2023年7月5日
株式会社エウレカ Data Director
奥村 純
2014年、京都大学大学院理学研究科で博士号(理学)を取得。在学中は日本学術振興会特別研究員(DC1)として国内外で宇宙物理学の研究に従事。その後、大手インターネット関連事業会社にてデータアナリスト・AIプロダクトマネージャーを歴任し、モバイルゲーム事業で複数タイトルのV字回復に貢献。世界初となるゲームAI導入プロジェクトをリードする。2019年、株式会社エウレカに入社しグロース戦略の策定に従事。2020年3月、Data Directorに就任し意思決定やAI活用に関わるデータ戦略を推進している。一方、国内外カンファレンスでの多数の登壇や執筆、翻訳活動、またAIコミュニティ運営などにも取り組む。
2012年のリリースから10年。累計登録者2000万、国内シェア1位を誇るマッチングアプリ「Pairs(ペアーズ)」。その躍進の背景には、大量に蓄積された利用者データを活用した、AIによるマッチング精度の向上があるといいます。
AIが導き出した答えは、運命の出会いを演出できるのか。感情や感覚が複雑にからむマッチング領域におけるAIのあり方や活用の難しさ、AI活用の展望などについて、Pairsを運営するエウレカでAIやデータ活用を管掌するData Director奥村純氏にお話を聞きました。
奥村:主に安心安全なサービスを提供する領域とマッチングの2領域でAIの活用を進めています。
安心安全対策としては、会員のなかに悪質な利用者が紛れていないか、24時間365日体制で巡回監視し検出するところに、AIを活用しています。人間によるパトロールも行っているんですが、それでも届かないところを補完しつつ人間の負担を減らすために、AIを導入しました。
マッチングの領域では「質の高いマッチング」を実現させるためにAIの活用を進めています。具体的には、「あなたとマッチしやすい人」の表示順などに使用するアルゴリズムを、よりマッチングにつながる形に最適化するために、AIを利用しています。
奥村:顕在的な希望条件だけでなく潜在的な志向も考慮した、会員一人ひとりに合わせたテーラーメイドなマッチングを実現できるということです。
「マッチング」とひとことで言っても、年齢や好みなど、指定された条件に当てはまる会員を推薦し「あとはお二人でよしなに」というやり方だけでは、ちゃんと交際に至るような意味のあるマッチングを生み出す能力は限定的になってしまいます。
そこで、従来のように顕在的な条件によるマッチングだけでなく、会員属性やサービス内でのアクティビティなどのデータから、ご本人ですら気付いていない潜在的な志向や可能性を読み解きマッチングに活かそうと考えました。それがAIの活用に踏み出した理由です。
奥村:2018年から本格的にAI活用をするまでは、プランナーが立てた仮説に基づき推奨ロジックを磨き込んでいました。たとえば「30代男性にはこの表示順、20代女性ならこの表示順がマッチングを促すのではないか」「同じ趣味、同じエリアに居住している会員を推薦したほうがマッチするのではないか」というように、仮説を立ててきました。
ただ、人間の考えつく仮説にはどうしても限界があります。既知の常識や類型に偏りがちですし、プランナーやユーザー自身がまだ知らない、気づいていない部分は拾いきれません。
たとえば、恋愛において互いの物理的な距離感が大事なのは間違いないにせよ、都市部に住んでいる会員と地方に住んでいる会員では、距離に対する感覚がまるで違いますから、出会い方そのものが全然違ったりします。また、同じ趣味を持つからといって必ずしも気が合うわけでもないですし、価値観が合うとも限りません。逆に我々が気づいていない、試せていないけれども、実は相性のいい趣味の組み合わせがあるかもしれません。
そんな数えきれない情報の、無限の組み合わせの中、プランナーが1つ1つ高い解像度で分析し、仮説を立て、検証することは、現実的に難しい。一方、AIは大量の情報を処理するのが得意なので「この仮説検証はAIの得意分野なのでは」と導入したんです。
奥村:「意外にも相性の良い組み合わせ」が存在していることがわかりました。
相性の良い組み合わせのなかには、人間だけでは思いつかなかった組み合わせもたくさんあるんです。分かりやすいところでいうと、「犬好き」と「散歩好き」の相性がいいというようなアウトプットがありました。これは「犬が好きな人の中には、犬を飼っている人も多い。飼い犬の散歩を日常的にしていることから、散歩が好きである場合も多い」という意味で、人間にも理解できるでしょう。ただ、参加コミュニティやプロフィール項目の膨大な組み合わせの中には、単純には紐解くことができないシグナルもたくさんあります。「なぜこの組み合わせなんだろう」と人間が定性的に解釈できないようなAIのアウトプットが、良い結果につながる場合もあるんです。
そのため、人間が見て合理性がないように感じられる組み合わせでも、ユーザーの行動変化を観察しつつ少しずつ試してみています。そもそもマッチングというものは、趣味が合う人同士、近くに住んでいる人同士、といった単純な要件でうまくいくようなものではないとわかっていました。それがAI導入以降より色濃く見えていて、興味深く思っている部分でもありますね。
