「PPAP」「決裁にハンコ」をやる人たちは何を考えている? 謎慣習が消えぬ理由を上原哲太郎教授が解説【フォーカス】

2024年4月4日

立命館大学情報理工学部教授

上原 哲太郎

情報セキュリティ学者。デジタル・フォレンジック研究会会長や情報セキュリティ研究所理事を務め、官公庁のセキュリティ対策支援や、警察組織のサイバー犯罪アドバイザーなどを行う。「PHS反対運動の父」を掲げつつ、「PPAP」や「神エクセル」への反対運動にも取り組んでいる。
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メールで送られてくるパスワード付きファイルや、文書ファイルを「紙」に印刷しないと回覧できない決裁フロー。効率や情報の安全性の点において、エンジニアからすると技術の扱いに疑問を感じる業務慣習が日本の一部で横行しています。情報セキュリティの専門家で立命館大学情報理工学部教授の上原哲太郎さんは、「日本の事務はコンピュータが絡むと途端に不思議なルールが生まれる」と指摘します

上原さんに、こうしたルールが消滅するのはいつになるかと聞くと、「そんな日が来ることはあり得ないと思います(笑)」とバッサリ。なぜ、非効率な業務ルールは生まれ、残り続けるのか。そして、私たちが向き合わなくてはいけない課題の核心にあるものとは――。

大味なジョブローテーションで受け継がれる秘伝のタレ

――「PPAP※1」や「神エクセル※2」、「PHS※3」といった業務慣習はその名称のキャッチーさから広く知られています。上原さんが、こうした業務慣習の撲滅に取り組むのはなぜですか?

上原:ま、シンプルにコンピュータが大好きなので、この20世紀最大の発明を、人類にちゃんと使いこなしてほしいからです。

せっかくこんな素晴らしい機械があるのに、PPAP神エクセルのような、効果がいまいちで工数ばかりかかる扱い方が我慢ならないわけです。自動化できる作業は可能な限りコンピュータに任せましょうと。すると社会の生産性も高まり、世の中が良くなります。

「神エクセル」という言葉はネットスラングとして生まれて広まり、また「PPAP」反対運動は2016年に元日本情報経済社会推進協会の大泰司章さん(現在は客員研究員)が名付けて始まりました。一部ではありますが、社会にはびこるICT課題が可視化されることで、世間に対して問題提起しやすくなってきたと感じています。

(※1)PPAP:「Password(P)付きファイルを送ります」「Password(P)を送ります」「暗号化(A)」「Protocol(P)」の頭文字で構成される造語。暗号化されたZIPファイルなどをメールで送信し、別のメールでそのパスワードを通知するというファイルの受け渡し手順を指す
(※2)神エクセル:表計算ツールとして適切に活用されず、各セルの形状を正方形にそろえ方眼紙のように用いる、罫線を駆使して紙の帳票を忠実に再現するなど、印刷時の見栄えを最優先につくられたExcelファイルのこと
(※3)PHS:メールに添付したファイルを「Print(P)してから」「Hanko(H)押して」「Scan(S)」して送ってくださいプロトコルの略称。2019年に上原さんが提唱し撲滅を目指している造語。契約時などに文書を印刷してから捺印し、再スキャンして送る事務手順を指す

――こういった業務効率を押し下げるだけの慣習はどうして生まれたのですか?

上原:いずれも、業務の本質を見失い、手段が目的化することで発生します

PHSは、本人の意思の証明にハンコを用いてきたという歴史のなごりで、とにかく「ハンコが必要」という手段だけが目的として残ってしまったものです。主に行政機関でみられる「神エクセル」も、何かの申込書だとか経費精算伝票だとか、業務に関わるあらゆる帳票のレイアウトをきれいにExcelで再現しようとするために誕生しています

Excelを表形式のまま使えば必要な項目や値をこの行に入力してください、とだけ指定すればすぐにシートがつくれるし、集計も楽です。なのに、「情報を集めて集計する」という目的を見失って、帳票の再現そのものが目的化し、無意味にワープロじみた使い方をしてしまうわけです。

▲上原さんが受信したことのある神エクセルの例 (上原さんが2017年に作成した講演資料から)
▲上原さんが例示した、より適切なExcelの使用例(同資料から)

上原:PPAPも、「とにかくパスワードをかけなきゃ」という手段への意識だけが先行するから起きます。本当の目的は、安全にファイルを受け渡すことですよね。なのに「パスワードさえかければいいや」という思いばかりが強いと、ファイルを暗号化して送信した後に、今度はそのパスワードを再度メールで送ってしまう。メールクライアントの乗っ取りや誤送信、なりすましメールというリスクにまで意識がいかない。

――PPAPも神エクセルもPHSも、今なお自治体や企業で横行している例をたびたび耳にします。非効率と指摘される業務内容でも、その改革が進まないのはなぜですか?

