2023年8月1日
古今東西のスゴ本(すごい本)を探しまくり、読みまくる書評ブログ「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」の中の人。自分のアンテナだけを頼りにした閉鎖的な読書から、本を介して人とつながるスタイルへの変化と発見を、ブログに書き続けて10年以上。書評家の傍ら、エンジニア・PMとしても活動している。
わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
自信満々のITエンジニアって、あまり見かけない。優秀なエンジニアほど、謙虚に振舞う人が多く、自分が足りないものを意識し、それを補おうと努力し続けている。これは素晴らしい美徳なのだが、不足分を意識するあまり、自信を見失っているエンジニアもいるようにも思える。
ここでは、そうした自信喪失気味のITエンジニアに向けた本を紹介する。自分自身を信頼する技術を身につける本といっていい。悪い方、悪い方へ考えがちなメンタルを改善し、自分自身を信頼する技術を身につける本だ。
自信満々のITエンジニアって、あんまり見かけない。
凄い技術を持っているだけでなく、日々切磋琢磨して高水準を保ち続けているにも関わらず、「ちょっとできます」という。優秀なエンジニアであればあるほど、謙虚に振舞う人が多く、自分に足りないものを常に意識し、努力している。
むしろ、分かっていない人ほど「だいたい理解した」なんて言い出すので注意が必要だ。一説によると、「完全に理解した」とは、「製品を利用をするためのチュートリアルを完了できた」という意味で、「チョットデキル」とは「同じ製品を自分でも1からつくれる」というレベルらしい。エンジニアのエクストリームな謙虚さを示す妙例だろう。
ただ、自分の不足分を意識するあまり、自信を失っている人がいることも事実だ。どんどん新しい技術が生み出されるだけでなく、それまでの体系を一変させるようなアーキテクチャが導入され、自分が積み上げてきたものの隣に別の山脈があることに気づかされることもある。吸収するスピードが追いつかず、自信喪失している人もいる。
この自信喪失の罠は、エンジニアとして優秀で、技術習得に貪欲な人ほど陥りがちだと思う。そうでない人は、営業や、マネジメントに重心を移して、「ITエンジニア」ではない存在になる傾向がある。
この記事では、そんな人の力になる言葉を紹介する。次に、自分を信じる技術が身に着く書籍を紹介する。
まず、この言葉から。
いいか忘れんな。
お前を信じろ!おれが信じるお前でもない。
お前が信じる俺でもない。
お前が信じる、お前を信じろ!
絶体絶命の窮地に陥り、どうしてよいか分からない。これまで何とかやってこれたけれど、だからといって「いま」「ここ」でできるとは限らない。自分にできることはもう無い―――これは、そんな自己不信に陥っている主人公に向けられた言葉だ。
出どころはアニメ「天元突破グレンラガン」の生涯忘れることのない強烈なシーンだ。既にこの言葉を知っている人もいるだろう。だが、自分を信じることを、「完全に理解した」と言える人は少ない。自分を信じるということは、実は、とても難しいのだから。
今までの積み上げが無に帰るかもしれない。新しい状況には役に立たないかもしれない。様々な雑念や不安が押し寄せて、目の前のことに集中することができない――そんな自分を、殴ってでも目覚めさせてくれるのがエマソンの『自己信頼』だ。
self-relianceの言葉どおり、自分自身を頼みとし、拠所とする立場を強調する。自分を全能と見なすこととは違う。失敗することもあるし、間違えることもある。だが、それに気づいた自分を赦し、愛することになる。
だが、そうした心を妨げるものがあり、それは恐怖心だという。周囲の人の目を気にして、かつて自分が積み上げてきた行動の一貫性から外れたことをすると、どう見られるのだろうか? そうした不安が自分をすくみ上らせてしまう。
エマソンは、「人生とは生きるものであり、見世物ではない」と言い切る。すべきことは自分が関わることであり、他人が考えているものではない。だから、「おのれの外に探し求むるものなかれ」と戒め、「人生を先延ばしにせず、自分の人生を生きろ」と強く励ましてくる。
自分の考えを徹底的に信じて、付和雷同せず、自己をよりどころとして生きろ――どのページを開いても、強力なメッセージばかり並んでおり、その圧力は背中を押してくれる。
さらに、社会が規定する「善」や「良識」といった名目に惑わされるな、と説く。それが本当に「善」かどうかを『自分で』探求し、内なる声に従えという。善や悪は単なる呼び名にすぎず、簡単に他の言葉と置き換えられる。正しいものは、自分の本質に即したものだけであり、悪いものは自分の本質に反したものだと断定する。
この物言いに、説教臭さを感じるかもしれぬ。それもそのはず、エマソンは19世紀アメリカの説教師なのだから。
彼は、自分自身の直感を拠所として、人間の可能性を追求した超越主義者としても有名だ。ニーチェやソロー、ボードレールや福澤諭吉、宮沢賢治に影響を与え、最近ならオバマ前米大統領の座右の書として『自己信頼』が挙げられていたという。
同じ発想を、モハメド・アリの名言 ”impossible is nothing” に感じることができる。アディダスのCM「「不可能」なんて、ありえない。」で覚えている方もいるかもしれない。わたしのブログからの孫引きになるが、こんなセリフだ。
「不可能」とは、自らの力で世界を切り拓くことを放棄した臆病者の言葉だ。
「不可能」とは、現状に甘んじるための言い訳にすぎない。
「不可能」とは、事実ですらなく、単なる先入観だ。
「不可能」とは、誰かに決めつけられることではない。
「不可能」とは、通過点だ。
「不可能」なんて、ありえない。
「不可能」とは、可能性だ。
IMPOSSIBLE IS NOTHING.
