2025年1月9日
元Flashクリエイター
朝倉 靖文
元Flashアニメーション作者。2000年代のFlash黄金期、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)「FLASH・動画」掲示板で「肛門の臭い」名義で活動。「電波」的な強烈な言動や、手がけたFlash作品が2ちゃんねらーやFlash愛好家に好評となり、ファンサイトが複数誕生するようなカルト的人気を博した。
「ひまわりのダンス」という、「Adobe Flash」規格のアニメーション作品をご存知ですか。奇妙なオブジェがビルの屋上でくねくねと動いた後、化け物の顔が画面いっぱいに広がる「ビックリ」系のFlash作品です。肝試し感覚でビックリ系Flashを漁ったり、あるいは純粋に「おもしろ」Flashを期待して視聴したりしていた当時のネットユーザーに恐怖を残したこの作品は、現在もYouTube上などに転載されており閲覧が可能です。
クリックで「ひまわりのダンス」の動画を開く 編注:ジャンプスケア部分は省略しております
作者は、2002~2006年にかけて「2ちゃんねる」の「FLASH・動画」掲示板で名を馳せた「肛門の臭い」というユーザー。奇抜なハンドルネームの彼は、傲慢な口調や下ネタだらけの支離滅裂な発言を繰り返すことで知られ、当初は「掲示板荒らし」のような存在でした。しかし、やがて知識ゼロの状態からひとりのFlashアニメーション職人として急成長を遂げていき、その人間性や手がけたFlash作品が「FLASH板」内でカルト的な人気を誇っていました。
「ひまわりのダンス」とは、一体なんだったのか。「Flash Player」がサービスを終了した今、「肛門の臭い」さんは今、何をしているのか。そもそもなぜ2ちゃんねるに書き込み、Flashづくりをはじめたのか。あれから約20年、「肛門の臭い」こと本名・朝倉靖文さんが取材に応じました。2000年代前半のアングラ臭漂う「2ちゃんねる」での活動が、朝倉さんにもたらした「幸運」とは――。
朝倉:当時、私は2ちゃんねるの「FLASH板」と個人サイトを中心として「肛門の臭い」というハンドルネームで活動し、さまざまなFlashアニメーション作品をつくっては自サイト上に公開していました。
その過程で3番目につくった作品が、「ひまわりのダンス」です。
ここでホラーをチョイスしたのは、当時は恐怖系Flashがユーザーから強い人気を集めていたからです。当時はホラー系Flashを収集して紹介していた「恐怖の館」というサイトがあり、私もとても面白がって見ていました。
▲当時、名を馳せた個人サイト「恐怖の館」。様々な恐怖系Flash、ビックリ系Flashへのリンクが掲載されていた(Wayback Machineよりスクリーンショットを撮影)
朝倉:そのうち、「自分も『恐怖の館』に紹介してもらえるような恐怖Flashをつくりたい」と創作意欲が芽生えて、「ひまわりのダンス」の制作にとりかかりました。
「ひまわりのダンス」のテーマは、自分なりの「究極の恐怖」の追求です。当時の自分が持っていた技術と素材を総動員し、私が「怖い」「不気味」と感じる要素を全て詰め込みました。
朝倉:一番のこだわりは、「それをつくった人間の存在や意図を感じさせないこと」です。
私が創作物に対して最大の恐怖を感じるのは「こちらに害をなす、得体の知れないもの」を見たときだからです。自分が影響を受けた「恐怖の館」の掲載Flashも、ストーリー説明もないまま突然恐ろしい画像が叫び声をあげて出現するなど、作者の意図が不明瞭なものが多かった。それらはまるで「人間の手によってつくられたのではなく、この世の外からやってきたもの」かのように、言いようのない不安感や不気味さを醸しだしていました。
一方で、作品に「おどかしてやろう」という意図や作者の気配を感じてしまうと、一気に「得体の知れないもの」ではなくなり、恐怖が薄れる。「所詮、人が人をおどかすためにつくったものであり、怖がる必要はない」と感じてしまうからです。
作者の気配を隠すには、ストーリーなどの説明を省きつつ、視聴者にとっての「未知」の要素で満たすことが重要だと考えています。
それを徹底するため、セリフは入れず、BGMも加えませんでした。画像素材も全て「未知」のものとするべく、オリジナルで撮影や加工をしたものしか用いていません。最後にバーンと出てくる化け物のような顔(※)は、私の顔写真を加工したものです。当時は「モナー」などアスキーアートのキャラクターを使ったFlashが定番でしたが、当然、そうしたキャラも登場させていません。
