Rust.Tokyoオーガナイザーの豊田優貴に聞く、思考の土台をつくった「お守り本」5冊

2024年10月24日

Rust.Tokyo オーガナイザー

豊田 優貴

Sansan株式会社のソフトウェアエンジニア。金融機関向けのリスク管理計算機の開発に携わってから、しばらく広告配信の仕事に従事した。前職のUSの企業では実務でRustを利用した。本業のかたわら、Rustの国内カンファレンス「Rust.Tokyo」の運営や、いくつかのOSSの開発や貢献を行っている。共著で『実践Rustプログラミング入門』(秀和システム)、『RustによるWebアプリケーション開発』(講談社サイエンティフィク)など。また、『Web開発で学ぶ最新言語Rust』(日経クロステック)の連載を持つなどした。

※アイキャッチとプロフィールに使用しているアイコンは「めぶイカメーカー」を使用し生成しております

GitHub: https://github.com/yuk1ty

前回はRustの入門を終えた方がスキルアップするための書籍をご紹介しましたが、この記事では「お守り本」と題して、私が社会人生活を送るなかで大切にしてきた価値観を支える本を紹介したいと思います。

私自身は世間的に見ればまだ若手の部類に入るので、人生を語るには早すぎるとは思いますが、現時点での行動指針のような書籍を紹介しています。

実は今回、自分語りをインターネットに垂れ流すことに若干引け目を感じています。そのへんにいる普通のシニアソフトウェアエンジニアが、一体どういう人生観を持っているか、1つのサンプルとしてご笑覧いただけますと幸いです。

本の紹介に移る前にまず、私自身のこれまでの経歴について簡単にお話します。
私は元々は文系の学生であり、主に政治哲学や経済思想を学んでいました。ゼミではひたすら、時事問題を政治哲学というレンズを通じてどう記述していくかを議論していました。元々本を読むのが好きだったのもあり、授業で扱うもの以外でも、大学に入ってから数多くの本を読みました。今回紹介する本も、実はほぼ全部学部時代に読んだ本でした。

新卒ではITコンサルタントとして採用されています。
当初は上流工程メインでエクセル職人として働くつもりでいたのですが、部署への配属のタイミングで開発業務の比重の大きい部署に配属されることになりました。そこからキャリアチェンジを考え、転職してソフトウェアエンジニアとなり、現在のキャリアに至ります。文系かつプログラミング未経験の学生が、就職で突然ITエンジニアとして働くことになるわけですから、何も苦労がなかったといえば嘘になります。

ある会社のある日の面談で、人事の方にこのあたりのエピソードをお話したところ、「鋼のハートを持っていますね」というフィードバックをいただいたことがあります。たしかに外から見るとそうなのかもしれません。しかし、私自身の解釈としては、鋼のハートを持っているというわけでは決してなく、物事の解釈の仕方や人生に対する考え方が他の方と多少異なっていて、リスクや失敗に対する感覚が麻痺している部分があり、そもそも落ち込まないか、立ち直るのが速いので、結果的に鋼のハートを持っているように見えるのだ、と思っています。そしてそうした物の見方は、「お守り本」から得たのだと思います。

書籍リスト
  1. 1. 『エチカ―倫理学(上、下)』スピノザ 著、畠中尚志 翻訳
  2. 2. 『幸福論(アラン)』アラン 著、神谷幹夫 翻訳
  3. 3. 『夜と霧 新版』ヴィクトール・E・フランクル 著、池田香代子 翻訳
  4. 4. 『採用基準』伊賀泰代 著
  5. 5. 『ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代』ダニエル・ピンク 著、大前研一 翻訳

 

強みに着目して、最大限の力を発揮する

『エチカ』(岩波文庫)

