「正しい成功体験」が開発者体験向上のカギを握る。NTTコミュニケーションズに学ぶ、大企業における「二つのDX」の取り組み方【Developer eXperience Day 2023#2】

2023年7月20日

Tably株式会社 代表取締役

及川 卓也

外資系IT企業3社にて勤務後、スタートアップを経て、独立。NTTコミュニケーションズ技術顧問。Adobe Executive Fellow。著書『ソフトウェア・ファースト~あらゆるビジネスを一変させる最強戦略~』(日経BP)、『プロダクトマネジメントのすべて』(翔泳社)。

エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社 イノベーションセンター 担当課長

岩瀬 義昌

NTTコミュニケーションズにて、アジャイル開発・プロダクトマネジメントの全社支援をするチームのリーダー。その他、ポッドキャスト fukabori.fm のホスト、AIスタートアップでCo-VPoE。翻訳書『ユーザーの問題解決とプロダクトの成功を導く エンジニアのためのドキュメントライティング』(JMAM)。

開発者体験(デベロッパーエクスペリエンス/DX)とデジタル変革(デジタルトランスフォーメーション/DX)。開発生産性向上のキーワードとして、この「2つのDX」を掲げる企業も増えつつある。そんな中、DXの取り組みに課題を抱える大企業も少なくない。

この記事では、典型的な日本の大企業であるNTTコミュニケーションズが行なっている組織的な取り組みについて、同社の技術顧問を務めるTably株式会社代表取締役の及川卓也氏と「fukabori.fm」のホストとしても知られる、NTTコミュニケーションズ株式会社イノベーションセンター担当課長の岩瀬義昌氏によるセッションを紹介する。

マッキンゼーの「7S」、2つのDXに欠かせない思考のフレームワーク

及川:デジタル変革(DX)というのは、単にアナログをデジタルに変えるだけでなく、人や組織を大きく変えていかなければなりません。デジタル変革が実現されつつある状態でなければ、開発者体験の向上もないと思っているので、この2つはまさに両輪だと思っています。

岩瀬:典型的な大企業の問題点を整理するときに、「マッキンゼーの7S」というフレームワークが非常に役立つと思います。

7Sは企業が持つ7つの経営資源のことを指していて、「戦略(Strategy)」「組織構造(Structure)」「制度(System)」という3つの「ハードのS」と、「価値観(Shared Value」「経営スタイル(Style)」「スキル(Skills)」「スタッフ(Staff)」という4つの「ソフトのS」に分けられます。どちらも開発者体験に強く紐付いている要素ですね。

3つの「ハードのS」は、変えようと思えば、トップダウンで一気に変えられるものです。

一方で、4つの「ソフトのS」は、ボトムアップで変革を押し進めないとなかなか変えられないものです。文化は日々の行動の積み重ねで醸成されるもの、どんなに経営層から強く働きかけても一気に変わるわけではないですね。

岩瀬:7Sの中から今日は「戦略」、「組織構造+スタッフ+スキル」、「スタイル(企業のカルチャー)」という3つのトピックについて、NTTコミュニケーションズの実践例も交えながら、どうゆうふうに変革進めていけばよいか、2人で話していけたらと思います。

現代の開発を理解し、ミドル幹部層の心構えを変革

及川:典型的な日本の大企業における戦略の課題といえば、いまだに仮説検証型のプロダクトではなく、大規模・計画経済型のプロジェクトを望んでいたり、「絶対に落ちないし、どんな攻撃にも耐えられる」極端に安全・安心を重視するものを期待したりすることがあります。

あとは、「プラットフォームビジネス」と言いながらも、クライアントの個社要求にあわせてカスタマイズを繰り返しすぎて、既存のプラットフォームが意味をなされない場合も見られますね。

岩瀬:現代のプロダクト開発は、最初は赤字でも別のKPIなどを追いかけて最後に回収するというアプローチを取ることが多いんです。ただ、いまだに大企業の中には、最初から5年先の計画をみっちり立てる「計画経済型」のモデルしか信じない方が結構いますね。

及川:一方で、基盤やインフラシステム、ハードウェアを扱う企業は、プロダクトを1回世に出したら撤回することができないため、どうしてもそうなってしまうところがあるかもしれないですね。では、実際プロダクト開発のトレンドも変わってきた中、NTTコミュニケーションズさんではどんなことをされたんですか?

