「インプットの怪物」あんちぽが語るエンジニア勉強論。終わりなき論争に終止符は打たれるのか

2024年2月29日

作家/GMOペパボ株式会社 CTO

栗林健太郎(あんちぽ)

GMOペパボ株式会社取締役CTO、日本CTO協会理事。情報処理安全確保支援士(登録番号:013258)。東京都立大学法学部政治学科卒業後、奄美市役所勤務を経て、2008年より株式会社はてなでソフトウェアエンジニアとして勤務。2012年よりGMOペパボ株式会社に勤務。現在、同社取締役CTO。技術経営および新技術の研究開発・事業創出に取り組む。2020年より北陸先端科学技術大学院大学に在学する社会人学生としても活動。

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「エンジニアは一生勉強しなければならない職業である」と言われます。「勉強し続けられない人はエンジニアに向いてない」「そんなことはないし、エンジニアはそう言うほどには勉強していない」「勉強は必要だが、エンジニア以外もそう変わらないだろう」「とんでもない、他の職業と比較しても勉強が必要なはずだ」…など様々な主張が飛び交うものの、明確な結論は出ていないような気がします。

この命題に対しての議論はなぜすれ違い続け、似たような論争が何度も繰り返されるのかエンジニアは「勉強」とどのような態度で向き合えばいいのか。このような問いを携えて、GMOペパボのCTO、あんちぽさんこと栗林健太郎さんにお話を聞きました。

あんちぽさんは、長い業界経験の中で、メンバーからCTOというトップマネジメントまで様々なレイヤーで開発組織を見つめ続け、そのうえ息を吸って吐くようにインプットとアウトプットを続けています。現在は、GMOペパボのCTOを務めながら北陸先端科学技術大学院大学の博士課程にも身を置く「勉強の怪物」です。

彼は「エンジニアと勉強」をめぐる論争に、何を思っているのでしょうか。そして、この問題を解決する光は見えてくるのでしょうか。

終わりなき論争の正体は?

——本日はよろしくお願いします。「エンジニアと勉強」をめぐる論争について、あんちぽさんはどういうふうに捉えているのでしょうか。

あんちぽ:「エンジニアは一生勉強しなければいけない仕事である」みたいなことが、Xなどで肯定的にも否定的にも語られていますね。

あんちぽ:肯定的な意見としては「エンジニアはそういう仕事なんだからまあ頑張れ」みたいな話で、一方で「それは企業側の言い分で、ただのやりがい搾取だ」という否定的な意見も見られます。あるいは、「アンオフィシャルな個人の努力ありきでは業界として良くないのでは?」「たとえば会社が研修などの仕組みを用意するなど、個人が時間をかけて必死に勉強するのとは違うやり方で必要な技術を身につけさせるべき」という社会的な視点に立った批判もあります。

とはいえ「そもそも勉強自体必要ない」という人はあまりいないと思うのです。

たとえば「勉強は必要ない」と主張する人がいたとしても、それは当の本人が勉強を勉強と思っていないだけで、実際には同じかそれ以上のことを、楽しみながらやっているから出た主張なんじゃないかなと思います。そういう人の言う「勉強なんて必要ない」は、「皆の言う“勉強”にあたることは、自分は趣味としてやっていて、勉強としてやっているつもりはない」と言い換えられるのかもしれないですよね。僕自身もそういうところがあります。このように「勉強は必要ない」という言葉には「勉強は楽しくやるのがいいよね」という主張が含まれている場合もあるでしょう。

僕は、「エンジニアとして働くうえで勉強が必要だ」は自明であるものの、どの程度の勉強が必要なのかはその人の目的次第だ、と考えています。自分の目的に照らして、勉強することが最適な戦略ならやればいい。というわけで、やはり一概には言えないのです。

道徳的「べき論」と切り分け、戦略的に考えよう

——勉強すべきかどうかはその人の目的次第、言われてみればその通りです。であれば、なぜこの論争はこんなにも絡まってしまうのでしょうか?