「不可能」を決めるのは自分ではないし、ましてや誰かに決め付けられることでもない。やってみなければ分からない。
だが、それを「不可能だ」と線を引いて、そこから先に進まないための言い訳にしてしまうのはありえない、というメッセージである。
「天元突破グレンラガン」や『自己信頼』や自分を励まし、元気づけ、前を向かせてくれる言葉が溢れている。
明けない夜はないとか、出口のないトンネルは無いとか、あきらめずに頑張ればいつか夢はかなうとか。ポジティブにさせ、エナドリのように気分をブーストさせる名言だ。
だが、自信を喪失し、苦しんでいる時には、こうした言葉は眩しすぎる。
本当に辛く苦しく落ち込んでいるときに、「ポジティブでいれば幸せしかない」なんて言われても、逆に遠く感じてしまう。後ろ向きのときに前向きの言葉は似合わない。
そんな時には、辛さや苦しさを吐露した絶望的な言葉の方が心に沁みる。自分だけではなかったと慰められ、この気分に寄り添ってくれているように感じられる。
カフカ、ドストエフスキー、シェイクスピア、太宰治、芥川龍之介など、文豪たちが吐き出す絶望的な言葉を紹介したのがこれだ。文学作品は絶望名言の宝庫なのだが、そこから珠玉を引っ張り出す選球眼が素晴らしい。
例えばカフカのこれ。
将来にむかって歩くことは、
ぼくにはできません。将来にむかって
つまずくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、
倒れたままでいることです。
本書によると、これは婚約者へ送った手紙の一節だという。「いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」なんて苦笑を誘われるが、気の毒なのはカフカ自身なのかもしれぬ。極めて私的なメッセージが公開され、翻訳され、本にまでされているのだから。
けれども、そのおかげで私はこの言葉と出会えた。今は大丈夫かもしれないが、もし絶望の淵を彷徨うとき、この言葉を思い出すことができるのだから。
あるいはシェイクスピアのこれ。
不幸は、ひとりではやってこない。
群れをなしてやってくる。
『ハムレット』からの一節なのだが、あるあるすぎて首がもげる。弱り目に祟り目、泣きっ面にハチそのものだ。自信を失って落ち込んでいるときほど、それに追い打ちをかけるような悪いことが畳みかけてくる。
この言葉を知っていることで、連鎖する不幸に飲み込まれるのではなく、「群れをなしてやってきたんだ」と一歩引いて見ることになる。そこまで客観的になれるかどうかは分からないが、少なくとも、いったんこの言葉をバッファとして「不幸はコンボでやって来る」と受け止めることができるかもしれぬ。
本書は、Kindleと紙とあるが、紙版をお薦めする。本棚に物理的にモノとして存在し、「あそこにあの本がある」というだけで、結構な慰めになるだろうから。
そういう、お守りのようになってくれる一冊だ。
歴史に名を遺すような偉人たちの名言は高尚すぎる。そんな人にはこれをお薦めする。5ちゃんや twitter といった名無しのネット住民たちのネガティブな名言を集めたものだ。
あまりにそのものズバリすぎて、身も蓋もないセリフばかりで、ふと笑ってしまうものから、刺さりすぎて思わず真顔になってしまうものまで盛りだくさん。
ダメになりそうなとき
負けないこと
投げ出さないこと
逃げ出さないこと
信じ抜くことを大事にしたら
うつ病になりました。
まじそれな!と思う。私の主観かもしれないが、ITエンジニアやってる人は、責任感が強いと思う。自分の仕事をきちんとやり通すため、予め前提条件や達成条件を押さえ、そこにどうやって貢献できるかを慎重に考える人が多い。
そのため、いったん仕事がうまく回らなくなってくると、自分にできることの範囲を超えて、少しずつ重荷を背負うようになる。かかってくる負荷はわずかだが、それが積み重なっていくと、とんでもない負担になる。
