
そうすると子どもたちはニヤリと悪い笑い方をして、言います。
「おかあさんロボット、めいれいをきけ!」
こころと時間の余裕があれば、わたしはこう答えます。
「…ガガガ、ドンナ、メイレイ、デスカ」
さあ、子どもたちのプログラミングの時間の始まりです。
このお母さんロボットは、もちろん人間の意図を親切に汲み取ったりはしません。「おちゃちょうだい」と言われたらお茶のボトルをわたしてコップは渡しません。「これ見て!」と言われたら「コレ、トハナンデスカ?」と首を傾げます。子どもたちは命令を工夫したり、表現を正確にしたりして、なんとかお母さんロボットを期待通りに動かそうとします。まさにプログラミングの練習です。
(まあ、この遊びができるのは本当に余裕がある時だけで、人間お母さんが「自分のことは自分でやりなさーい!」となるだけのことも多々あります…)
そんなこんなで、最初の娘のプログラミングチャレンジから、2年以上たちました。今や上の娘は呼吸をするようにトラックボールでパソコンを操作しています。学校から配られたタブレットでタイピングゲームを熱心にやっています。お友だちのお家でやらせてもらったマインクラフトをもっとやりたいと、マインクラフトの世界の中に理想の家を作りました(別荘も)。読み書きもだいぶ達者になり、最近は名探偵コナンの小説版を読んでいます。
そうして少し前、ついに自分から「Scratchもっとやりたい」と言い出しました。わたしはその言質をとって飛び掛かりたい衝動をぐっとおさえ、「そっかー。なにやりたいの?」といそいそと隣に座ります。娘はアマプラを観るために立ち上げたブラウザで、Scratchへのブックマークを押して画面をロードし、あれこれと喋り始めます。以前の反省から、わたしは「娘からヘルプ要請がくるまで口と手を出さない」と100回胸に刻みながらその話を聴きます。
今のところ、娘のScratchへの興味はまだ続いていて、「おかあさん、今日はいっしょにプログラミングする時間ある?」と聞いてくれます。この原稿を書くにあたって、娘に「最近プログラミングやってるけど、どんなところが楽しい?」と聞いてみました。娘は言いづらそうに答えました。
「うーんよく分かんない……たんに、動くと楽しいだけ」
わたしは万感の思いをこめて、強く頷きます。
「それ、お母さんも!」
以上、実際の体験談をもとに、我が子にプログラミングを教える際の親の心構えについてお話しました。次回のテーマは「子どもにプログラミングの本質的な思考法をどう伝えていくか」です。子ども向けプログラミング本の翻訳、執筆を通じて感じたことを交えつつ、お伝えしたいと思いますので、お楽しみに!
関連記事
人気記事