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芝浦工業大学システム理工学部 教授

小山 友介

1973年生まれ。京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。東京工業大学助教などを経て現職。専門は進化経済学・コンテンツ産業論・社会情報学。著書『日本デジタルゲーム産業史』(人文書院)で2017年社会情報学会優秀文献賞を受賞。

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公園に持ち寄り、友人たちと遊んだゲームボーイ。移動時間のお供だったニンテンドーDSやPSP(PlayStation Portable)……。そんな記憶を持つ方も少なくないでしょう。

しかし、街中で携帯型ゲーム機を見ることは少なくなったように感じられます。1990年代から2000年代前半にかけては次々と新しいハードが登場した携帯型ゲーム機の市場が、下火になったようにも見えますが、なぜそのような状況になったのでしょうか。

そんな問いに答えてくれたのが、ゲーム産業を中心としたコンテンツ産業論や社会情報学を専門とし、『日本デジタルゲーム産業史』などの著書を持つ、芝浦工業大学システム理工学部教授の小山友介さんです。

小山さんは、ゲームハードビジネスを「ギャンブルのようなもの」と表現します。その言葉の裏にあるのは、そもそも莫大な先行投資が必要であり、市場に定着するエコシステムを築けなければ大きな赤字を抱えかねないという、極めてシビアな事業構造です。

では、ニンテンドーDSやPSPなど、携帯型ゲーム機の黄金期を彩ったハードは、なぜその過酷な市場において栄華を極めることができたのでしょうか。

そして、各社が独自のハードを展開ししのぎを削った「携帯型ゲーム機」というカテゴリの市場が、かつてのような熱狂を取り戻すことはあるのでしょうか。小山さんに、産業史とビジネス構造の観点から分析をお聞きしました。

ハード事業の過酷な現実

——1990年代から2000年代前半にかけて、さまざまな携帯型ゲーム機が発売されました。しかしその後は話題を集めるハード自体が少なくなり、かつての熱狂が落ち着いたように感じられます。なぜなのでしょうか。

小山:そもそも携帯型に限らず、ゲームハードを開発して売るというビジネス自体が、ギャンブルに近いほどリスクの高いものなんです。

——ギャンブル、ですか?

小山:当たれば凄まじく儲かる。しかし失敗すれば、3桁億円、4桁億円の損失もあり得る。そんなビジネスです。

基本的にゲームハードは、販売価格と製造原価があまり変わらない状態で、あるいは赤字で出荷されます。本体を普及させるためにハードウェア自体は利益を度外視して安価に販売し、その後、自社ソフトの販売やサードパーティからのライセンス料で利益を回収するというビジネスモデルが古くから採られてきたのです。

たとえばPlayStation3(以下、PS3)の発売当初の価格は6万円ほどでしたが、それでも1台ごとにおよそ2万円ほどの赤字が生まれていたといわれています。

ただ、思うように売上は伸びず、発売元のソニー・コンピューターエンタテインメント(以下、SCE。現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント)は、特定の機能を外した廉価版を発売するなどさまざまな工夫を行いました。ですが完全に軌道に乗せることはできず、業績に大きな打撃を受けることになりました。

また、ドリームキャストで振るわずハード事業から撤退したセガ・エンタープライゼス(現・セガ)は、当時会長を務めていた大川功氏(故人)から850億円もの個人資産の寄付を受けています。

アップサイドも大きいですが、失敗すれば巨額の損失につながり得る。ゲームハードビジネスはリスキーで、資金的な体力も必要なため、参入すること自体が難しいビジネスだといえるでしょう。

——とはいえ、据え置き型では複数のメーカーから、断続的に新作が登場していますよね。持ち運びに特化したハードが下火になったのはなぜなのでしょうか。

小山:ではまず、携帯型ゲーム機の歴史を軽く振り返ってみましょう。

ソフトを交換して遊ぶ汎用的なプラットフォームとして、商業的に確固たる市場を築いた最初の携帯型ゲーム機と私が捉えているのは、1989年に発売されたゲームボーイです。厳密には、あらかじめソフトが内蔵された「ゲーム&ウオッチ」のようなヒット例はそれ以前にも存在しましたが。