岩瀬:複数の取り組みを行ってきましたが、代表的なものをいくつか紹介したいと思います。

まず一番大事なのは、経営層の心構えを変えていくことです。当社の及川さんをはじめとする、3名の技術顧問の方をお招きして、アジャイル開発や内製の重要性、現代的なプロダクトマネジメントの考え方などについて、経営層に向けて話していただいています。

及川:「テックカジュアルランチ」といって、幹部層が集まるランチの時間に勉強会もやりました。しかもその勉強会の様子を録画して全社員に共有されていましたね。

岩瀬:幹部層が最新の開発について勉強して理解する姿を現場の社員に見せられたのは非常によかったです。また戦略組織という大きな枠組みの中でいうと、当社の中でUXデザイン専門の組織「KOEL DESIGN STUDIO」を立ち上げました。

及川:社内向けにユーザーリサーチの方法やカスタマージャーニーのつくり方など、プロダクトマネジメントの領域の方法論を学べる研修も行っていますね。自分もいつも勉強させていただいています。

また人材育成を目的とする「ODYSSEY」というプログラムもありますが、ここでもプロダクトマネージャーを定義していますよね。

岩瀬:社内で人事制度を考えるときに、ソフトウェアエンジニアなどの「職種」でカテゴライズするところが多いと思います。実はこれが、経営事業戦略の裏返しになっているんですね。

つまりNTTコミュニケーションズとして、達成したい事業戦略が明確にあり、そのためにこういうスキルセットを持った人材、たとえばプロダクトマネージャーが一定人数必要だと見えているので、そこを支援する育成の仕組みを立ち上げた次第です。

及川:岩瀬さんから見て、NTTコミュニケーションズの組織面での取り組みはどれぐらい完成されていますか?

岩瀬:山登りに例えて10合目が頂点だとすると、いまはまだ5合目ぐらいだと思いますね。

及川:どのあたりができてどのあたりができていないと思いますか?

岩瀬:実際に「現代的なプロダクト開発」が機能するチームは増えていると感じています。たとえば、アジャイル開発を名前だけでなくちゃんと回せていたり、プロダクトマネジメントのメソッドも現場できちんと実践できたりしています。ただこれらの取り組みの効果が、実際の誰もが知っているようなプロダクトに現れていないので、まだまだ伸びしろがあると思います。

及川:私も技術顧問という立場から見て、用語や言葉が浸透している点は大企業としてすごく大きな成果だと思う反面、言葉が独り歩きしているようなところもあって、ここはまだまだかなと。

たとえば「ノーススターメトリック」という、KGIである収益目標とは別に、先行指標として持っていなければならないプロダクトのトップKPIがあります。用語としては幹部層まで浸透していても、実際にふたを開けると収益目標と変わらないものが設定されていることもありますね。

そこに実がある形でちゃんとした議論ができれば、成果に結びつくのですが、現状で止めてしまうと「何かやった気になっているだけの組織」が出来上がるだけで終わってしまいます。

岩瀬:本当におっしゃるとおりで、成功体験が積まれるとそれが強烈なカルチャーとして残りかねないので、正しいもので正しく成功したいと思っています。及川さんは、我々が正しく成功するためにこの先何をやるべきだと思いますか?

及川:技術顧問として関わっている立場から言わせていただくと、我々みたいな外部の人を、実際に困っている現場に入れてほしいですね。たとえばオブザーバーのような形でもいいので、プロダクトをリリースするかどうかといったところで「ちょっとここが違うんじゃないですか」と言わせていただければとは思いますね。

また非常に難しいとは思いますが、プロダクト開発のコア人材を幹部に昇進させる際に一言意見を言わせてもらうことまでできれば、かなり変わってくるかなと。

岩瀬:たとえばリリースの話でいうと、現代ではFour Keys Metricsが非常に重要だといわれています。その観点からコメントいただければ、より現代的なプロダクトになる可能性が高いように思います。

及川:人材育成にも関係するのですが、「こうあるべき」というガイドラインや方法論は実戦でしか身につきません。前述の「ノーススターメトリック」の置き方のように、知識として持っていても、実際に実践するとついつい使い慣れている従来の手法に戻ってしまうんです。なので、実際のプロダクトや組織にあてはめたときに、外部から「こういう考え方もあるんだよ」と違う視点を与えられたらよりいいなと思いますね。

岩瀬:大企業に、コンサルやスタートアップなど、外部のカルチャーを持った人材に一時的に入ってもらうというアプローチは割とメジャーなケースだと思うので、まだこうした取り組みを行っていない企業はいろいろな会社の方に入ってもらうのも効果的なアプローチになりそうです。

正しい成功体験をつくって「古い成功体験」を切り離す

及川:次は、「組織構造+スタッフ+スキル」の課題について話していきたいと思います。

内製するエンジニアが社内にいなかったり、技術者としてのスキルを高めてしっかりしたポジションに行きたいと思っても、それができないということで、諦めてどんどん人材が流出してしまったり…という企業も多いですよね。

そういう企業では若手が少し勉強しただけでいきなり部署で最もスキルある人材になってしまい、もう学ぶことは無いとなったり、キャリアパスにマネジメントしか無いと会社だと、上司からは「コーディングより上流工程のマネジメントをしなさい」と言われたりするのですが、こうした問題はNTTコミュニケーションズでもあるのでしょうか?