こうした努力が実ってか、公開してしばらくすると、ねらい通り恐怖の館に「ひまわりのダンス」へのリンクが掲載されるようになりました。当時は「やったー!」と思っていましたね(笑)。
(※):クリックで「ひまわりのダンス」の「化け物」部分の画像を開く 編注:縮小版です。恐怖演出を意図した画像のため、閲覧にあたってはご注意ください
朝倉:いえ、「恐怖の追求」以外の意図はないですね。その書き込みは、当時の自分がわざと支離滅裂なことを言っただけです。
朝倉:端的にいうと、「肛門の臭い」は当時の仲間内の企画だったんですね。「ネット上で頭の悪いキャラクターをつくり、世の中に対していかにインパクトを与えられるか」を試すことが目的でした。
だから、あの人格は全てつくりものの、キャラクターのような存在です。最初は、通っていた専門学校の仲間3人で運用していました。
ハンドルネームには特に由来はありません。とにかくインパクトを残したくて、可能な限り不快な名前をつけただけです。
朝倉:はい。コンセプトは「傍若無人な『俺様系キャラ』だけど、迷惑をかけないバカ」です。支離滅裂なことばかり言うけれど、どこか憎めない。こうした極端な人間性を持ったキャラをつくることで、ネット上でどんな影響力や拡散を及ぼせるのか、仲間内の企画として確かめてみたかったんです。
あの日、「FLASH板」のスレッド「mpegと連動したFLASHを作れ」に書き込んでみたのは、実際どれくらいウケるのか、効果測定を行うためです。
朝倉:特に明確な理由はなく、たまたまです。強いていうなら、私が「FLASH板」をよく見ていたことが背景にあります。「肛門の臭い」企画とは別に、Flashという創作手段に強い興味があったからです。その流れで、なんとなく「FLASH板」を選びました。
そこで目についたのが、「mpegと連動したFLASHを作れ」。タイトルの意味は正直よくわからないんですけど、スレッドの2番目にレスを付けたんです。そして目立つために「2get記念に作るぞ! >>1(投稿者)の望むmpegと連動したFLASHを!」「ところでFLASHってどうやって作るんだ?誰か答えてくれ。答えろ!」と頭の悪い書き込みを続けてみた。
そしたら、反応がすこぶるよかった。板の住民から「このバカ、面白いな」と思ってもらえたんです。
とはいえ、その先、何をするかは決めていなかったんですよね。しかも、一緒に企画を始めた友人2人は開始早々に飽きてしまい、いきなり「肛門の臭い」の中の人は私1人になってしまいました。
でも、スレッドは盛り上がりを見せつつあったから、そのまま続けてみたかった。そこで「この流れのまま、頭の悪いキャラクターが徐々に技術を身につけて成長し、本当にFlashを投稿するようになったらもっと盛り上がるんじゃないか」と考えたんです。私自身、Flashには興味があったから、技術習得の一環としてもいい機会かなと。
そのまま、「傍若無人な『俺様系キャラ』」としてスレッドの住民に教えを乞いつつ、Flashの勉強と制作を行うようになりました。
朝倉:いえ、実際は予想外の連続でしたよ。
確かに、「肛門の臭い」の人格や言動は計算したものですが、ここまで盛り上がるとは思っていませんでした。
最初は「mpegと連動したFLASHを作れ」スレに書き込んで、ちょっと面白がられて、すぐに飽きられると思っていたんです。それに、殺伐とした人の多い2ちゃんねるですから、仮に「肛門の臭い」が継続的にウケたとしても、ひたすらバカにされたり叩かれたりしながらスレッドが続き、Flashについて技術的な質問をしても「うるせー、お前みたいな奴に教えるか」との反応が返ってくると思っていました。
しかし皆さん「肛門の臭い」を受け入れるどころか、質問には毎回「不透明度を調整したいなら、こうするといいよ」などと丁寧に教えてくれたんですよ。
朝倉:それに対し「肛門の臭い」はバカで傍若無人なキャラなので、質問に回答してくれた人に「ありがとう!今日から『肛門ファミリー長男』を名乗っていいぞ」と恩を仇で返すような称号を授けていました(笑)。
それで住民が嫌がるかと思いきや、面白がってか本当に「俺がファミリーの長男だ」「長女だ」などと名乗って慕ってくれるようにもなって。このキャラは、ますます謎の人気を博していきました。
朝倉:「この盛り上がりを逃してはいけない!」と思っていました。自分の創作物を、多くの人に届けるチャンスだと。
私は幼少から工作やイラストなどジャンルを問わず、あらゆる創作活動が大好きです。しかも厄介なことに自己顕示欲の塊で、「とにかく俺のつくったものを見てくれ」という思いが人一倍強い。