上原:日本の官公庁や大企業の場合、もっとも影を落としているのは人事制度だと考えます。終身雇用か、これに準じたキャリア体制が改革が進まない原因ではないでしょうか。

同じ会社で長く働くだけでキャリアアップしていけるのなら、普段の主な業務に加えて、わざわざITスキルを真面目に学ぶモチベーションは湧きづらいですよね。

また、トラディショナルな組織では、エンジニアをはじめ特定の職能に特化した専門家よりも、さまざまな職種を経験して、組織内部について広く浅く把握した人材の育成に注力する傾向がある。これは特に公務員において顕著で、事務職や広報、図書館と、あっちこっちに職員をぶん回します。このようなダイナミックすぎるジョブローテーションも、ICT化により業務を適切に効率化させるうえで、大きな足かせになります。

――異動先の幅が広いジョブローテーションが、なぜ効率化するうえでの障害につながるのですか?

上原:幅広い部署を経験させるために異動スパンが小刻みになると、業務効率化につながるイノベーションが起こりづらい仕組みができあがるからです。

未経験のメンバーが新たな部署に配属されると、まずは前任者が何をしていたかをコピーして覚えることからはじめます。これ自体は問題ありませんが、2、3年で再び異動させられるとなれば話は変わる。

ただでさえ未知の仕事に慣れるのに手一杯なのですから、「どうせ配属先はまた変わる」とわかると、ICT化を正しく進めて悪しき業務慣習を改革する気力なんて湧きません。また、業務マニュアルも、未経験の人がOJTしやすいように長年かけて形式化されていますから、下手に改革の先陣を切ってその内容を変えようとすると、伝統的なジョブローテーションを進めたい組織との軋轢を生んでしまうかもしれない。

なので関係者からPPAPを受信しようが、神エクセルをいじる羽目になって嫌気が差そうが、無心で目の前の仕事をこなし、異動や昇進の時が訪れるのをただ待ち続けてしまう。

で、脈々と受け継がれてきた非効率なお仕事ルールを、老舗の秘伝のタレがごとくそのまま次の担当者にポンと渡すと。

PHSや神エクセルが1パックに詰まった「すばらしいお仕事」

――上原さんがこれまでに実際に遭遇した非効率なICT活用のうち、印象に残った経験はありますか。

上原:強烈なエピソードがありますよ。5~6年前、霞が関のとある省庁でお仕事をしたときのことです。当時、そこは新たな業務システムの導入を検討していて、私は外部有識者としてシステムの技術評価の依頼を受けました。

まず、何十枚もの評価シート入りExcelファイルが、暗号化された状態でメールにて送られてきました。そのパスワードは、郵送にて紙資料で知らされました。

メールと郵送とで経路が異なるのでまあ安全といえば安全ですが、手打ちで復号化するのはとにかく面倒で。そして肝心の評価シートのほうは、印刷時の見栄えを重視した「ザ・神エクセル」でした。列や行ごとに入力項目がわかれることもなく、セル結合で名前欄があったりする。項目シート左側には、各項目を評価するために「〇」や「×」がマウスで選べるプルダウンメニューが何十項目もずらーっと並んでいます。これをひとつひとつ、ポチポチと選んでいきます。

▲帳票のレイアウトを意識してつくられ、大量のシートが含まれている神エクセル(編集部が作成したイメージ)

上原:評価が完了したら、ファイルを再暗号化して、メールに添付して送り返します。次に何をやるかというと、評価シートを印刷するんですよ。何十枚ものA3用紙がずらーっとプリンターから出てきたら、各シートの名前欄に、私の名義の印鑑で捺印します

そして捺印された評価シートをスキャナーで読み取り、PDF化。Excelファイルとは別に、再度メールで担当者に送信します。

最後に、スキャン済みの紙の評価シートを、それはそれとして省庁に郵送してできあがりです。とても1日では終わらない膨大な労力を費やしました。

――私の聞き間違いでなければ、ほぼ同じ内容の評価シートを、Excel・PDF・「紙」の3つもの形式で送るよう指示されたということですか?そこに業務上の必要性はあるのでしょうか。

上原:恐ろしいことに、一応、役所側の当人たちにとって意味はあるんですよ。

まずExcelファイルは、入力内容や評価点数をデータとして集計するのに使います。紙は、当時、その省庁のワークフローにおいて、物理的な文書でないと上長の決裁ができなかったために必要でした。PDFは、郵送した紙が到着するまでの間の「仮申請」として決裁プロセスを進めるために要るわけです。ならそのPDFだけで決裁すればいいのに。

パスワード通知が別経路のためギリギリ非PPAPではあるが、面倒なパス付きZIPメールや、いちいち印刷してハンコを押す作業、そして神エクセル。各ICT課題のエッセンスがワンパックに詰まった、素晴らしいお仕事として記憶に焼き付いています(笑)。

▲上原さんが名付けた「PHS」の語源 (上原さんが2019年に作成した講演資料から)

ICT課題の完全消滅は「あり得ない」

――ひとりひとりがテクノロジーと向き合い、勉強し、精通するようになれば、非効率的なパソコンの活用というICT課題が完全に消滅すると思いますが、それまではどの程度かかりますか?

