米MSと日立で品質を極めてきた2人が、マネーフォワードCQOに就任。日本企業が囚われている品質保証の呪縛とは?

2023年9月13日

株式会社マネーフォワード CQO

池田 暁

2002年に日立グループに入社、情報通信系、医用系、自動車系と多様なドメインにて品質保証活動を推進。Web業界に転身後、マネーフォワードに入社。社外ではNPO法人ASTER理事やJaSST実行委員等活動中。著書には、『実践ソフトウェア・エンジニアリング 第9版』や『SQuBOKガイド V3(共著)』、『[改訂新版]マインドマップから始めるソフトウェアテスト(共著)』がある。

株式会社マネーフォワード CQO

高橋 寿一

MicrosoftやSonyにて、ソフトウェアテスト業務や品質担当部長を務める。Microsoft退社後にフロリダ工科大学大学院に入学し修士号(ソフトウェア工学)を、その後広島市立大学にて博士号(情報工学)を取得。2022年にマネーフォワードに入社。著書に、『知識ゼロから学ぶソフトウェアテスト』、『ソフトウェア品質を高める開発者テスト』などがあり、Developers Summit 2022 Summerにてベストスピーカー賞を受賞。

2023年3月、日立グループなど製造業を中心にキャリアを積んできた池田暁氏と、米MicrosoftやSAP Labsなど海外のビッグテックで活躍してきた高橋寿一氏のCQO就任を発表したマネーフォワード社。

日本と海外で最高の品質をつくりあげてきた2人が感じる、日本の「品質保証」の課題とは?国内外に開発拠点を持ち、50以上のサービスを提供するマネーフォワードの品質を、2人はどう高めていくのでしょうか? 取材しました。

「マネーフォワードなら安心」を勝ち取るために。真逆な経験をしてきた2人がCQOに

——そもそもお二人が就任する「CQO」とはどんなポジションですか?また、CQOという言葉はまだまだ一般化していないように思えますが、なぜマネーフォワードにはCQOが必要だったのでしょうか?

▲写真左:池田暁さん、写真右:高橋寿一さん

池田: CQO(Chief Quality Officer/チーフ・クオリティ・オフィサー)とは、その名の通りプロダクトの品質を維持・向上を担う最高責任者を指します。マネーフォワードにCQOをという動きの発端は、開発現場から起こった課題意識でした。

マネーフォワードは2023年で11年目。サービス数は50を超え、開発拠点は国内7拠点、海外2拠点と、事業も開発組織も規模が拡大していく中で、プロダクトによって品質の基準が大きく異なったり、品質担保のためのプロセスが統一されていなかったりすることが課題となっていました

これまでは、各チームや拠点それぞれが品質基準を定める「プロダクト単位」の基準で開発を進めていました。ただ、事業が拡大し、複数のサービスを利用しているユーザーが増えてきた今、マネーフォワード全体での品質基準が定まっていないことは、顧客体験を下げる大きな要因になりえます。このままでは、ユーザーからの「マネーフォワードのサービスなら安心」という当社全体への信頼を勝ち取ることはできません。

また、エンタープライズ利用も増え、ひとつのプロダクトをリリースするたびに伴う責任も重くなってきました。こうした状況下で、全てのプロダクトに「品質」という横串を刺した上で、組織を横断して品質向上のための戦略を練れるようなポジションが必要となったんです。

高橋:ただし、平準化の努力を行う一方で「品質のばらつきが必ずしも悪ではない」とも思っています。求められる品質水準は、プロダクトやサービスのフェーズによって大きく変わります。我々がするのは、そのプロダクトにとって最も適した水準を、統一した観点で定めていくことです。

たとえば、新規事業のプロダクトに関しては、素早く改善できる仕組みをつくった上で、「ある程度のバグは許容する」という水準のもと、スピード重視でリリースする必要があるでしょう。一方で、主力サービスに関しては、既に多くのユーザーや重大かつ大量のデータを抱えていて、大規模な障害が起きた場合の影響範囲が大きいので、より高い品質水準を課す必要があります。つまり、プロダクトのフェーズごとに最適な品質水準を設けようとすれば、必然的に多少のばらつきは生じます。大切なのは、その水準を見極めるときに、すべてのプロダクトに対して同じ観点から、それぞれに合った最適解を見つけること。その役割を、我々CQOが担っていくんです。

——今回お二方同時就任ということですが、それぞれどんな役割なんでしょうか?