奥村:新たなアルゴリズムを実装するたびに、気に入った相手に送り合う「いいね」や「マッチング」、「メッセージ」の率などを注視し、会員のアクティビティがどれだけ活性化したかで施策の善し悪しを評価しています。ただ、各指標の数字が上がればいいかというと、そうではないのがマッチングプラットフォームを運営する難しさかもしれません。
奥村:指標となる数値が改善したとしても、プラットフォーム全体で見るとマイナスである、という場合があるんです。
たとえば多くの方からアテンションを集める「モテる」会員がいた場合。送られたいいねの数やメッセージのやりとりは増えますが、その中でマッチにつながるのはほんの一部です。やりとりが増えても、それがマッチにつながっていなければ、全体の「幸せの総量」が増えたとはいえないでしょう。
私たちにとって最高のエンディングは、会員の皆さんが恋人や結婚相手を見つけ、Pairsから退会していただくことであり、適切な相手とマッチングしたかどうかでサービスの質が問われると考えています。その前提に立てば、やはり単純に数値を上げることにフォーカスするのは適切ではありません。施策によって望ましい行動変容を促すことができた人数、また会員からの定性的な評価やフィードバックを含めて、どれだけ良質な出会いを演出できたか、総合的に判断することが重要です。そのため、改善時に見るべき数字についても、その数字が上がったことによる副作用がないかどうかチェックするなど、時々見直しています。
AIの導入効果だけを切り出して評価するのは難しいとはいうものの、本格的にAI活用がはじまった2018年以降、累計登録数が2倍以上に増加していることから見ても、10年以上にわたりサービスを提供している蓄積や業界No.1のアドバンテージは十分活かせていると感じます。
奥村:マッチングへのAI活用に山崎先生の力を借りることで、「当人は自覚していないけれども、実はかなり合う組み合わせ」といった潜在的なマッチングを、より効果的に生み出せるようにしたいからです。
東京大学大学院情報理工学系研究科の山崎俊彦教授は、さまざまなデータから感性や共感、人気など、数値化が難しい人間の感情をAIで分析する「魅力工学」の第一人者です。先生は「表現学習」といって、人間の意思決定や行動の変化に、前後に起きた出来事やその日の温度などあらゆる変数が、どれほど影響を与えているのかを分析する研究をしています。
マッチングアプリが生み出す出会いも、ユーザー同士が下す無数の意思決定が結びついた結果です。そこで、私たちが保有する会員属性や行動履歴をもとに、どんな変数が会員の意識の変化、行動の変化を促すのか、この「表現学習」を応用すれば、より潜在的なマッチングを実現できるのではないかと考えました。
奥村:ソーシャルグラフのような、グラフの考え方を応用するアイデアにはとても感銘を受けました。例えばSNSでは、ユーザーやフォロワー、コンテンツなどを点として置き、それを線で結んで「グラフ」として考えることで、人物同士のつながりやコンテンツの相性を評価することが可能です。山崎先生はそのような技術領域も専門とされています。
このグラフを活かして会員の趣味嗜好を分析すると、一見共通項がないようにみえるコミュニティ同士のつながりが見えてくる場合もあります。たとえば「アウトドア好き」と「家具屋巡り好き」、「読書好き」のような一見無関係なコミュニティが、意外なほど近い関係にあるといったイメージです。
人間関係のような複雑なつながりでも、グラフで表すことでAIに取り込ませることができる。一人ひとりのソーシャルグラフを掘り下げることによって、いままでよりも質の高いマッチングを提供できる可能性があると感じました。
奥村:人の好みや感情など、曖昧で捉えどころのないテーマを扱っているので、人間らしさそのものと向き合っている実感がありますね。
もちろんゲームにも似た部分はあります。やり込みたくなるゲームには、単にクリアする楽しさだけではなく、そこに至るまでの試行錯誤や喜怒哀楽が複雑に混ざっているものですから。
しかし、複雑さを湛えた人間心理をデータから読み解くという意味において、恋愛や結婚をテーマとしたマッチングの難しさは数段上。そうした個別性の高い人間の営みを分析して、アルゴリズムにどう実装してビジネスにするのか。そこに難しさと面白さを感じます。
奥村:メッセージの文面をAIに生成させて送り合ったり、何百万通りの恋愛シミュレーションを行った上でご紹介したりするような取り組みは、技術的には実現可能でしょう。
さまざまな可能性が考えられますが、データで人間の感性を表現しきる段階にまで到達するにはまだまだ技術も時間も足りないのが現状です。当面はアイデアリストに書き込まれるスピードに実装が追いつかない状態が続くでしょうし、愚直にトライアンドエラーを繰り返しながら、人間理解の解像度を上げていくことになると思います。
とはいえ、AIに限らず技術の進歩は不可逆ですし、誰に止められるものでもありません。SF映画で描かれるような、AIが自動的に友達や恋人、結婚相手を探してくれるような時代が絶対に来ないとは言い切れないでしょう。
歴史や文化とも密接に関わる人の営みをどこまでAI任せにすべきかについては、個人的にも興味が尽きませんが、あくまでその是非を決めるのは社会です。長年、データやAIと向き合ってきた立場からすると、恋愛や結婚を前提として人と人をつなげるマッチング領域は、人間に残された最後のフロンティアの一つなのではないかと感じます。
取材・執筆:武田 敏則(グレタケ)
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