ゲームボーイの画像
▲ゲームボーイ 画像出典:Wikimedia Commons(Evan-Amos)

小山:ゲームボーイの当時の主な顧客は小学生をはじめとする低年齢層。テレビの前で遊んでいると親に怒られるけれど、ゲームボーイならば、懐中電灯を使うなどすると、布団の中でも遊べる。また、友達同士で持ち寄って外で遊べる。こうした需要があったようです。

しかし、1994年にPlayStationが発売されて人気を博していた頃、ゲームボーイは徐々に売れなくなっていました。もはや、終売が視野に入っていたともいわれています。

ところが、あるソフトの発売によって、ゲームボーイは大復活を遂げることになります。

『ポケットモンスター』(以下、ポケモン)です。

——1996年に発売されたポケモンが、再度ゲームボーイを盛り上げた、との見立てなのですね。

小山:はい。その人気は、1998年発売のゲームボーイカラー、そして2001年発売のゲームボーイアドバンスまで続きます。

そのゲームボーイアドバンスの登場から3年後、SCEが市場に送り込んだのがPSPです。そして、PSP登場の報を受けて発売を前倒ししたといわれるのが、ニンテンドーDS(以下、DS)ですね。この2つのハードは、どちらも2004年12月に発売されています。それから数年間が、携帯型ゲーム機の「黄金時代」といえます。

黄金時代が到来した理由の一端は、2006年に発売されたPS3にあると私は考えています。高性能を追求したPS3では、ソフトの開発難易度と開発費が一気に跳ね上がり、ソフト会社が簡単にはゲームをつくれなくなりました。いわゆる「トリプルA」タイトルともなれば、当時でも10億円を超える開発費が必要でした。それに比べて、携帯型ゲーム機向けかつ小規模なタイトルなら、数千万円程度でも開発できる。ソフト会社にとって、かなり現実的な選択肢だったわけです。

すると、元々は据え置き機でリリースされていた人気IPの続編がDSやPSPで発売されるようになり、売上規模でも販売本数でも、携帯型ゲーム機が据え置き型を上回る時期が数年間続きました。

——しかし、黄金時代には次第に暗雲が?

小山: そうですね。次世代ハードのニンテンドー3DS(以下、3DS)とPlayStation Vita(以下、Vita)はそれぞれ2011年に発売されていますが、いずれも商業的にはそれまでのような成功とまではなりませんでした。

たとえば3DSは2万5,000円で発売されたものの、半年で1万5,000円にまで値下げする事態になっています。販売実績も公式に発表されていますが、DSが1億5,402万台であったところ、3DSは7,594万台です。

ただ、これは「人気が落ちた」というより、「特需が終わった」と言った方が正確なのだと思います。ゲームボーイや、DSやPSPまでの時代が特別だっただけなんですよ。

もとより、携帯型ゲーム機は、DSやPSPほどの成功は収められないことがほとんどです。

たとえば1990年、セガはゲームボーイの対抗馬として「ゲームギア」を発売しました。主に海外である程度の売上を記録したものの、日本ではゲームボーイを脅かすには至らず、後続機は——2020年に発売30周年記念の「ゲームギアミクロ」こそ出ましたが——発売されていません。また、1998年にはSNKが「ネオジオポケット」を、1999年にはバンダイが「ワンダースワン」を発売していますが、同様に次世代機へとつながるような市場は築かなかった。

ゲームギアの画像
▲ゲームギア 画像出典:Wikimedia Commons(Evan-Amos)

——つまり、後継機が出るほどの人気を博さないのが当たり前で、任天堂とSCEがむしろ「例外」だったのでしょうか。

小山: そのような見方の方が正しいように思います。

では、なぜ任天堂とSCEが、携帯型ゲーム機ビジネスにおいて成功を収めたのか。

これは「鶏が先か卵が先か」みたいな話になってしまうのですが……。

――というと?

