株式会社テトラフェイス 代表取締役
水野 修(みずの・おさむ)
1977年生まれ。2000年に大阪大学工学部を卒業後、ソフトウェア開発ベンチャーや、富士フイルムメディカル株式会社における医療用の3D画像診断ワークステーション等の開発に従事。その傍ら、1999年に個人開発にて3DCGモデリングソフトウェア「Metasequoia」をリリース。2012年に独立し、株式会社テトラフェイスを設立。「バスde登山」など趣味の個人開発アプリも手がける。
1999年の初版リリース以来、日本の3DCG文化の裾野を支え続けてきた、Metasequoia(メタセコイア)」というモデリングソフトがあります。
無料版や数千円~約2万円の有料ライセンス(※)と、直感的なインターフェース。初心者でも扱いやすいことから、同人ゲームのキャラクター制作や、ニコニコ動画における「MikuMikuDance(MMD)」のモデル改変、教育機関での利用など、無数のクリエイターにとっての「3D制作の原体験」を生み出してきました。
しかし昨今では、オープンソースで多機能な「Blender」をはじめとする強力なツールの普及により、3D制作を取り巻く環境はかつてと比べ一変しています。
そんな中、Metasequoiaも大きな転換を迎えます。2024年9月、開発元の株式会社テトラフェイスは、主力のStandard版において有償で提供していた多くの機能を無償化し、有料の上位エディションでも大幅な値下げを断行しました。
その背景について、開発者の水野修さんは「PCやソフトウェア業界、そして3D界隈もだいぶ様変わりしました。今回はそういった趨勢に鑑みての一つの方針変更となります」「平たく言うと、世の中無料のもの溢れすぎなんで、変化もしていかないと」と当時のX(旧Twitter)上で率直な思いをつづっています。
この時語っていた時代の変化とは、一体何を意味するのか。そして、そもそもなぜMetasequoiaは生まれ、四半世紀もの間、開発が続いてきたのでしょうか。水野さんに話を聞きました。
「ちょい足し」を重ねた先で3Dモデリングソフトに
――1999年に個人開発として「Metasequoia」をリリースしました。どのような経緯で、3Dソフトの開発を始めたのでしょうか。
水野:最初から本格的な3Dモデリングソフトをつくろうと考えていたわけではないんです。
水野:まず、プログラミング自体には小学生の頃から、NECの「PC-9800」を通して趣味で触れていました。その後、90年代の半ば頃になると、セガサターンやPlayStationといったゲーム機が登場し、映画でも最先端の映像技術を使った『ジュラシック・パーク』が公開されるなど、世の中で急激に3DCGが身近なものになっていきました。
そうした流れで、自分も3D技術に興味を抱きました。
3D制作といえばシリコングラフィックス社の数百万するような専用ワークステーションなんかが必要だったところ、徐々にWindows PC向けソフトも出始めて、その裾野は「パソコンに加え、数十万円のソフトウェアを買えば済む」というレベルにまで広がっていきました。
……とはいえ「いち学生がうん十万円も払えますか?」と。「じゃあ自分でつくればいいんじゃないか」と考えたのが最初のきっかけです。
――とはいえ、いきなり3Dソフトをつくり上げるのは相当な労力なのでは?