池田:私たちは「品質保持向上」という共通点はあるものの、経験を積んできた業界も国も全く異なります。今のマネーフォワードにはその2人分の経験や知識が必要だったんです。

私は日立グループなど主に製造業の出身で、「高い品質を保つためのプロセス・組織を整える」という経験をしてきました。品質保持向上のためのプロセス整備や組織づくりについては、マネーフォワードでも今までの知見を生かせます。

高橋:僕は、アメリカのMicrosoftやSAP Labsなど海外の企業を中心にキャリアを積んできました。ソフトウェアテスト研究で博士号を取ったり、SAP Labsの次に働いたSonyではゲーム領域の品質責任者をしたりしてきたので、技術的な面での品質保持向上が得意領域です。今までに培ってきた、テストの手法やテストしやすい設計など品質の高いプロダクトをつくる技術は、マネーフォワードの開発に生かせます。

池田:マネーフォワードは海外にも開発拠点がありますから、(高橋)寿一さんのグローバルでの経験や知見も不可欠ですね。

現在の品質保証の課題は「ソフトウェアに適した基準がない」こと

——お2人とも様々な企業で経験を重ねてきていますが、今の日本の「品質保証」における課題はどこにあると思いますか?

高橋:これという1つの課題を解決すればよいような単純な問題ではありませんが、品質保証の水準を検討するときに、伝統的に使われてきたQCDに代わる、現代のソフトウェアに適した基準がないことは、大きな課題だと考えています。

QCDというのはQuality(品質)、Cost(コスト)、Delivery(納期)の頭文字で、そもそも製造業での生産管理で用いられていました。品質の高い製品をつくるためには、この3要素をそれぞれ高いレベルで満たす必要があるという考え方です。

業務のシステム化を目的とし、決まったものをつくる開発が大半を占めていた20年前なら、ソフトウェア開発も製造業と同じようにQCDの3つだけを最適化することが、企業の成長に直結していました。PCもさほど普及しておらず性能も低かったから、一人当たりの生産性も今ほど高くなく、営業利益率が10%を超えれば優良企業と呼ばれていましたね。

ところが今は、インターネットの普及で世の中が高速に変化し、ソフトウェアによって提供すべき価値も多様化しています。変化に対応し世界で戦えるプロダクトをつくろうとするなら、QCDという単純な3つの指標だけで、最適な品質水準を捉えきることはできません。時代をリードして新しい品質基準をつくっているGoogleやFacebookなどは、営業利益率10%どころか、20%超の企業となっています。一方、多くの日本企業は昔ながらのQCD指標に準じたやり方でやっている。これが、日本の品質保証における根本的な課題だと考えています。

——池田さんは製造業出身ですが、ソフトウェア業界との違いはどのあたりに感じていますか?

池田:私の経験上、高い信頼性が求められる分野を扱う製造業は、品質最優先の文化です。その品質を保つためなら、コストや納期は調整してもよいという考えが多いです。

なぜそこまで振り切れるのかというと、品質が担保されていない商品は、ユーザーの命を奪いかねない重大事故を引き起こす可能性があるからです。ビジネスとして考えても、そういった事故が起こった商品も、場合によってはそれをつくったメーカーのものも誰も買ってくれなくなってしまいますから、致命的です。だから「これ以下の品質で世に出してはならない」というラインは厳格に守らなくてはいけませんでしたし、そのためにつくり手はみんな必死でした。

一方で、当社が取り組んでいるSaaSのようなソフトウェア開発では根本から考え方が違います。ソフトウェアでユーザーに価値を届けるためには、高速に変化するユーザーニーズに合う機能を、需要に遅れることなく提供し続ける必要があり、開発や提供のスピードが重要です。品質が命の製造業と全く同じ発想・やり方を、スピードが命のソフトウェア開発にそのまま展開するのは適切ではありません

大切なのは、「必要以上の過剰品質になりすぎてスピードを落としてはいないか」ということを都度よく考えるということです。

ソフトウェア開発でも品質は最重要であることは変わりませんが、つくったソフトウェアに重大なバグがあったとしても、それが即座に人命にかかわることはごく稀ですから、常にそのレベルでの厳格な品質基準を設ける必要はありません。ただ、「品質低下をプロセスから防ぐ」という発想やその方法は、ソフトウェア開発にもある程度有効だろうと考えています。

これまでの品質保証を根本から見直すタイミングが、創業から11年目の今だ

——CQOとして品質の基準を引き直し、その基準を決めるプロセスも変える。開発組織の動き方がガラっと変わりそうですね。

池田:マネーフォワードの場合は今後の10年間を考えたときに、これまでの品質保証をゼロベースで考え直すタイミングが今なんです。これまでは「品質」といっても、やっぱりテストに偏った「テスト活動」の意味合いが強くありました。そこから、より高いレベルの品質保証活動へと大きく舵を切っていきます。