あんちぽ:あくまでも僕の主観ですが、「自分は勉強をしている」と自負する人が勉強の必要性を主張するとき、「勉強というのは義務としてやるべきものである」という道徳的な観点が、一定程度含まれているように思えることがあるのです。

つまり「目的に照らして勉強をすることが最適だ」という戦略的な話と「義務として勉強すべきだ」という道徳的な話がごちゃ混ぜになっている。「勉強すべきだ」という「道徳」を他人に押し付けようとする人が一定数いることが、議論をややこしくする一つの要因になっているんじゃないかなと僕は想像しています。

——目的に照らして戦略が正しいか正しくないかはロジカルな議論になるけれど、そこに個人の考え方としての道徳的な話が絡むと、途端にややこしくなって、水掛論にもなってしまう。

あんちぽ:もしかしたらそういう人は、自分が何かを犠牲にして勉強しているという意識があるのかもしれないですね。他にもやりたいことはあるのに、それらすべてを犠牲にして、勉強に時間と労力を注いでいる、というような。そのため「自分も努力しているのだから、周りの人も同じようにするべきだ」となっているのかもしれません。

けれども、人の行動に対して「こうすべきだ」という道徳的な議論を持ち込んでも何も解決しません。これはチームでも家族でも、どんな人間関係に関しても言えることでしょう。

一方で、そういうことを言われた際に過剰に反発を覚えてしまう側も、何に反発を覚えているのかは振り返った方がいいと思います。

たとえば「勉強しないといけない」と思っているのだけれど、いろいろな事情でできていない。そこで正論を言われたものだから、反発を覚えたのかもしれない。あるいは勉強に注ぐ時間も熱意もあるのに、具体的に何に取り組めばいいかわからない、という焦りが反発につながったのかもしれない。このように自分の反発の正体を客観的に見ていくことで、自分が取るべき行動が見えてきます

——どちらの立場にしろ、事実と意見を切り分けた上で、自分の目的に照らして最適な戦略を取ろう、ということでしょうか。

あんちぽ:その通りです。これは多くの人にとって重要な話だと思います。

というのも、冒頭にも触れたように、周りから見れば驚くほど勉強しているにもかかわらず、本人は「それは趣味として楽しんでいるのであって、勉強なんてしてません」と捉えているという「怪物」もこの世にはいます。「勉強しなければならない」という義務感から勉強をしているという人は、勉強を勉強とも思わずに何時間もコードを書いている人に対して、比較的アウトプットが少なくなる傾向にあるのは確かでしょう。

こうした怪物もいる世界で、落ちこぼれることなく相対的に良いポジションを維持したいのなら、内発的動機が不足している分を外的な戦略で埋めるしかない。自分のレベルは業界の中ではどのくらいなのか、そのレベルから落ちこぼれないためにどれくらい勉強する必要があるのか。このように具体的かつ客観的に戦略を考えるしかない。それが多くの人にとって必要な「勉強する」ということの中身ではないでしょうか。

「勉強」が必要なのはどの業界も同じ

——では、具体的にどういう戦略をとっていけばいいのでしょうか?今と同じだけの給料をもらい続けたいと思ったら、日常の仕事の中で学べるものとは別に勉強が必要になりますか?

あんちぽ:それは多かれ少なかれ当然必要だと思います。

たとえば、今はAIに支援してもらいながらコードを書くのが当たり前になっています。単純な作業を中心に、AIがやってくれるようになる領域は広がっていくでしょう。逆に言えば、人間がやるべきことの複雑性は必然的にどんどん上がっていくはず。そんな中、全く勉強しないで今までと同じ成果を出し続けることは難しくなっていく、というのは明白です。自分のレベルは変わっていなくても、周りが上がる分、相対的に自分の成果は減ってしまいます。

ただ、それはエンジニアに限った話ではない。あらゆる職業とまでは言わなくても、相当多くの職種に当てはまることでしょう。誤解を恐れずに言うと、「エンジニアは特別に勉強が必要な職業である」というのは、他の業界に対する配慮に不足があるのではないかと、僕はずっと思っています。