それに気づかないまま、ある日突然、ポッキリ心が折れてしまう。これをラストストロー(last straw)という。日本語にすると「最後の藁」で、めちゃくちゃな重荷を背負わせたラクダの背骨を折るきっかけは、最後の藁クズ一本だという意味になる。
「責任感は自分の範囲で!」とチームに呼びかけているが、そんな私の言葉よりも、この名無しさんのセリフのほうがよく効いている。
もし凹んでいる自分に気づいたら、
叱咤激励は禁物だよ。
これは志茂田景樹さんがツイートした言葉。
他にも「劣等感はあって当たり前なんだよ。心の奥に置いて知られることにビクビクするのがいけないんだ」とか、「暗い性格なんてないよ、暗く考える習慣があるだけなんだ」など、優しい言葉が並んでいる。自分なんて……なんて思う時にこの言葉は効く。自分を追い込みがちな人に寄り添った言葉だと思う。
少し注意が必要なのは、かなり残酷な言葉も交ざっていること。例えばこれ。
やればできるは
成功者の言い分。
これは元陸上選手の為末大さんのツイートより。アスリートが成功するには、まずその肉体を持って生まれるかが99%であり、選ばれた人が努力を語っているというのだ。この発言に対し、「いま努力している人に失礼だ」といった批判が噴出するのだが、これに対し、「努力すれば夢は叶うというが、夢が叶わなかった場合、努力不足だと思ってしまう」と反論する。
身も蓋もないけれど、どこで諦めるか、諦める自分をどう救うのかも考えた上での言葉だろう。
「ITエンジニアのメンタルを守る4冊」でも述べたが、ITエンジニアは基本的に心配性だと思う。
うまくいく正常系なんて1~2割で、プログラムの大部分は準正常系か異常系になる。想定できるエラーをどう対処するか、想定外のことが起きたらどうやって扱うのかなど、「もし~だったらどうするか?」を考えるのがITエンジニアの腕の見せ所といっていい。
これがプログラムのことだけならまだしも、自分のキャリアのこととか、職場の人間関係についてだと厄介なことになる。もともとあれこれ心配するのがITエンジニアの性(さが)だから、悩みが自分に向けられると、手が付けられなくなる。
寝ても覚めても付きまとい、四六時中、頭から離れられなくなってしまう。
そういうとき、どうするか?
一冊の手帳を用いる方法は、「ITエンジニアのメンタルを守る4冊」に書いたが、これに『考えない練習』を付け加えたい。
その練習方法を一言で表すと、「考えるのではなく感じる」になる。ブルース・リーの “Don’t think, Feel(考えるな、感じろ)”に近いものがあるが、重要なのは、何を感じるかになる。
過去や未来について自分の頭であれこれ考えるのではなく、現在の自分の感覚を研ぎ澄ませることで、「今」に集中せよという。目・耳・鼻・舌・身の五感に能動的になり、そこに意識を向けるのだ。
例えば、「食べる」ひとつを取ってみてもこうする。まず、食器を持つ際、触った感覚を意識する。食物を口に入れたら、いったん箸をおき、目を閉じて、味覚に集中する。さらに咀嚼されていく食物のテクスチャ―と、それに追随する舌の動きに留意する。いま舌がどのような姿勢でいるのか、触覚を感じながら「食べる」というのだ。
「食べる」と一言で表せても、そこには沢山の感覚の束で成り立っている。他にも、「聞く」「見る」「話す」もそうだ。これら一つ一つ感覚をスライドさせながら集中する。本書は、「感覚に能動的になれ」とアドバイスする。つまり、「見えている」ではなく「見る」、「聞こえている」ではなく「聞く」といったように、自分から感覚を対象に向けるよう心がける。
過去でも未来でもなく、「いま」「ここ」に集中することで、「考えない」を実践する。これ、tumblr で見つけたブッダの言葉とシンクロする。
過去にとらわれるな
未来を夢見るな
現在の、この瞬間に集中しろDo not dwell in the past,
Do not dream of the future,
Concentrate the mind on the present moment.