テスト活動を強化してテストの技術力だけを上げても、テストに入る前段階の品質を上げられていなければ、テストの回数が増えるだけです。それではスピードが落ちてしまい、価値を生み出せません。

テストに入る前の品質を上げるには、まずは開発組織の動き方を変えなくてはいけません。要件定義や設計など上流工程を強化したうえで開発に入ったり、テスト偏重な工程から脱するためにプロセス全体を検証したりするなど、プロセス品質面の強化に取り組んでいく必要があります。

QAエンジニアはもちろん、開発を担当するエンジニアのスキルアップも重要な要素です。専門家ほどの技術力を保つ必要はないにせよ、テスト前の品質を上げていくためには、品質に関する最低限の知識や技術を全員が持っていないといけませんから、これを文化として育てていくことも同時に進めていきます。

——テスト前の品質を上げるためには何が必要ですか?

高橋:すべてのエンジニアが「高品質なプロダクトをつくる技術」を身につけていれば、テスト前後にかかわらず一定の品質は担保できるでしょう

品質を高める一番の近道は「品質高く開発ができるエンジニアを増やす」ことです。でも、若手育成の中でテストの書き方や品質保証の考え方などをじっくり教える機会は少ないし、自学自習に任せるにも限界があります。ベテランについても、「品質」を軸にキャリアを積んでいこうと考えている人は深く学んでいてスキルも高いですが、そうでない人もいます。だから、その会社の中にたまたま品質に関するスキルが高い人がいれば、品質保証はその人に頼り切りになりますし、いなければそれすらできません

個人のスキルに品質保証が依存しているのは、企業活動としてよくありません。「高品質なプロダクトのつくりかた」を開発者全員が身につけていれば、テストできないコードは生まれませんし、必要十分なテストやプロセスが用意できます。低品質なプロダクトになりようがないわけです。

池田:前職では「QCDは全達成で当たり前。未達成はエンジニアが頑張っていない証拠」と言われていました。高品質なプロダクトを素早くつくる方法を、開発者一人ひとりが知っていて実践できていれば「スピードを優先したので品質が下がりました」という状況にはならないはず。ビジネスとして勝つために必要な、スピードと品質の両立のために、エンジニアのスキル向上は不可欠ですね。

——マネーフォワードは今後、どのような品質保証の方針になるのでしょうか?

池田:具体的な数値は言えませんが、品質レベルは一定以上に担保すると同時に、最速で市場を取りにいくために、スピード感を最優先に検討を進めていきます。

高橋:CQOは「そのプロダクトに求める最低限のライン」を決めないといけません。「この基準に少しでも満たないものはリリースしない」とする1本の線のような細いラインなのか、機能によってある程度基準の幅を持たせてもよいとする太いラインなのか。そのラインの引き方は、プロダクトのフェーズや特性によって決まります。例えばGoogleは、障害が起こった時の影響範囲が小さい部分の品質は低くてよく、逆に障害時にユーザーに甚大な損害を与えうる部分の品質は高くして、と幅を持たせています。

高い品質を求めるあまり、開発期間が長引いてリリースが遅れればビジネスチャンスを失います。経済理論的にも早くドミネート(優位的なポジションを確立)するほうが成功しやすいですし、特にインターネットは勝者総取りになりやすい。小さな領域でもいいのでまずはドミネートすることを最優先とし、守るべき品質のラインをその時々最適に設定して、守っていく仕組みをつくっていきます。

また、海外拠点とも品質の認識を合わせるために「お互いの文化を理解するべきだ」と、マネジメント側に浸透させていきます。生まれ育った国が違えば、必ずカルチャーギャップが存在します。ギャップを意識しないでコミュニケーションを取っていると、日本で育った人ばかりの企業では想像もつかないコミュニケーションエラーが起きてしまいます。このギャップが理解できていなければ、品質についての認識もすり合わせられませんから、協働のための文化理解は非常に重要です。

池田:私と寿一さん、ひいてはマネーフォワードが目指す「スピードと品質を両立した品質保証」を実現するためには、開発者全員のスキルアップと、円滑にコミュニケーションがとれる強い開発組織をつくることが、遠回りなようで一番の近道です。こうした開発組織をつくれれば、ユーザーに新しい価値や良い体験を素早く届けられて、ビジネスも成長するはず。そのゴールに向かって、2人が今まで培った「品質」についての知見をもとに、力を尽くしていきます。

取材・執筆:山岸 裕一
撮影:曽川 拓哉

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