▲『エチカ―倫理学(上)』スピノザ 著、畠中尚志 翻訳、岩波文庫

スピノザは、オランダで17世紀を生きた哲学者です。スピノザ自身は当時、実は無神論を展開したとして危険思想家の1人とみなされていたようです。最近「チ。―地球の運動について―」という漫画がアニメ化されましたが、この漫画の舞台と似た時代を生きた哲学者でした。しかし、これから今回の記事で説明するように、現在に至るまでの300年間の中で、多くの思想家に影響を与え続けている哲学者です。

私の場合は学生時代にゼミの輪読などで哲学書を読むことが多く、個人的には特にフランス現代思想を多く読みました。20世紀のフランス現代思想を代表する哲学者であるジル・ドゥルーズが、スピノザに関する論考をいくつか残しています。スピノザ自体との出会いは、まず彼の著作を通じてでした。いくつか読む中で、スピノザの議論や概念を好きになりました。

▲たとえば、『スピノザ』ジル・ドゥルーズ 著、鈴木雅大 翻訳、平凡社ライブラリー

ただし、この記事で『エチカ』を具に説明することは、字数の関係と、そもそもスピノザ哲学に関する基本的な知識が必要であるため難しいです。そこで、私が本書から読み取っているメッセージを、日常生活に活かせる形で超訳して説明します。

エチカから受け取っているメッセージは2つです。1つは、人や物を見る際には、その人や物が持つ「力(スピノザの用語では、コナトゥス(conatus)といいます)」に着目する必要があるということです。そしてもう1つは、私たちは常に制約にさらされながら生きているわけですが、その制約の中で「力」を最大限発揮できる状態こそが「自由」である、ということです。

人や物、私のようなソフトウェアエンジニアであれば技術を見る際、単にそれらの属するカテゴリや性質に着目するのではなく、「どのようなコナトゥス(力)を持っているのか?」に着目するのが大事だと考えています。難しい言葉を使ってしまいましたが、要するにそれらの持つ「強み」に着目しましょう、ということです。余談ですが、今勤めている会社には「強みを活かし、結集する」というValuesがあります。これが非常にスピノザ的で好きです。

「自由」という言葉は哲学では比較的多く登場する言葉だと思いますが、一般的には抽象的で定義の難しい言葉でしょう。私はスピノザの自由に対する定義付けが現実的で好きです。その定義を超訳すると、制約の中で自身の最大限の力を発揮できている状態こそが自由なのだ、というものです。

スピノザの思想は決定論的(主には自由意志を否定します)で、この世界観に基づいて哲学を展開しています。私たちの日常においても、たしかに自分でコントロールできている部分というのは非常に少なく、常に何かしらの制約にさらされながら生きています。私達の自己決定は純粋な自身の意志によって行われているかというとそうでもなく、他の要因からの影響を常に受けているでしょう。世間一般では「何にも縛られないこと」を「自由」とみなす傾向にあるとは思いますが、そもそも目の前にある世界というものは常に自身の手で100%コントロールできているわけではありません。こうした状況下では常に何かしらの邪魔や偶然が入ることになり、「自身でコントロール可能な、束縛のない」状況は遠い理想論になってしまうことでしょう。そういうわけで、スピノザの自由論が現実的で好きなのです。

エチカの魅力は実は私の紹介したところよりも、人間の感情に対する洞察やその御し方、あるいはタイトルの「エチカ = ethica = 倫理」からも導かれる独自の倫理体系そのものにあります。ぜひ手にとっていただきたいところではあるのですが、エチカそれ自体の読み解きは、哲学史の知識(とくにデカルト)を必要とするため予備知識無しでは難しいと思います。興味が出た方は、一般向けに新書や解説書が出ているので、まずはそれらに触れることをおすすめします。

行動するから幸福なのである

『幸福論』(岩波文庫)

▲『幸福論(アラン)』アラン 著、神谷幹夫 翻訳、岩波文庫

アラン(実はペンネームで、本名は「エミール=オーギュスト・シャルティエ」)の『幸福論』という本とは、大学生の頃に出会ったように記憶しています。

当時自分が不幸だと感じていたとかそういうわけではありませんでしたが、この本は別の本で紹介されており、気になって自分で手にとってみたのがきっかけでした。この本が持つ美しい文章や、アランの綴るメッセージに感銘を受けました。「世界一美しい本」として紹介された歴史を持ちます。