岩瀬:あまりはっきりいうと怒られるかもしれませんが(笑)。そういった例も聞いたことはありますね。ただ、それも変わりつつあると感じています。

たとえば人事制度においては、専門性を突き詰めるIC(Individual Contributor / 個人貢献者)ルートとマネジメントルートを選択できるデュアルトラックを採用しています。

今の時代は、知の高速道路が開かれているので、「若いから専門性がない」ということはなく、新卒の方でも最高クラスのスキルを持っている方がたくさんいますよね。我々はそういう社員に報いたいので、そうしたスキルを証明できれば給与に反映することはもちろん、その後のキャリアについても選択可能な制度にしています。

現代のITでは、コードを書けることを前提条件として、コアアーキテクチャを設計・実装できる人が最も重要で、高く評価されるべきだと思いますデュアルトラックなど新たな制度の導入や給与体系の変革は、そうしたハイスキルな社員が報われるような形をつくることを狙いとしています。

及川:こうしたスペシャリストとなりうるエンジニアの専門性の高さを会社が理解し、そのための人事制度をつくったということなんですね。

岩瀬:これも事業戦略のひとつで、この先そうした人材を評価しないと会社としての存続が危ういという経営判断をしたといえるかもしれません。

及川:そうなると、今まで幹部層は「上流が大事で下流はある程度誰でもできる」と思っていたのが、そうではなく「下流こそが企業競争の源泉である」ことを理解し、人事がそれをつくり上げたということなんですね。

技術の内製化は、会社によっては「外部に投げればいいじゃないか」という意見が出たり、エンジニア雇用にかかるコストを抱えることが正当化できなかったりするわけですが、こうした点に関しては議論などありましたか?

岩瀬:会社の意思として「内製化は当然」という認識だったのであまりなかったですね。またグループの連携も社内で行なったほうが簡単だということもあり、これからもっと人数を増やしていこうと思っています。最近では、外部人材も含めたアジャイル開発チームを組むというアプローチも多くなったと感じますね。

及川:「法人格は別だけど、ほぼ同じ会社のような形でやっていける」というのが、普通の会社とは違ったNTTコミュニケーションズ独自の強みですよね。とはいえ約2万人の社員がいて非常に多くのマネージャーもいるなかで、なかには内製化に理解のない方もいると思います。こうした方が開発者体験を阻害することもあると思いますが、こういう方に対してはどう対処していますか?

岩瀬:「いままでやってこなかった新しいやり方でプロダクトの成功を生み出す」というのが王道だと思っています。こういう方法、組織構造でうまくいったという実例を見せるとみんなが真似するので、まずは「最初の成功体験をつくるために全力を注ぐ」というのが最良のアプローチかなと。

及川:成功体験というのは諸刃の剣だと思うんですね。会社が変わらないのは、多くの場合、過去の成功体験を引きずっているからです。その過去の成功体験が、モダンな開発手法を実践している人からすると、すでにアンチパターンになってしまっていて、それを経営層が現場に押し付けてしまい、開発者体験を悪化させています。それを改善するためには、新たな成功体験をつくり上げて、過去の成功体験に引きずられている中間管理層に理解してもらうことが大事なんです。

岩瀬:その新たな成功体験をつくるためにも、最先端の手法で攻めてくる競合他社に追従して、さらに競合他社を超えられるような開発のアプローチが必要ですね。

及川:私はよく若手の方から、「自分はコーディングが好きだけど、コーディングしていると周りからバカにされてしまう」という相談を受けるんですよ。その場合、自分は外部の技術顧問という立場で経営層に直接アドバイスすることがあります。これは冒頭で示したマッキンゼーの7Sのうち、ソフトのS、ハードのS両面に問題があります。文化などというソフト側からのアプローチでダメなら、組織構造というハード側をトップダウンで変える必要があるので、こういう時こそ技術顧問や外部アドバイザーを使うべきです。

岩瀬:私も及川さんにこっそり「これ言ってください」とイタコのように言ってもらったことがありました(笑)