水野:ええ。
ただ、当時の自分が一番面白いと感じていたのは、粗いカクカクのポリゴンモデルに計算処理をかけて、滑らかな曲面にする技術でした。今で言う「サブディビジョンサーフェス」ですね。当時は「LightWave」というソフトに「MetaNURBS」という機能があるくらいで、他に実装しているソフトはほとんどなかったように記憶しています。
それを手元で再現しようとして生まれたソフトが、Metasequoiaの原型です。
――曲面化のアルゴリズムという、ごく一部の技術的な興味が出発点だったのですね。それがなぜ、ポリゴンを一から編集できる総合的なモデラーへと発展していったのでしょうか。
水野:やっぱり、少し機能ができると、「もうちょっと付け足したい」という欲が出るんですよね。
最初はプログラム上で頂点を配置して動かすだけのものだったのが、面を押し出せるようにしたり、変形機能を入れたりしていくうちに、徐々に形になっていきました。
そして、当時のインターネット上にあった「Studio MOMO」という、CGクリエイターが集まるBBS(電子掲示板)で、「こんなものをつくってみたので試してください」とベータ版を公開してみたんです。すると、予想以上に色々な方が食いついてくれて、実際に使った上での要望やフィードバックがメールなどで直接届くようになりました。
「こういう機能が欲しい」と言われて、「まあ、それならそこまで難しくないし、実装してみようか」とさらに機能を追加していくうち、気がつけば1999年、Ver1.0をリリースする頃には、モデリングに必要な基本機能が一式揃ったソフトウェアになっていました。
――当時の一般的なパソコンは、メインメモリが64MB程度しかなかったと記憶しています。そのような環境下で、複雑な3D処理を軽快に動かすのに、技術的な壁はなかったのでしょうか。
水野:ハードウェアへの最適化という点では、時代背景に助けられた部分が大きいです。
初期の頃はCPUだけで計算するソフトウェアレンダリングも組んでいましたが、1999年ごろになると、マイクロソフトが提供する「DirectX 5」が広く普及していました。同時に、NVIDIAの「RIVA 128」のような、比較的安価な3D描画用のグラフィックチップが2万円台で買えるようになってきたんです。
これらを利用すれば、特別な技術を使わなくても、OSの標準的な機能を通してハードウェアのパワーを引き出し、3Dの面をリアルタイムに表示させることが可能になりました。
ただ、本当に苦労したのは、性能そのものよりも「互換性」の問題です。当時はメーカーごとにドライバーの品質が今以上にバラバラで、あるグラフィックボードでは正常に動くのに、別のメーカーのものを挿すと画面が真っ暗になる、といったトラブルが頻発しました。
――3D技術そのものというより、環境ごとに生じる不具合が壁だった。
水野:なので、テスト環境を揃える必要があったのです。
そこで、最初は完全無料で公開していましたが、正式にVer1.0をリリースするタイミングで、5000円(当時)のシェアウェアとして販売を開始しました。
検証用に違うメーカーのグラフィックボードを買ったり、あるいはMetasequoiaでつくったモデルデータを読み込んでアニメーション等をつける次工程の3Dソフトを購入し、動作テストしたりするために、です。それが、シェアウェアとなった大元の経緯です。
――それにしても、あくまでサブディビジョンサーフェスという限られた機能を目的としたツールだったのが、最終的に本格的な3Dモデリングソフトに発展したのですよね。当時、どのような感慨を抱かれましたか?
水野:うーん、どうでしょうね。自分としては、都度「できそうだからやった」ことを積み上げただけ、という感覚が強いです。
Blenderの存在は「気にしていない」
――Metasequoiaは、初心者にも非常に扱いやすい操作性が特徴です。機能を追加していく中で、ソフトウェアの設計やインターフェースにおいて、明確にこだわってきた部分はありますか?
水野:常に意識していたのは、「初心者のための入り口であること」です。
私は画面上にボタンを無数に並べることを極力避けました。
3Dソフトはどうしても操作が複雑になりがちです。例えば、100個のボタンを並べれば、100個の機能が直感的に呼び出せるでしょう。
しかし、初めてソフトを開いた人はその画面を見ただけで面食らってしまいます。それよりも、10個の基本ボタン同士を組み合わせることで100通りの表現ができるような、引き算のような設計を目指しました。
それで、通常のモデリングモードとは別に「初心者モード」という、必要最小限の機能だけを表示するインターフェースも用意しています。
こうした、初心者が挫折しないための入り口がないと、3Dの世界に新しい人が入ってきませんから。
