2024年5月13日
OpsBR Software Technology Inc. 代表
ソフトウェア業界で15年以上、物理的なデータセンター運用から、世界最大規模の分散システムの運用、多数の業界のお客様のシステム設計支援、フロントエンドからバックエンド、データベース管理者、DevOps やテスト設計・実装、アーキテクチャレビュー、などを経験。特に、運用に関する改善や設計は得意で、OpsBR Software Technology Inc. を立ち上げた。カナダのバンクーバー在住。経歴は、Autify で Staff Software Engineer、Sr. Technical Support Engineer、Amazon で Sr. Systems Development Engineer、Solutions Architect など。
日本で新卒として働き始めてからずっと「いつか海外で働く」を目標にして足掻いてきた結果、10年ほどかかりましたが、僕はカナダのバンクーバーにソフトウェアエンジニアとして移住することができました。それから、自分と同じ様に「いつか海外でソフトウェアエンジニアの仕事をしてみたい」と思っている人からの相談を細々と数年間受け続けていますが、共通してお話ししていることが結構多いこともあって、今回こちらのコラムでそのうちのいくつかをご紹介したいと思います。
第1回では、そもそも「海外で働く」とはどういうことで僕は10年間何をしてきたのか、をお話ししたいと思います。第2回では「英語」について、第3回では「世界で通用するソフトウェアエンジニア」についてのお話しを予定していますので、お楽しみに。
まず最初に申し上げておきたいのですが、ビザや就労許可に関する情報は日々変化しており、かつ僕は専門家ではありません。移住をしたいという自分の責任の元で、正しい情報を常に追いかけるようにして下さい。こちらの情報はあくまでも僕が過去に体験したことおよび僕の主観に過ぎませんのでご注意下さい。
僕は日本国籍を持って日本で産まれて、大学で1回だけ海外旅行をした以外は全く日本を出たことのない生活を送っていました(以下、同じ様な立場の方を想定して書いています)。そういう人間にとって、「海外で働く」とは、英語ができて仕事の能力のある人が、国内で転職をするような感覚で達成するもの、という程度の認識でした。それは間違ってはいないのですが、ほとんどの国や地域においては、それが雇用主の都合だけで達成できるものではないことを理解してはいませんでした。
国というものを維持するにあたって、政府にはその国の国籍を有する人を第一に守ることが、多くの場合期待されています。つまり、わざわざ外国人を受け入れて働いてもらうのには相応の理由が必要であり、それこそが海外で働くにあたってついてまわる、ビザまたは就労許可と呼ばれる類のものです。単純化していえば、あるポジションに対して自国の労働者では対象者が見つからないので、外国人ではあるが条件を満たす人に働く許可を国から出してもらう、そういう形です。これが通らなければ、雇用主がいくら雇いたいと思っても雇えないのです。そして、長期で滞在したいのであれば、そこから永住権と呼ばれる資格を取得して、雇用主に頼ったりせずとも、その国に住んで働く自由を狙うことになります。
そのため、海外「で」働くという目標に対して最も大事なことは、英語でも仕事の能力でもなく、どういう戦略でビザ・労働許可、さらに永住権を獲得するか、ということになります。その戦略に応じて、英語なのか他の外国語なのか、はたまた日本語を活かすのか、そしてどの国のどういう職業をどういう手順で狙うのか、と具体的な戦術を練っていくことになります。
ここからは、僕が10年かけてどういう戦略・戦術をとってきたのかをお話ししたいと思います。
日本では新卒で DeNA という会社にソフトウェアエンジニアとして入りましたが、僕は理系ではあるが計算機科学専攻でもなく、特段インターン等の経験もなく、なんなら大学院はやる気をなくして退学していました。ソフトウェアエンジニアを仕事に選んだのは、それしか受からなかったから、が理由になります。