「肛門の臭い」として活動していた当時もデザイン系の専門学校に通い、その後は芸術系大学に編入して創作に励んでいました。写真やグラフィックアートなどがむしゃらに活動し、グループ展や個展を開きもしました。でも、結局自分の作品を見てくれるのは、同じく美術系の学生や身内ばかり。「美術系の学生界隈」という閉じた世界の外まで、広く届くものをつくることはできなかったんです。正直、自分の創作に限界を感じていました。
しかし、2ちゃんねるという場で盛り上がりを呼び、ファンサイトすら生まれた「肛門の臭い」は、明らかにそれまでの活動とは手ごたえが違いました。今までごく一部の人にしか目を向けてもらえなかった自分の創作物が、2ちゃんねるやFlashという媒体を通して、数えきれない数のネットユーザーに広く届いたわけですから。それがうれしくて、うれしくて。その後数年間、Flashクリエイター「肛門の臭い」としての活動にのめり込みました。
朝倉:大学卒業後は、アパレル会社やゲーム会社、金融関係の会社を転々として、WebデザイナーやWebエンジニアとして活動してきました。現在も、IT関連企業に身を置いて主にWeb制作を担当しているところです。
朝倉:もちろん考えましたよ。でも、結局うまくいきませんでした。
実を言うと、新卒で入ったアパレル会社はすぐに退職し、半年ほどフリーランスとして、Flashアニメーションや、FlashベースのWebサイトの制作を行っていました。2007年のことです。
お仕事はそれなりにいただいていたんですが、この時期はちょうど、Flashという技術が人気を失っていく過渡期でもありました。2008年に入ると、ぱったりと仕事がこなくなってしまって。慌てて再び正社員として就職し、ゲーム会社でWeb制作に携わるようになりました。
個人クリエイターとしては、新海誠監督に影響を受け、インディーズアニメ制作に挑戦した時期もありました。ゲーム会社に入社したのも、ゲーム内で用いるアニメーション技術に触れて、自分のスキルとしてものにしたいという打算が含まれています。しかし、結局、私個人では多くの人の注目を集めるようなアニメをつくれる気はせず、インディーズアニメ制作も挫折してしまいました。
朝倉:はい。今の自分があるのは、Flashと2ちゃんねるのおかげです。
あんなふざけた形でも、「Webの世界で作品を公開し、人々から反響があった」という成功体験はとても大きく、Webに関するスキルを身につけるモチベーションを加速させ、今の自分をつくってくれました。
それに、「肛門の臭い」というキャラを盛り上げるために必死になったのも、重要な経験です。
Flash制作で培った「ActionScript」(Flashツール専用のプログラミング言語)のノウハウは、構文が似ているJavaScriptをはじめとして、その後他のプログラミング言語を学ぶための土壌になった。また、Flashの掲載先だった個人サイトにより多くの人を呼び込もうと試行錯誤するうち、フロントエンド開発や、Webマーケティングの知識も自然と身につきました。
もしもあの経験がなかったら、きっと今の私には何のスキルも無く、Web制作や開発の世界に携わることもできていなかったでしょう。どこかでアルバイトをしつつ、漫画やイラストを描くような生活をしていたと思います。
そもそも私は、自分のことを「本来、何もできない人間」だと思っています。それでもWeb制作やクリエイティブに関することは、何とか会社員としてこなすことができる。それが、「肛門の臭い」時代という経験のおかげで自然と身に着いたのは、とても幸運なことだったと思います。
朝倉:なんだかんだで、「ひまわりのダンス」でしょうか。
正直、だいぶ昔のことだから、自分のFlash作品についてはあまり覚えていないんです。でも、「ひまわりのダンス」は、「自分のつくったものがいろんな人に届いた」と強く思えた作品でしたから。
それに、今でもYouTubeやTikTokを眺めていると、時おり動画として転載された「ひまわりのダンス」が視界に飛び込んでくるのです。そのたびに「個人サイトは閉鎖したし、あのスレッドも消えていったし、Flash Playerも役目を終えた。でも、この子はまだ生きてるんだ」と感慨深い気持ちになりますよ。できることなら「ひまわりのダンス」には、永久にネットの海を漂い続けてほしい。この世界に、自分という存在の影響をちょっとでも残せるような気がするので。
今の私はアニメーション制作をやめてしまいましたが、創作欲自体は尽きていません。今でも趣味でイラスト制作を続けています。仕事のWeb開発にせよ、趣味にせよ、これからも何かしらの形で、自分が関わった創作物を細々とでも発信し続けていきたいですね。
取材・執筆:田村 今人
編集:光松 瞳
撮影:赤松 洋太
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