――操作体系そのものは、どのようなツールを参考に設計されたのでしょうか。
水野:実のところ、参考にしたのは他の3Dソフトではなく、2Dのグラフィックソフトである「Adobe Illustrator」や「Photoshop」です。
当時のプロ向けの3Dソフトは、マウスすらなかったワークステーション時代の名残なのか、独自の難解な操作を要求されることが多かったんです。
一方で、2Dのソフトはすでに「こういう操作が使いやすい」というベストプラクティスがある程度固まっていました。
だから、左側にツールボックスを配置するなど、2Dソフトの使い慣れた感覚をベースにして、そこに「Z軸の奥行き」を持たせるようなアプローチで操作体系を構築していきました。
――逆に、あえて「手を出さなかった」領域はありますか。
水野:モデリング以外の工程でしょうか。つまり、アニメーションを付けたり、高度なレンダリングを行ったりする機能には、意図的に深くは踏み込みませんでした。
まず、個人の開発リソースとして、すべてをひとつのソフトに詰め込むオールインワンの構成は現実的に不可能です。
加えて、私自身の興味が基本的には「プラモデルのように組み立てて、形をつくる」という造形の部分にしかなく、キャラクターを滑らかに動かすアニメーションにはあまり関心がなかったというのも大きいです。
実際、3Dを趣味で始めるユーザーを見ても、モデリングで力尽きてしまう人が大半で、ボーンを仕込んでウェイトを塗り、カメラワークまで設定してアニメーションをつくり上げられる人は、才能と情熱を持ったごく一部の限られた人たちだけだと感じます。
ですから、Metasequoiaはあくまで形をつくることに特化し、最低限、骨組みを入れる(ボーンとウェイト)ところまでをサポートしたら、「具体的にどう動かすかについては、他所の専用ソフトに任せる」という方針をずっと維持してきました。
――では、長年の開発を通して、ユーザーの用途はどのように変化していったと感じますか? 例えば、2000年代後半にはMMD(MikuMikuDance)のブームなどもありましたが。
水野:MMDのために購入したとコメントをくださる方は確かにいらっしゃいましたね。同人ゲームのMod(改造データ)作成に使われることもあったかと思います。
ただ、私自身としては、何かひとつのトレンドがユーザー層を支配したという感覚は持っていません。
それよりは建築分野におけるパース図の作成や、大学の研究室でのシミュレーション用など、「ちょっとした3Dデータが必要」という様々な分野で幅広く、バラバラに使われてきたという印象の方が強いです。
――その後、2012年に入ると、水野さんはテトラフェイス社を設立して独立し、翌年には現在も開発が続く「Metasequoia 4」をリリースします。この時期、何か心境の変化があったのでしょうか。
水野:もともと、私は本業として医療分野のシステム開発企業に勤めており、CTやMRIのデータから人体の輪切り画像を3D化するワークステーションをつくっていました。
そうしたプロジェクトが自分の中で一段落し、達成感を得たタイミングで、世の中に十万円台で買える低価格な3Dプリンターが普及し始めました。
これなら、画面の中だけでなく、現実の造形物としてモデリングの新しいニーズが生まれるかもしれないと考え、独立を決意したのです。
――ただ2010年代以降、オープンソースの「Blender」が機能拡張を続け、日本でも個人にとっての標準ツールとして台頭してきました。不躾ながらお聞きしたいのですが、こうした動きはどのように感じていましたか?
水野:あんまりそこは、気にはしなかったですね。
Blender自体はずっと昔からあるソフトですし、モデリングからアニメーションまで何でもこなせる非常に本格的な統合ツールです。ただあれは、プロフェッショナルを目指す人や、相当に気合が入った人が腰を据えて覚えるためのツールだと思うのです。あれほど膨大な機能を覚える時間を確保できる初心者も、そう多くはないでしょう。
ですから、Blenderが難しいと感じる人にとっての「入り口」としてMetasequoiaが存在すればよく、本格的な機能を求めるなら、Blenderを使えばいい。そのように捉えています。
AIが変えた世界における次のテーマ
――他方で、2024年9月には、主力のMetasequoia4 Standard版にて有償で提供していた多くの機能を無償化し、上位エディションのEX版でも2万350円から1万2,100円に値下げするとの大きな方針転換をされました。当時のXでの、「世の中無料のもの溢れすぎなんで、変化もしていかないと」という発言の真意を教えてください。
水野:あの言葉は、実のところ、Blenderへの対抗策という意味合いよりは、生成AIの台頭に対する現状認識から出たものです。