この本の原題は「幸福についてのプロポ」といいます。「プロポ(propos)」とは、「哲学断章」のことを指します。断章というくらいで、文体は散文や随筆に近いです。哲学の文章は基本的に理論的であり、体系的なひとまとまりの文章として書かれることが多いですが、プロポはそうではなくエッセーに近いです。アランはプロポで自身の考えを書き連ねていたようで、発表したプロポは生涯で5000本をゆうに越えていると言われています。

『幸福論』の元となるプロポは、もともとは新聞の連載として掲載されておりそれらをまとめて編纂し出版したようです。新聞に掲載されていたわけですから、哲学に明るくない一般の読者を対象としていました。なので、この本は先ほどの『エチカ』をはじめとする哲学書の中では珍しく、事前知識が不要で読めると思います。

アランの幸福哲学では、まずそもそも幸福であることを望むことから始まります。そして、幸福であるためには行動が必要なのだ、と説明します。行動するから人は幸福を感じられるという、ある種の見方の転回(哲学用語で「コペルニクス的転回」と言います)を示したのです。

この見方は実は、先ほど説明したスピノザにも共通するところがあります。スピノザはエチカの中で、幸福(エチカの中では至福)を感じることそのものはよいことであり、何かを我慢したから(エチカの中では我慢の対象は「快楽」)幸福になるのではなく、幸福だからこそ我慢すべきものを我慢できるのだ、と語っています。

つまり、幸福だからこそできることが増えるのだ、というような視点の逆転を起こすわけですそれもそのはず、アランはスピノザに関する論考も出していたくらいで、アランはスピノザから少なからず影響を受けていたのでした。

せっかくなので、最後にいくつか好きな断片を紹介しましょう。岩波文庫のものは文体が美しく私は好きですが、少し訳出が堅いので読書に慣れていないと読みこなしが難しいかもしれません。そこで、手元にある『<絵本>アランの幸福論』(PHP研究所)から訳出を拝借しています。こちらの方がより心に響くと思います。

▲『<絵本>アランの幸福論』アラン 著、合田正人 翻訳、田所真理子 絵、PHP研究所

あなたが上機嫌でありますように。これこそあげたりもらったりすべきものである。これこそ、すべての人を、まずは与える人を豊かにする真の礼節である。これこそ交換することで増えていく宝物である。

不幸になったり不満を覚えたりするのはたやすい。ただじっと座っていればいいのだ。人が自分を楽しませてくれるのを待っている王子のように。

みずからの幸福を欲し、それをつくらなければならない。これまで十分に言われなかったこと、それは、幸福であることが他人に対する義務でもあるということだ。

想像力の絶大な支配力。あなたは戦う前から完全に敗けている。自分の手の及ばないところは見ないことだ。物事の途方もない重大さと、人間の弱さを考えるなら、まったく行動できなくなるだろう。だから、まず行動し、しかる後に自分がするべきことを考えるべきだ。

人生からの問いに答える義務

『夜と霧』(みすず書房)

▲『夜と霧 新版』ヴィクトール・E・フランクル 著、 池田 香代子 翻訳、みすず書房

第二次世界大戦下のドイツを生きたユダヤ人の精神科医である著者が、自身の実際の収容経験について語る一冊です。主に収容所内の様子や経験が書かれています。その経験を通じて人間の本性や尊厳についての自身の論考を書いています。世界的な名著なので、読んだことのある方も多いかもしれません。

この本と出会ったのもやはり大学生の頃で、かなり印象に残った一冊でした。その後社会人になって『それでも人生にイエスという』というもう一つのフランクルの本も読んだのですが、あわせて気に入っています。