最後は、わたしの取っておきを紹介する。
落ち込んだり、苦しんだりしたとき、私を支えてくれるのは言葉だった。誰かにかけられた同情の言葉もあるし、ネットで見つけた寸言だったこともあった。
そうした言葉をストックしておき、いざ再び自信を喪失したとき、「あそこにあんな言葉があった」と思い出す。ダメージが大きく、沈み込みが激しいときは、すぐに思い出せないこともある。そんな時は時間をかけてゆっくり浮上する。そのときの手がかりとなり、手すりとなるのが、言葉なのだ。
手帳に記したり、クラウド上のメモにストックした言葉を、折に触れて読み返していくと、ある一冊にたどり着く。それがマルクス・アウレリウス『自省録』だ。
ローマの皇帝であり哲人だ。蛮族の侵入や反乱の鎮圧のため、生涯のほとんどを戦場で過ごしたと言われる。わずかに得た自分の時間を瞑想と自省に費やし、メモの断片の形で記され残されたのが本書になる。
自身と向き合い、自分の思索を掘り下げているだけなのに、まるで私の内面を赤裸々に暴かれているような気にさせられる。思わず赤面したり、反発したり、頭を抱えたくなる寸鉄が、容赦なく刺さってくる(これは元気なときに読んでおくとよろしい)。
中でも特に惹きつけられる言葉には、傍線を引いたり書きこみをしておく。後で自分が見つけやすくするために。たった一行なのに、それが自分を支えてくれることがよくあった。
例えばこれ。
他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな。
まさにそれな、というしかない。他人と自分を比較したり、他人に言われたことを思い悩んだり、あるいは、他人からどう思われるかについてあれこれ想像したり、どれも無駄なことだ。自分にとってどうでも良いもの、苦手なものをわざわざ思い起こし、考えていくうちに、自分が持っているうちで最も大事なもの――いまという時間――を失うのは愚の骨頂だ。自分より能力の高い人に比べて「自分はダメだ」と思い悩むときにこのページに助けられた。
君がなにか外的な理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ。ところがその判断は君の考え一つでたちまち抹殺してしまうことができる。
自信を喪失させているのは、そうさせている「なにか」ではなく、そう感じさせている自分自身なんだ、という事が分かる。自分でなんとかできるものは自分で打開すればいい。そして、自分ではどうしようもできないことは、悩んでも仕方ない。
この考え方は、「悩めるエンジニアに新たな考え方をもたらす6冊」で紹介したギリシャの哲学者エピクテトスに通じるものがある。それもそのはず、マルクス・アウレリウスの愛読書は、エピクテトスの『語録』なのだから。
既に起きてしまった過去は、変えようがない。そして、これから起きる未来はどうしようもない。しかし、過去や未来に関する、現在の自分の感情はなんとかできるかもしれない。だから今に集中せよ、という思想だ。これ、先ほど述べたブルース・リーやブッダにも通じる考えだ。
ややもすると自信を失いがちなITエンジニアに、自分を信じるための言葉として、様々な格言や寸言を紹介してきた。誰から見ても名言と言えるものから、限られた人にだけ深く刺さる迷言まで取り揃えてきた。
『自己信頼』は、ド直球に自分を信じろと断言する。他人の目なんかどうでもいい、自分自身の心を見据えた上で、それでもGOなら迷わず進めという。できる/できないを決めるのは他人でも社会でもない、まぎれもなく自分自身なのだからと背中を押してくれる。
『絶望名言』は、そんな直球が眩しすぎる人にお薦め。辛く苦しく落ち込んでいるとき、寄り添ってくれる絶望的な言葉ばかりだ。そこに、他人の不幸を喜ぶ感情「シャーデンフロイデ」を感じるか、自分の事でなくてよかったと安心するか、あるいは、未来の絶望を予習するかは、あなた次第だ。
『後ろ向き名言』は、『絶望名言』が高尚すぎる人にお薦め。『絶望名言』がハイカルチャーな絶望を扱っている一方、『後ろ向き名言』はサブカルチャーな苦悩が集まっている。読み比べると、偉人も庶民も似たような絶望を味わっていることに気づき、親近感を抱くだろう。
『考えない練習』は、悩みに振り回されず、イライラを手放すために「感じる」ことに特化する練習法が書いてある。そもそも悩みとは、変えようのない過去や未来についての現在の自分の思いになる。だから、今の感覚に意識を集中することで、「過去や未来への思い」を上書きしてしまえばいい、というメソッドだ。
『自省録』は、私が一番お薦めしたい一冊だ。この記事ではキレイな言葉を並べたけれど、わりと激しい自己嫌悪や罵り言葉も並んでいる(そういうのも込みで魅力的だ)。探すように読むことで、あなたを支える言葉はきっと見つかる。
計5冊、ちょっとキツいセリフも混じってはいるが、いくつか手にして、しっくりくるものを選んでほしい。こうした言葉は、元気なうちに眺めておいて、いざというときに「あれがあったなぁ」と思い出すもの。お守りのような、保険のような、あなたを支える一冊を選んで欲しい。
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