2023年7月24日
キャディ株式会社 CTO
小橋 昭文
スタンフォード大学・大学院にて電子工学を専攻。世界最大の軍事企業であるロッキード・マーティン米国本社で4年超勤務。ソフトウェアエンジニアとして衛星の大量画像データ処理システムを構築、JAXAやNASAも巻き込んでの共同開発に参画。その後、アップル米国本社にてハードウェア・ソフトウェアの両面からiPhone、iPad、Apple Watchの電池持続性改善などに従事した後、シニアエンジニアとしてAirPodsなど、組み込み製品の開発をリード。2017年11月に、キャディ株式会社をCEOの加藤勇志郎氏と共同創業。
CADDi AI Labは、AI活用の先進事例がない製造業の領域で、キャディ社が持つ大量の非構造化データの活用を目的として、2021年12月に設立されました。技術力の高いメンバーを次々と集め、発足1年で明確な成果を出すなど注目を集めましたが、2023年3月に「CADDi DRAWER事業本部」に組織変更されています。
CADDi AI Labとはいったい何なのか? 能力の高いメンバーを集め、結果を出していたとしても、スタートアップで研究開発を続けることはやはり難しいのか? 「技術投資」とは、資金も人材も潤沢な大企業にしかできないものなのか──そんな疑問を解き明かすため、CTOの小橋昭文さんを訪ねました。
その頃、データ活用についていろいろ試行錯誤していたんですが、事業を進めるうえで、社内にあった技術ではどうにもならない大きな課題に突き当たりました。そのソリューションとして機械学習が使えそうだと考えCADDi AI Labを立ち上げたんです。
当社は図面データ活用クラウドサービス「CADDi DRAWER」という、お客様が保管する図面データを高精度に検索し、資産として蓄積できるSaaSプロダクトを提供しています。このプロダクトの根幹である「図面検索」を実現するためには、紙やPDFで管理されている大量の図面を、精密な画像認識でデジタル化し、データとして利用できるようにしなくてはいけません。そこには「図面の量の多さ」と「解析の難しさ」という2つの課題がありました。
まず図面の量について。製造業では、1回の発注で約1000ページの図面を使用するなど、大量の図面が使われています。しかも、企業が所有する総図面量は数十万枚から百万枚を超える場合もあり、それらを高速に検索できるようにしなければなりません。「CADDi DRAWER」は、1回の発注だけでなく、さまざまな企業の過去何十年分の図面を検索可能にするプロダクトですから、解析すべき図面の量は膨大です。量が多いからといって解析に時間がかかっていては価値を提供できません。解析すべき図面が多ければ多いほど、高速で解析する必要があります。
また、解析においても、図面には「文字」だけでなく、「形」「線」などさまざまな要素があります。さらに、業界独自の基準や、図面でしか見たことのないような専門記号も盛り込まれているんです。これらをすべて正確に読み取って解析するためには、開発者の業界に対する深い理解と、高度な読み取り・解析技術が必要です。
この課題に対して、以前はコンピュータービジョンのような伝統的な画像処理で頑張っていて、私も個人的にOCRを使ってみたりしたんですが、大きな改善はできませんでした。
そこで、やはりこうした「解析」の領域では機械学習が有用だろうと考え、私よりも専門性が高いメンバーの力を借りて機械学習に挑戦してみたところ、今まで試していた手段の中でも確度が高そうだと感じたんです。この技術に投資することで、「図面解析」「図面検索」の発展に大きく貢献するに違いないと考え、AI Labを立ち上げました。
事業が軌道に乗るにつれて集まった大量の図面をデータ化して管理し、更なる価値につなげたかったんです。
当社は部品調達プラットフォーム「CADDi MANUFACTURING」という、サプライチェーンをつくる、つまり、メーカーなどのお客様から受注した部品を適切な加工会社に発注し、当社にて検品・梱包・納品まで一貫して対応する事業を展開しています。この事業が順調に進み、何度も受注をいただくうちに、受注時の大量の図面が集まってきました。
ただ、当時は受注した大量の図面を持っているだけで、価値につなげられていなかった。実際に、過去に受注した図面を参照したいときに「あの図面ってどこだっけ……頭では覚えてるんだけど……」という事態が頻繁に起きていました。
保持している大量の図面は、データとして管理し検索できるようになってはじめて価値につながります。たとえば、文章の中から特定の文字列を探したいときは、「Ctrl+F」を押せばすぐ見つかりますよね。それが図面でもできるようになれば、過去の類似した図面をすばやく見つけ出せますから、より適切な企業に、より高速に受注を振り分けられるようになるはずです。それを実現し、サプライチェーンとしての価値を高めるために、一度の受注分だけでなくお客様が保管している全ての図面をデータ化し、高精度で検索できるプロダクトをつくらなくては、と考えました。