▲『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル 著、山田邦男 翻訳、松田美佳 翻訳、春秋社

私が『夜と霧』から受け取ったメッセージは、「生きる意味」についてです。断っておきますが、これまで人生に絶望するほど病んだことはありません。よくある若者の青臭い悩みごと、くらいに思ってください。

「(自分が)生きるの意味とは何なのだろうか?」と考えてしまう方がいるかもしれません。ほとんど考えたことのない方が多いのかもしれませんが。人生の意味というのは問えば問うほど「実は無意味なのではないか…」と思わされるものだと思います。もちろん個々人の死生観によるところが大きいですが、私は「死んだらどうせ灰になってしまう」と考えてしまいます。そう考えてしまう現代人は多いと思いますが、こうした死生観を持つと人生の意味というのは、究極的には「ない」もしくは、「パートナーのため」「子どものため」くらいが関の山かもしれません。

そんな問いに対して、フランクルは、次のように答えます。

ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにかを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちから何を期待しているかが問題なのだ…(略)…哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考え込んだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。

「生きることとは、生きることがわたしたちに何を問うているのかを認識し、投げかけてくる問いに答えるために行動し、義務を果たすことである」とフランクルは言います。「義務を果たす」というとなかなか日本の感覚だと息苦しいと感じるかも知れません。彼はユダヤ教を信仰していました。我々と彼の間には、若干の思考の前提の違いがあることは留意しておいてもよいかもしれません。それに留意したとしても、彼のこの考察は価値が薄れることはないとは思っていますが。

収容所の中で未来への希望を失った人々をフランクルはたくさん見てきました。そして、生きる意味を見失った人から順繰りに、無気力になったり自暴自棄になってしまっていったのでした。その中で、「生きる意味とはなんですか」と問いかけられることがありました。彼らに生きることを諦めさせないためにはどうすればよいか。そう考えたとき、この考えに至ったのでしょう。

人生、ないしは生きることが投げかける問いに答え続けるよう集中することは、先の見えない状況では希望の光となり得たようです。収容所のような非常に苦しい状況下では、どうしても未来がどうなってしまうかを考えてしまうかもしれません。しかし、未来がどうなるかを考えたとしても、先のことは想像の域を超えないですし、悲観することしかできません。人生の投げかける問いに答えるように着想を変えると、「今何をしなければならないか」を必然的に考えなければならなくなります。つまり、現在を起点に、現在できることに集中できるようになるというわけです。「現在、今この瞬間に集中せよ」というのは、多くの宗教や自己啓発書で言われている話で、やはりそうした考え方は収容所のような極限状況下に置かれたとしても有効な考え方なのかもしれないと思いさえします。

『夜と霧』は不思議な本です。この本の描写はたしかに悲惨そのものではあるのですが、私は最初読んだとき、ポジティブさをむしろ感じました。といっても能天気なポジティブさではなく、極限状況下でさまざまな体験をし、さまざまな人を目の当たりにしたうえでの、地に足ついたポジティブさです。

「行動して意味を得よ」「今に集中せよ」と投げかけるさまは、先のアランにも通ずるところがあります。また、実は本書の中にもスピノザは登場します。このあたりからも、スピノザやアランを含めた思想家のメッセージが、私のこれまでの道標となってきたのかもしれません。

私が紹介した箇所は、本書のほんの一部でしかありません。美しい訳文も相まって非常に読みやすく、一度は読んでみてほしい一冊です。

頭のよさや、ロジカルシンキングより大事なもの

『採用基準』(ダイヤモンド社)

▲『採用基準』伊賀泰代 著、ダイヤモンド社

この本を読んだのも10年前くらいでした。当時はちょうど就職活動中で、主にコンサルティングファームを受けていました。この本はコンサルを志望する就活生の間で話題になり、私もご多分に漏れず読むことになったのでした。なぜかというと、有名なコンサルティングファームであるマッキンゼー・アンド・カンパニーに勤めていた著者が「採用基準」と銘打って本を書いていたからです。元とはいえ中の人が書いた本なので、読まない手はありませんでした。