及川:外部の識者の意見に重みを感じるというのはどの企業でもあると思います。なので、私自身が同意する内容ならば、積極的に話すようにしていますね。

またスキルを学ぶという文脈では、私も、同じく技術顧問を務めている吉羽(龍太郎)さんと和田(卓人)さんも、定期的に勉強会を開いています。とくに和田さんが主催している「twada塾」は非常に面白いと思いますね。

岩瀬:「twada塾」には週1回のペースで講義や1on1、グループワークなどを約3ヵ月間かけて行う、ソフトウェアエンジニアを育成するためのトレーニングコースがあります。

たとえばデータモデリングもtwada塾の中で学べるのですが、会社に入ると0からデータモデリングしてプロダクトをつくるというケースはなかなかありません。現実社会で使われているデータ構造を見たうえで、ER図やテーブル設計を学べます。非常に密なコースで評判もいいですね。

及川:結構厳しく指導されるので力がつきますよね。私も受けたいと思うようなものも多いです(笑)

岩瀬:ミドル・シニアエンジニアを育てるときに、彼らのさらに上位にいる技術顧問の力を借りるのは結構簡単な方法のひとつですよね。それで活用させていただいているというのもあります。

「いざとなれば辞める」気概を持って本気で改革に向き合う

及川:最後に企業文化の課題についてですが、開発者体験やソフトウェアの重要性を経営陣が理解していないという企業も結構あると感じています。

の場合は、流出した人材の補充も比較的容易なので危機意識が低かったり、優秀なエンジニアを獲得する意義がわからない幹部がいたりするというケースもあります。NTTコミュニケーションズさんでもこういったことはあるんでしょうか?

岩瀬:ものによってはあるかもしれません。当社は新卒・中途問わず採用に積極的ですし、特に今はこうした中途採用の支援にも注力しています。

及川:昔は「採用や補充は人事の仕事」という意識を持つ、採用に無関心なチームエンジニアリングのマネジメント層もいましたが、今はだいぶ変わりましたよね。

岩瀬:今はチーム内にピープルマネージャーがいたりしますね。ここに関してはマネジメント層の中でも自分でやるという気概を持っている人もいますし、私も得意な領域です。

たとえばダイレクトスカウトを活用するときに、自分がやっているPodCastの出演エピソードや過去の講演内容といった「参加者が興味を持ちそうなもの」でアプローチするよう文言のアドバイスをしたりしますね。社内勉強会もたくさんあるので、そこで中途採用のベストプラクティスを共有したりもしています。

及川:NTTコミュニケーションズで発信している技術ブログも結構面白い記事がありますね。こうした会社の面白さを、ソフトウェア開発の面白さを社内で共有して訴求できるようになればと思います。

他の会社で研修依頼が来ると、「私が話すと、何かに目覚めたのか、何人か辞めちゃうことが多いんですけど大丈夫ですか?」とお話もします(笑)。結局ハード面で変化がなければソフト面での努力は意味が乏しくなるので、そこが原因となって辞めてしまう方が多いですね。

会社と心中する気がなく、自分のエンジニア人生を謳歌したい方は辞めていいと思うのですが、その前に「辞める気で会社に働きかける」という方は少ないです。みんなが必死になって本気で訴えれば大企業を変革できるので、ぜひ一度考えていただきたいです。

岩瀬:いざとなれば辞める」の気概を持ってカルチャー変革に取り組んでいくと、結構変わっていきますね。変われば変わるほど自分に居心地の良い会社になっていくので、正の連鎖になります。

及川:あと、大企業にいる方はぜひ副業としてスタートアップのお手伝いをして、スタートアップの文化やスピードを知ってほしいですね。大企業の資金力・組織力とスタートアップの文化やスピード感が加われば、不敗の組織になります。

岩瀬:私もスタートアップ企業のお手伝いをしているのですが、スピード感の違いや物事の決まり方に衝撃を受けたりするので、これだけでもかなり競争力が高まると思います。

開発者体験は競争力の源泉

及川:組織が変わらなければ技術者はついてきません。そのためには、よいプロダクトを生み出すという開発者体験は非常に重要であり、これを向上させるためにいまの大企業に求められているのは「本当に成功したプロダクト事例」を出して、過去の成功体験から解き放たれることです。これが各社でできれば、日本全体のDXも進んでいくでしょう。

岩瀬:「開発者体験」も競争力の源泉であり、人と組織の両輪がかみ合わなければよいプロダクトは生まれません。我々のようなエンジニアから声を上げ、さらに外部人材を活用してマインドセットを変えていくという方法もあるので、ありとあらゆる方法を使って開発者体験を高めて成功したプロダクトを出しつつ、みんなで業界を盛り上げていければと思います。

文・中島佑馬

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