IT業界は変化が速いと言われます。新しいライブラリも技術も確かに次々に出てきていますし、そういうものをどんどん吸収する必要があります。ただそれは、他の職種の方も一緒です。たとえば弁護士の方もそうでしょう。世の中の状況が変われば法律だって毎年のように変わるわけですから。あるいはIT企業で我々エンジニアの同僚としてビジネスをつくっている人たちだって、必要な知識はどんどん変わっていくはずです。

普通に考えれば「エンジニアだけが特別に勉強が必要なのである」というのはおかしな話なんです。そう思ってしまうのは、他の業界に比べて、エンジニアは勉強会やカンファレンスなど、勉強したことを即座にアウトプットする機会が多いからだと思います。こういった登壇や発表を通して、エンジニアの「勉強の必要性」が視覚化されたのです。

あんちぽ:また、エンジニアがアウトプットしやすいのには「プロセスをモジュールとして切り出しやすい」という構造的な理由があります。エンジニアリングというのはいくつものモジュールの組み合わせによって行われている。あるプロダクトをつくるプロセスの一部分だけを切り取っても、意味のあるライブラリになっているんです。そのため、仮にプロダクトがリリースされなくてもエンジニアはいくらでも発表できます。

「自分たちは勉強の必要な職業である」というエンジニアの多くが持つ認識は、もしかするとそうした構造への無自覚さゆえに生まれたものなのかもしれないですね。

そして、この構造を良いものと思うのであれば、むしろそれを他業界に持ち込むことで、いわゆるDXを支援することこそがエンジニアのやるべきことだと僕は思います。

怪物だって、必要に駆られて学ぶこともある

——息を吸って吐くように学び続けるあんちぽさんの「怪物」ぶりは多くの人の知るところですが、博士課程にまで通っているのはどのような理由からですか?

あんちぽ:僕は会社の中でAIに関する研究所を主宰しています。その研究所のマネージャーとして頭打ちにならないよう、研究のお作法を身につけるために、博士課程に通っています。

僕は文系学部出身のエンジニアで、理系の学位を持っていませんでした。僕自身がエンジニアとしてやる分にはそれでも問題なかったのですが、研究所を主宰し、アカデミックなアプローチが必要となると話は別です。研究の世界のお作法やルールがわからず、僕の主観で「これでいいのでは」と判断して出したものが全然通用しないことも起こり得ます。そうした事態を防ぐために、枠組みくらいは知っておこうと思ってやってみているところです。

——やってみてどうですか。楽しめるものなのかどうか。

あんちぽ:研究すること自体は楽しいですが、その方法論を学ぶことはそこまで楽しくはないし、特に好きということでもないです(笑)。「研究」という営みの素晴らしさはもちろん理解していますが、個人的には必要に迫られて仕方なくやっている感覚です。

——「怪物」でも必要に迫られて学ぶことがある、と聞いて少し安心しました。

あんちぽ:組織をまとめる立場にいる以上、僕が進んで学ばないと組織の成長を阻害してしまいますから

トップマネジメントをする人間としては、少なくとも視野は誰よりも広く持っていたい。メンバーが興味関心のあることは人それぞれでしょうが、どんな提案が来ても一旦打ち返すことができるくらいではありたいと思っています。一方、メンバーの提案について、その真の価値までは理解できていなくても「いいんじゃないか」と言えることも重要だと思います。何百人もメンバーがいれば当然、僕よりもメンバーの方がよく知っていることはたくさんありますから。

ただ、技術組織の中で立場上、最も推進力を持つ自分が、新しい技術やコンテンツの価値を正しく認識できていないと、組織として最大のパワーが出ない。それは良くないから、トップマネジメントを務める立場となった今こそ、内的動機の有無にかかわらず学び続けなければ、と考えています。

取材・執筆:鈴木陸夫
編集:光松瞳・王雨舟
撮影:曽川拓哉

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