この本は学生の頃に受け取るメッセージと、社会人経験を積んでから受け取るメッセージが異なると思います。学生の頃に印象に残ったのは「地頭」というのは「思考意欲」と「思考体力」のことなのだという話と、なんだか「リーダーシップ」という単語があって、それは普段思っているものと意味が違うようだぞ、ということでした。社会人になってからは、「リーダーシップ」の話の重要性が身に染みてわかるようになり、これを呼吸をするように発揮できる人こそが、浅薄な表現を使えば「優秀な人」と形容されるものなのだ、と思うようになりました。

学生の頃は、どうしても目先のスキルアップしか見えていないので、いわゆるコンサル本が語るような問題解決フレームワークやロジカルシンキングのような思考法に飛びついてしまいがちです。したがって、この本の前半に載っているような「思考体力」が重要なのだ、という話が刺さったというわけです。リーダーシップの話は頭の片隅には確かにありましたが、いかんせん組織の中で働く経験が多かったわけではないので、重要性がわからなかったのだと思います。

社会人経験をそれなり積んだ今は、真にすごい人というのは、周りの人を巻き込みながら物事を決め、前に進めていく人なのだと思うようになりました。つまり、多くの状況下でリーダーシップを発揮できる人です。そのため、中間管理職になるようなタイミングで改めてロジカルシンキングの重要性を説いているような言説を見ると、それはそもそも新人くらいで済ませておく話であって、真に重要なのはそこではなくリーダーシップなのだと思います。学生の頃重要だと思っていた問題解決能力やロジカルシンキングなどはもはや、「採用基準」においては、ある前提なのです

本書では、リーダーシップは全員が発揮するべきものであると指摘します。日本の感覚だと、それでは組織が回らなくなる「船頭多くして船山に登る」状態になるのでは?と考えてしまうかもしれません。リーダーシップを全員が発揮してしまうと、収集がつかなくなるのでは?ということです。しかしこれについてはノーで、むしろ全員がリーダーシップを発揮した前提で話を進められるので、仕事のクオリティが急速に上がることになります。陳腐な表現を使えば、視座の高い人が集まると仕事が速いしクオリティも高い、となるでしょうか。もちろん最終決定をする人(= リーダー)はトップに置かれています。全員が「リーダーシップ」を発揮するのが大事なのです。

社会人になってから、この「リーダーシップ」という言葉を常々意識して仕事をしてきました。もちろんすべての職場や場面において発揮できていたかというとそうでもないかもしれませんが、そもそもこの概念を知っているか知っていないかでは大きな差が出ると思っています。リーダーシップの発揮の機会は、毎日の会議をはじめとする日常業務や、仮にリーダー職でなくメンバーとしてチームに入ることになったとしてもいくらでも転がっています。

本書のサブタイトルは「地頭より論理的思考力より大切なものとなっています。そしてそれは、リーダーシップの発揮でした。忘れてはならないのは、前2つはある前提で、さらにリーダーシップを発揮できる人材が、マッキンゼー社、ひいては日本社会に求められているのだということです。とくにこれから会社やチームを変革していきたいと考えている方に、ぜひ一度は読んでみてほしい一冊です。

「新しいコト」を生み出す人の条件

『ハイ・コンセプト』(三笠書房)

▲『ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代』ダニエル・ピンク 著、大前研一 翻訳、三笠書房

この本は、新卒で入った会社の就職活動の面接時に、人事の方とおすすめの本の紹介タイムになって教えてもらった一冊でした。半分くらいは内定をもらいやすくするためにという邪(よこしま)な動機で読みましたが、非常に印象に残りました。今でも大切にしている考え方が載っています。