AI領域の専門性を持ちながら、事業課題と技術をうまくつなげられる、MLE(Machine Learning Engineer、機械学習エンジニア)と呼ばれるメンバーがジョインしました。
AI LabのようなR&D組織から、事業に生かせる成果を生み出すためには、「解決すべき課題」「手段となる技術」を、どちらも深く理解し適切な解決策を見出せる人が必要です。そこで、「課題を分析して、解決方法となる手段(技術)を見出す」「すでにある手段(技術)を今の課題と結び付けて、解決方法を見出す」のどちらもできたうえで、そのバランスもうまくとれるような方々とチーム組成しました。
また、機械学習を事業に用いるためには、適切なデータをAIに学習させてモデルをつくることはもちろん、事業に活かせる形に整え、さらに改善し続けて精度を高めることも重要です。一度つくっておしまい、ではなく、モデルを継続的に改善し続けることまで見据えて研究開発ができるよう、MLOpsエンジニアと呼ばれるメンバーにも参画してもらいました。
AIを活用した画像解析技術を中心に、主にデータ活用の分野で当社のミッションの実現にAIを活用できそうなところがないか、幅広く探索していました。
我々にとって、AIは更なる事業の可能性を見つける手段の1つにすぎないと考えています。AI Lab設立のきっかけとなった「図面解析」にとどまらず、「ものづくり産業のポテンシャルを開放する」というミッションの実現にAIが有効そうなところを広く探していくために、AI Labのようなラボ組織という形で研究を進める必要があると考えました。
想定通りといえば想定通りでした。もともと探索を主眼に置いた組織なので、すべてのチャレンジが実りある結果に結びつくわけではないだろうとは思っていましたし、実際そうでした。
ただ、研究を進める中で「AIが担ったほうがいい領域」「実は人間の経験や直感を生かしたほうがよい領域」があるとわかりました。これは、幅広く探索したからこそ得られた大きな収穫でしたね。
たとえば、「商品のキズをどこまで許容するのか」については、AIが担うのではなく、人間の目視や、職人の経験・直感をもとに合意形成した方がいいとわかりました。どんな商品にも、顕微鏡で見れば絶対に何らかのキズはあります。では、どこからをキズとみなすのか。その基準は、製品や企業、取引先ごとにまちまちで、長年積み重ねられた感覚や商習慣の上に成り立っているんです。
もちろん、職人の直感や商習慣を無視して、機械学習で一括処理することもできます。でもそれが、どんなときも最も効率的な方法というわけではないんです。機械学習での処理よりも、取引先の方とサンプルを一緒に見て「ここまでならいいね」と合意形成するほうが効率がよい場合もあります。
とはいえ属人的な感覚に頼りすぎると、「なんとなくOKな気がするけれど、加工会社側がどういう基準でつくっているのか言語化できない」というケースだらけになってしまいます。つまり、品質基準が人に依存してしまう。こうしたケースを言語化していくことも、これから先、事業として取り組んでいかなくてはならないことだと考えています。
AI Labというラボ組織で広く探索してみたところ、機械学習の得意領域を見極めることができるようになりました。CADDi DRAWER事業本部は、まさに機械学習の得意領域である「図面解析」を中心にプロダクトを開発している組織です。機械学習を最大限活かして最も高い効果を期待するなら、そこにAI活用の専門家がいたほうが良いと判断した、という経緯です。
当社には「CADDi DRAWER」と「CADDi MANUFACTURING」という2つの事業があります。「CADDi DRAWER」は、企業がこれまで培った知見・知財が詰まった大量の図面をまとめてデータ化することで、将来の取引につなげるための事業です。対して「CADDi MANUFACTURING」は、当社がまとめて受注した図面を適切な発注先に振り分け、完成品質への責任も持つことで、品質にまつわる合意形成を標準化することを事業としています。つまり、「CADDi DRAWER」はAIが得意な「抽出・分類」、「CADDi MANUFACTURING」は人間が得意な「合意形成」をそれぞれ担っている形になります。
「CADDi DRAWER」にAIを活用することで、もっと大量かつ多岐にわたるデータを、正確かつ高速に処理できるようになれば、受発注先の書庫に眠っている過去何十年分の図面はもちろん、発注実績や調達、会計関連まで複数の部門をまたいだデータを全て集めて融合させることができます。「CADDi DRAWER」から自在に引き出した過去のデータが、「CADDi MANUFACTURING」で発注先を決めるときや、完成品質の合意形成に役立ったりすることも大いにあるでしょう。過去の情報をデータ化するまでは気づかなかったペインに気づくことができ、新たな事業のきっかけが生まれる可能性もあります。