当時 DeNA は、サンフランシスコにある会社を買収するなど海外展開をしており、駐在でアメリカに行っている人も何人もいて、とても羨ましく思っていました。そのうちの1人に、どうすればアメリカに行けるものなのか相談したところ、その人は前職の時からアメリカに行きたくて、ずっと日報だか週報だかの最後に脈絡もなく「ところで、僕はアメリカで働きたい」と書き続けてきたと、嘘かほんとかはわかりませんが教えてくれました。冗談のような話ですが、これはこの後10年ずっと僕の中で生き続けた教訓となりました。社内外でアメリカに行きたいと公言することで、経験がある方に繋いでもらって話を聞くことができ(ビザ・就労許可についても教えてもらえた)、それは自分の行動を変えるモチベーションにもなりました。とりあえず即日でMacBook と iPhone の言語設定を英語にして、それ以来日本語に戻したことはありません。
新卒から3年過ぎた頃に、DeNA でちょうど海外への挑戦を支援する仕組みが立ち上がり、運良く僕も拾ってもらえて、1年間アメリカのサンフランシスコに駐在をすることができました。駐在にあたっては、ビザを取得するプロセスはもちろん通るのですが、会社がしっかりサポートしてくれたおかげで、比較的楽に取得することができました。これでそのまま永住権が取れればサクセスストーリーだったのですが、駐在は親会社の意向でいつでも終わってしまう可能性があります。僕もそれにもれなく当てはまり、1年後には日本に戻ることになりました。それでも、この1年の経験があったことはいうまでもなく最終ゴールへの礎となりました。
振り返ると、新卒から始めたソフトウェアエンジニアの仕事は、ビザの取得という意味では需要が高いので都合が良く、自分も楽しくやれていたので非常に運がよかったです。これがもしもあまり海外で働く機会がないような職業だったとしたら、調査も大変でしょうし、似たような境遇の人を探すのにも苦労したかも知れません。
さて、この1年間を経て、海外駐在は楽ではある(家賃補助も出たりする)ものの、いつ終わるかわからないリスクがあることを理解したので、次は駐在ではなく転籍という形で行きたいと考えました。転籍は、駐在と似たようなプロセスで海外に行くものの、出向ではなく現地の会社にのみ雇用される形になり、その雇用が続く限りは海外に滞在できます。こういった仕組みは、多くのグローバル企業で「インターナルトランスファー(社内転籍)」等と呼ばれる形で導入されており、社内で別の国の事業所へ人が移るというのは、日常的に行われています。
Amazon もそういった会社のひとつであり、僕は日本の Amazon の面接を受けている最中も「インターナルトランスファーでアメリカに行くのが目標です」と話をしていました。インターナルトランスファーというのは、要は社内で面接を受けて合格すればオファーがもらえる、というものです。そのため、Amazonに入社してからは、実際にアメリカに転籍していった人達の話をたくさん聞いて、戦術を練って、ひたすらに社内で面接を受けることになりました。出張でアメリカに行った空き時間で面接をしてもらったり、リモートで時差のある中でやったりと結構な回数を受けたのですが、3年かけてひとつもオファーをもらうことはできませんでした。本業はもちろんちゃんと結果を出しながらやらないといけないので、精神的にはかなり疲れました。気づくと新卒から数えてもう8年が経っていました。
ここまできて駐在も転籍もダメそう、となったので戦略を立て直すことにしました。家庭の意向として、子供の年齢を考慮すると早いうちに物理的に移りたいという思いがありました。そのため、就労を利用して海外に行くのではなく、学生としてまずは物理的に海外に移ってしまってから、ビザ・就労許可を得られる機会を現地で獲得しようというやり方に切り替えました。しかし、ここには大きな問題がありました。ご存知の通り、アメリカは移住先としての人気が非常に高く、学生から始めてビザを得るにはかなりの時間と労力、そして運を必要とします。調べている中で、とある2年くらいのちょうどいいコースがあったのですが、問い合わせてみると「卒業生はビザが取れないので大体卒業後は帰国しています」という回答でした。