上原:残念ながら、そんな未来は来ないと思いますよ。本当に(笑)。

目下のお話で言うと、デジタルに明るいニュージェネレーションとして、よくZ世代以降の若者に希望を託すような声を耳にしますよね。ところが、いわゆる「デジタルネイティブ」であろうと、実際にはパソコンの扱いを苦手とする人が多いんです。操作の手軽なスマートフォンの普及により、データを消費する方法ばかりを覚えている人が多数いるためです。

私の大学でも、学部1回生に「レポートをPDF形式で送りなさい」なんて指示すると、手書きのレポートをスマホで撮影し、画像をそのままPDFに変換して送信してくるという学生さんが毎年何人もいます。次世代のITリテラシーが必ずしも高くないという現実も、今後しばらくの課題となるでしょうね。

そもそもIT活用をめぐる社会課題の解決を、個人の努力に委ねるやり方には無理があるのです。

コンピュータという世界で、物理的に目にみえない物が動くということを高度に理解するには、生まれ持った資質や適性が必要なためです。複雑な情報の世界を抽象化し、必要な要素を抜き出して覚える力です。

情報理工学部の教授として、私は毎年100人前後の学生さんに「電子計算機とは何か」とコンピュータの基礎から教えているのですが、スムーズに内容が頭に入る人と、どう教えても理解に時間を要する人とで明確に分かれます。

人間としての能力の優劣の話ではないです。全員が鉄棒で逆上がりできるわけではないのと同じで、コンピュータの扱いというのは、人によって得意・不得意があるんですよ。勉強すれば必ず国民全員がエンジニアのようになれる、というわけではない。

▲取材はオンラインにて実施しました

――個々人の努力に期待するだけでは解決が難しいならば、社会や組織の側が取り組める方策はありますか?

上原:まず、組織の評価制度の変革ですね。下手をすると、会社によっては残業代を稼ぐために、業務を漫然とこなして遅くまで残る人がいますよね。現状、効率的に仕事をこなし定時で終わらせることが、労働者にとっては給与面でマイナス要素になり得るわけです。

そこで、「仕事をきっちりミスなくこなしているからオッケー」と評価するのではなく、ICTにより業務効率化に成功した人に向けた褒賞制度を設ける、あるいは優先的に昇進させる。こうでもしないと、長らく根付いた事務文化の改善は進まないと思います。

もうひとつは、いわゆる「文系」と「理系」という概念で生じる労働者間の分断を緩和することです。これもICTによる改革が進まない大きな原因ですよ。

社会は、学問分野の出自や職種から、人を「文系」・「理系」に分けますよね。コンピュータがうまく使えない人は、「文系」と呼ばれる職種に多いです。すると当事者は「文系」・「理系」というステレオタイプな固定観念にとらわれるからか、「自分は『文系』だからパソコンのことはいいや」と考え、「理系」とされる人にシステム構築、データ分析など、ITを使った仕事を任せきりにする傾向があります。

一方の「理系」側は、事務の仕事を「文系」にぶん投げる。しかも、「パソコンの使えない人たち」と見下すことがある。こんなことは、即やめるべきです。

IT方と事務方が別世界のように分断しているから、実務におけるICTの利活用が進まないのではと考えています。

とはいえ教育システムや社会の認識ごとひっくり返すのは難しいので、「文系」・「理系」の壁を無くすというよりは、その間に立つ人材を組織が増やしてあげる必要があると思います。

具体的には、「理系」側が「文系」に寄り添い、事務仕事にどうICTを活用できるかノウハウを共有する、そんな組織内コンサルのような職種をつくっていけばいい。各業務を見て回ってアドバイスしたり、必要だと思うスキルの勉強会を提案したり、社内業務フローのデザインを支援したりと、「理系」側が事務仕事にしてあげられることは多いはずです。

そうして「マクロをこうして組むと定型の仕事ならすぐ終わるよ」といった具合で、今まで淡々と残業し22時、23時までかかっていた業務が、定時で終わるようになるとの成功体験を提供する。すると「文系」側の労働者もコンピュータの真の便利さに気付き、ICTの利活用には、データやアルゴリズムといったICT自体への理解が欠かせないと考えてくれるようになる。そうすれば、ITパスポートの勉強でも始めるきっかけになるのでは、と思っています。

こうした事例が増えれば、全員がエンジニアのようになるのは無理でも、ITリテラシーの底上げがなされ、日本中にICTの正しい利活用が増えていくと考えています。

今後、日本の労働人口はさらに急減していき、人手不足がいよいよ深刻化していく時代に差し掛かっているわけですが、さすがにどうにか、経済破綻という最悪のシナリオは回避したい。自動化できることはコンピュータにお任せし、仕事の無駄をなくし、わずかな人手でも社会が回るようにしましょうよと。その足がかりとして、まずはPPAP、PHS、神エクセルの排除からはじめることを伝えていきたい思いです。

▲ICTの非効率な活用が消滅するよう、島根県・出雲大社まで神頼みも (上原さんが2017年に作成した講演資料から)

取材・執筆:田村今人
編集:王雨舟

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