「CADDi DRAWER」をブーストすることで、CADDi全体のミッションにより大きなインパクトを与えられる。そこで、「CADDi DRAWER」の図面解析を担うAIへの投資を強化するために、AI LabをCADDi DRAWER事業本部に組み込むという組織変更を決意しました。
AI Labを「CADDi DRAWER」というお客様に実際に届けるプロダクトを開発する組織に組み込んだことで、お客様からスピーディーにフィードバックが得られるようになりました。おかげで改善指標も定まり、「CADDi DRAWER」に搭載したAIを含めてプロダクトをよりよくしていかねばという、良い意味でのプレッシャーを感じています。
「とりあえず何かやっといて!」という、目的も、予算や組織体制の見直しもなく、漫然と続けている状態にしておくのは良くないかなと思います。
まずは事業のミッションと向き合った上で、探索の目的や、どのくらいの成果を期待するのかを決めておくことが大切です。そのうえで、経営者として、会社や事業の状況に応じて、目的や期待する成果、組織体制、予算などを、柔軟に変化させていく意思決定を行うことも、忘れてはいけません。
意義のある技術投資をするためには、探索とビジネス的な成果を、適切なバランスで両立させる必要があります。「探索ばかりやっていて15年間1円にもつながりませんでした」では、ビジネスとしては成立しないし、チームのメンバーも成果が見えづらくなってしまいます。
かといって、極端ですが「垂直立ち上げをして、今年度中に収益化を目指します」という目標を掲げたら、それはもはや探索じゃない。確実かつ大きなビジネス成果を求めてしまったら、失敗を恐れて探索もチャレンジもできなくなってしまいますよね。
とはいえ、技術投資は必ずビジネス上の成果を見据えてやるものでもないと思います。「LLMを使って何かできないか」といった、手段そのものをうまく使うための探索も正しい。ただ、それすらない状態なら思い切って撤退したほうがいいですね。
また、いざ撤退するなら「撤退!」と言い切ったほうがいいと思います。言い切ることで踏ん切りがつきますし、もっと重要なことがあればそこに投資できますから。
企業や事業フェーズなど、様々な事情を加味した上でR&D組織を持てる状態であれば、やってみる価値はあると思います。
「技術投資」というと特別なことのように聞こえますが、ビジネス自体が「仮説検証を繰り返し、探索する」という技術投資と似たような構図になっていることもあります。正直、創業期のスタートアップは、事業フェーズ自体が仮説検証の繰り返しで、探索しているようなものですから。「長期的にビジネスを成立させること」を忘れなければ、何でもありだと思いますよ。
また、今あるシステムに則るのではなく、まったく新しい解決策を生み出したいなら、技術投資は非常に有効です。とくにSaaSなど目の前にお客様がいるサービスは、どうしてもすぐ機能改善しなくてはならないし、改善した機能をリリースするまでの時間も短くなりがちです。目の前の改善を回すのに精一杯で、お客様の課題を根本解決できるものをつくりたくても、手が回りません。そこであえて技術投資を行うことで、目の前の改善にとらわれていた組織がいったん立ち止まり、まったく新しい解決策を考えたり生み出したりすることに挑戦できます。これは「技術投資」という形でないと、なかなかできないと思いますね。
もちろん、よかったと思っています。
技術的な知財や成果物はもちろんですが、それをつくるためのプロセスや、応用しやすいかどうかの判断基準といった「組織としての学び」も得られました。仮説検証や応用についての知財がたまったのも大きかったですね。AI Labでの「探索」、つまり仮説検証の繰り返しから得られた知見は、「CADDi DRAWER」のAIをさらに進化させたり、他の技術に投資するときにも生きてくるでしょう。
一番わかったのは、「経営者には、必要なタイミングで、必要な分野や技術にベットする胆力が必要だ」ということです。僕はこれを「経営の腕力」と呼んでいるんですけど。
イノベーションを起こすには、やはりタイミングがあるんですよ。解決すべき事業課題があり、その課題に取り組むための「時期」「人材」「資金力」がすべて揃っていないといけない。近頃LLMなどが盛り上がっているのも、それだけ大規模な処理ができるハードウェアができあがったからですよね。つまり、機が熟して、タイミングがやってきたから。そういうタイミングが来たとき、最適な技術にベットできるように、戦略的に探索を続けることが大切なんですよね。イノベーションを起こせるタイミングを確実につかむために、「経営の腕力」をもっと磨いていきたいですね。
取材:石川 香苗子
文:中島 佑馬
編集:石川 香苗子、王 雨舟、光松 瞳
撮影:赤松 洋太
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