日本では2000年代中盤に出版された本で、主には「これからの時代で活躍できる人はどのような人なのか?」に答える書籍だと私は思っています。本書を読んでいるとどうやら、当時は物で溢れかえり人々の消費需要が喚起されなくなりつつある状況から来る経済成長の踊り場、賃金の安いアジアの労働者や、さまざまな業務の自動化などによって、自分たちの雇用がなくなることを危惧していたような記述が散見されます。なんだか人々が、2020年代でも相変わらず同じようなことを気にしているのは、私の気のせいでしょうか。

私がこの本から得たメッセージは、これからの時代には「コンセプトメイキング(概念創造)」をできる人が求められるのだということです。たとえばこれまで世界を変えてきたコンセプトというと、「人権」や「国民国家」といった堅苦しいものから、Googleの開発した「検索エンジン」や「インターネット広告配信」のようなものがあるでしょう。あるいは「SaaS」のようなビジネスモデルもコンセプトだと言えるでしょう。世界を席巻するものの裏には革新的な「コンセプト」がいつもあり、人類はコンセプトを新しく作ることで世界を前進させてきたと言えると思います。

余談ですが、実はこれは哲学の営みなのです。先ほども紹介した哲学者ジル・ドゥルーズは、『哲学とは何か』という書籍の中で、「哲学とは概念創造の営みである」と言います。哲学の議論は、当時の人々が考えていたことを言葉でまとめ上げ、新しい概念として昇華させてきました。概念を皮切りに人間社会や価値観の土台を形作り、これまで長い間時代を前に進めてきました。日常生活やビジネスシーンにおいても、同様にコンセプトを生み出せる人こそが時代を前に進めるのです。

▲『哲学とは何か』G・ドゥルーズ、F・ガタリ 著、財津理 翻訳、河出文庫

新しいコンセプトを考え出すために、筆者は「右脳を使え」といいます。そして右脳的な思考をフル活用する「6つの感性」を提示します。その6つとは、1. デザイン、2. 物語(今風の言葉だと「ナラティブ」)、3. 全体の調和、4. 共感、5. 遊び心、6. 生きがい、です。これらに共通するのが、「右脳」の活用なのだといいます。ひとつひとつに詳しくは踏み込みませんが、ビジネス書の出版のトレンドを見ていてもこれらをよく繰り返していることから、現在でも現状打破のために重要だと考えられていると言って差し支えないと思います。

ところで、本書を読む際、「右脳」論には科学的な疑義があるという点には留意する必要があるでしょう。「右脳」云々は、ある種のアナロジーだと思ったほうがいいと思います。要するに、官僚主義や近代社会を支えてきた象徴としての「左脳」に対するアンチテーゼとして、「右脳」を持ち出していると読むのがよい、ということです。

たしかに本書に登場する右脳、左脳の議論は、現代の視点から見ると科学的に反証されているか、もしくはそもそも科学的とは若干言い難い話もあり、その点を受け入れるかは微妙なところではあります。なにせ、20年前に書かれた本ですからね。ただ、一旦それを差し置いたとしても、著者の主張するような、新しいコンセプトを生み出す人の持ちうる「6つの感性」の重要性は揺るぎないと私は考えています。

2020年代、ChatGPTをはじめとする大規模言語モデル––すなわちAIは、新しい時代の始まりを華々しく告げました。

これまで私が生きてきた中で何度同じことを聞いたかわかりませんが、今は「時代の節目」なのです。新しい時代を切り拓くのはいつも新しいコンセプトを生み出し、それを普及させてきた人たちでした。私たちはAI時代の新しいコンセプトを模索し、創造していかなければならないでしょう。中にはこれまでの時代に終わりを告げてしまうようなコンセプトも生み出されるかもしれません。この新しい時代の節目にもう一度読み返しておきたい一冊です。

おわりに

この記事では私の「お守り本」と題して好きな本の好きな面を紹介しました。本はさまざまな側面を持ちます。読む人の状況や背景、人生経験によって受け取るメッセージは異なるものです。紹介しきれなかった話も多々あります。興味のある本が見つかったようであれば、ぜひ手にとって読んでみてください。みなさんにとってのなにかの一助になれば幸いです。

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