近年、プロンプトにテキストを打ち込むだけで、かなり精度の高い3Dモデルが自動生成されるサービスが登場してきました。
もちろん、AIが出力したモデルの寸法を正確に直したり、細かいディテールを修正したりするニーズは確実に残りますから、ポリゴンを編集するソフト自体が不要になるわけではないでしょう。
しかし「頂点をひとつひとつ打ち、すべての形を自分でモデリングする人」は、今後はそんなに増えないだろうな、と考えたのです。
ゼロからつくるユーザー層が根本的に拡大しないのであれば、従来のような価格設定で個人向けの汎用モデリングソフトをビジネスのメインとして維持し続けるというのは、ちょっとどうかな、もうそういう時代ではなくなったな、と。
――長年育ててきたソフトウェアを事業の中心から外すことに、寂しさや抵抗感はなかったのでしょうか。
水野:それは、別に感じていません。
――そのような所感なのですか。
水野:ええ。時代が変わったのなら、また新しいテーマに取り組めばいいだけですから。
水野:決して、Metasequoiaに取り組んできたことが無駄になったわけではありません。むしろ、数十年間で培ってきた3Dの技術やノウハウは、今の仕事に生きていると思います。
もちろん「もう過去のものだから」とMetasequoiaを放置するわけでもありませんが。
――現在の株式会社テトラフェイスとしての「メイン」の事業は何なのでしょうか。
水野:現在、一番大きいのは特注でのシステム開発です。中でも一番力を入れているのが、歯科矯正の分野です。
患者さんの歯型を3Dスキャナーで読み取り、そのデータを元に3Dプリンターを使って、形の異なるマウスピースを作成しながら、少しずつ歯を動かしていく治療法があります。
この一連の工程において、3Dデータを処理するソフトウェアの開発を行っています。
――そのような需要が。「3Dソフトの専門技術」と「医療のドメイン知識」というのは、まさしく水野さんがずっと経験してきた分野のノウハウが今に生きている感じがしますね。
水野:ええ。これは現時点だと、一般的なAIには簡単に代替できない領域でもあります。一般的な3Dキャラクターなどであれば、ネット上に学習データが溢れているためAI活用のハードルは高くありません。
他方、医療などの専門分野のデータはクローズドであり、AIが学習できるだけのオープンな情報が十分ではないので、実際の治療現場で実用レベルとして稼働するシステムを構築するためには、3Dソフト側のプログラミング技術と医療ドメインの知識の両方が必要となります。
――では、Metasequoiaというソフトウェアの今後の役割は、どのようにお考えですか。
水野:モデリングという趣味自体は消えないと思っています。
単純に成形の過程を楽しむという意味では、AIで一瞬で出力するのではなく「自分で頂点を操作して形を組み上げる」という面白さは、今後も残るのではないかと。2Dの世界で、あえてドット絵を打つ文化が残っているのと同じですね。
また、3Dの仕組みをポリゴンという基礎から理解するための教育用途としての価値も、しばらく残るのではないかと思います。実際今でも高校や、大学の情報演習室向けにライセンスを購入していただくケースがあります。
――今後のMetasequoiaにおいて、何か長期的に成し遂げたい目標のようなものは、ありますか。
水野:特にありません。
さらに言うと、特注開発のようなビジネスとしてのスタンスにおいても、長期的に掲げる目標が存在するのではなく、その時々で、世の中から求められたり、自分が必要だと感じたりした技術に向き合って、やるべきことをやるだけです。
強いて言えば、最近は空間を点群データとして丸ごとキャプチャーする「ガウシアンスプラッティング」という技術に関心を持っています。ポリゴンとは違うアプローチですが、頂点という基本単位を扱う点では共通しています。これをどう活用できるか、今は個人的に色々と試行錯誤しているところですね。それをMetasequoiaに組み込む構想があるわけでもなく、あくまで切り離した技術としての興味ですが。
――では改めてお聞きしたいのですが、時代が変化して立ち位置が変わった今もなお、Metasequoiaの開発を続ける一番のモチベーションはどこにあるのでしょうか。
水野:結局のところ、「自分自身が使うから」ですね。
例えば現在だと、医療関係のソフト開発を行っている際に、3Dデータが正しく出力されているかを確認するビューワーとして、やっぱり自分のつくったソフトが一番手軽で使いやすいんですよ。
だから、今後も自分で必要になった機能が出てきたら、付け足していきます。ユーザーがそれを喜ぶかどうかは分かりませんが……。でも、自分に必要だったら、付けます。
取材・執筆:田村 今人
編集:王 雨舟
撮影:曽川 拓哉