30歳半ばで子供もいて、今からこの賭けに出るのは少し難しいなと感じていたところ、アメリカの隣にはカナダがあることを思い出しました。調べてみると、カナダはアメリカより圧倒的に学生からの就労許可および永住権への道が開かれていることが分かりました。そこで留学エージェントに相談をして、2年間の修士課程だけど入学条件が比較的緩く、かつ卒業後は永住権にも申請できるというコースをバンクーバーで見つけることができ、数ヶ月で無事に入学許可を得ることができました。あとはデポジットを支払い、学生ビザの手続きをして年内に渡航する予定となりました。
学生として行くけれどもパートタイムでは働くことができる条件だったので、せっかくなら学生としている間にパートタイムで働いて、コネを作って卒業後の就職を有利にすることを考えていました。そこで、まだ日本のAmazon にいるうちに、バンクーバーの Amazon のオフィスでそういう仕事がないか聞いておこうと思い、社内名簿で見つけた何人かのマネージャーに相談のメールを投げました。もちろん、返信が来ることはなかった(期待もしてはいなかった)のですが、そのうちの1人が、別のチームのマネージャーに僕のメールを転送してくれていました。
そのチームでちょうどエンジニアを探していたけれども社外からの採用に苦戦していて、転送メールで添付されている僕のプロフィールを見て連絡をくれたのです。「パートタイムじゃなくてフルタイムなんだけど、面接を受けてみるか」と聞かれ、僕は「もちろん」と答えました。とはいえ、すでに修士課程への入学許可をもらっているので、別に落ちてもいいやという気持ちで面接に臨みました。3人のコーディング面接等を終えて、これは落ちたなと確信するくらいうまくいかなかったのですが、なんと後日「オファーを出すよ」という連絡をもらいました。
もう何度もお祈りメールを受け取り、諦めて学生ルートを確定させたところで、転籍のオファーをギリギリのタイミングで得られたのは、言い続け、やり続け、諦めずに色々と試した結果の運であって、この同じポジションを最初に受けてたら受かっていたかというと、そうではなかったでしょう(そもそも空いてなかったですし)。
その後は、修士課程の方に辞退の連絡をしつつ、社内手続きを完了させた後にカナダの就労許可を取ることになりました。これは LMIA と呼ばれるプロセスで、まさに前述の通りカナダでは採用ができないので外国人を採用する必要がある、ということを説明するための一連のフローがあります。僕は言われるがままに書類や情報を提供して、あとは待つだけでした。結局半年ほどかかって、ようやくカナダへ移住できました。これが、新卒から約10年経過した時のことです。
移住した後は Amazon で働きながらカナダの永住権の取得をするのが次のステップでした。これが終われば晴れて自由の身となり、働く会社を自由に選択できるようになります(何なら働かなくても住むことができますね)。これも比較的スムーズに進み、1年程で永住権も取得でき、2019年に約10年かけた移住計画は晴れて目標達成となりました。
以上が、海外移住をするために10年かけて僕が何をやってきたかの足跡になります。改めて振り返ってみても、運がとても重要だと感じています。ソフトウェアエンジニアというキャリアを選択したのも偶然ですし、カナダのポジションがたまたま空いていて、そのマネージャーに僕のメールが転送されたのもただの偶然でした。ただし、そうした偶然と出会い、そこから得られる狭いチャンスを拾って自分が思っていた道につなげられたのは、「海外に行きたい」と言い続けてずっとアンテナを張り、行動を続けたからこそでした。誰かが海外転籍したと聞けば即座に1on1で話を聞く、可能性の高い戦略に切り替えていく、いざ面接がいつ来てもいいように準備を重ねておく、こうしたことを繰り返していました。
次回は、英語をテーマにしたお話をしたいと思います。北米圏を考えた時に英語で仕事・生活ができることは必須ですが、新卒で海外で働きたいと思った時の僕は、ひとことも英会話はできませんでした。そこからどうやってスキルを上げていったのかについて今回と同じように僕の経験を共有させていただき、皆さんのお役に立てればと思います。
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