小山:ゲームハード機というのは、 「人気があるゲーム」が登場することで、売れる。そのように私は考えています。

しかし普通に考えると、ハード自体がある程度普及していなければ、ソフト会社は高額な開発費を投じてまで、そのハード向けにゲームをつくろうとはしません。

魅力的なソフトがないからハードが売れない、ハードが普及していないからソフトが出ない。その意味で「鶏と卵」の関係であり、これもまたプラットフォームビジネスの参入障壁でもあります。

そこにおいて、任天堂は特に強力なIPをすでに持っていたからこそ、次々と人気タイトルをゲームボーイシリーズ向けに投入できました。セガも自社で良質なソフトをつくれるからこそ、ゲームギアにおいて善戦したと私は捉えています。

ソニーグループの場合、自社IPの総合的な認知度においては、任天堂に一歩譲っていました。そのためか、DSとPSPを比較すると、出だしで後者は後れを取りました。

それでもPSPが一定の成功を収めたのは、先ほど触れたPS3の影響だと考えています。PS3向けソフトの開発費が上がったなかで、それまで各ソフト会社が手掛けていた人気シリーズの続編やスピンオフを、開発費を安価に抑えられるPSP向けに開発する流れが生まれました。

結果として、リッチなゲーム体験を求めるゲーマー層にとっても魅力的なソフトラインナップが形成され、これがPSPに多くのプレイヤーを呼び込む原動力になったと捉えています。

「Switchは3DSの後継機」

——携帯型ゲーム機市場のその後についてお聞かせください。

小山: これは言わずもがなですが、やはりスマホの影響は大きいものでした。日本でiPhone 3Gが発売されたのが2008年。その頃から、携帯型ゲーム機市場には陰りが見えてきました。

もともと携帯型ゲーム機は、基本的に据え置き型の次に購入する「2台目」という立ち位置でした。端的に言えば、その「2台目」のポジションをスマホに取られてしまった、というのが私の認識です。

スマホは日常的に使用するものですから、みなさんある程度のコストを払ってでも買うじゃないですか。そのスマホでも、ある程度面白いゲームができるようになったことで、数万円する携帯型ゲーム機を別途買う、との選択をとらなくなる人が増えたのだと思います。

以降、主にコアなファンが据え置き機やPCでゲームをプレイし、ライト層はスマホで楽しむという図式が続きます。

そこに割って入ったのが、2017年に登場したNintendo Switch(以下、Switch)です。

——Switchは据え置き型でありつつ、携帯モードでも遊べるという独自のポジションを取っていますよね。

小山: そうですね。 私は個人的に、Switchは3DSの後継機だと思っています。つまり、任天堂の携帯型ゲーム機の系譜に連なるハードだと。

そもそも任天堂はWiiの頃から、他社がしばしばとる、最新鋭の技術を投じてハイエンドな体験を追求する路線とは異なり、ゲーム機としての純粋なハイスペックさを全面に掲げて戦っているわけではありません。ライトな層を念頭に置いていると思われるハードづくりをしており、Switchもその路線を踏襲していると私は見ています。

そしてマシンスペックが高すぎないぶん、ソフトの開発費を抑えられますし、省電力化によって携帯モードとして持ち出せる仕様にもできた。リリース時のCMから、みんなで遊ぶ姿や持ち運びやすさを強調していましたし、長らく携帯型ゲーム機で本編シリーズを展開してきた『ポケットモンスター』の完全新作も、Switch向けに発売されています。

何より、2019年には携帯プレイに特化した「Nintendo Switch Lite」が発売されました。

そういった意味で私は3DSの後継機だとみています。

——では、Switchが携帯型ゲーム機の系譜であるとするならば、大きな成功を収めた要因はどこにあるのでしょうか。

小山:ソフトとハードウェアの原価を上げすぎず、それでいてゲーム好きが無視できないクオリティのソフトを自前で出せたことが大きいと思います。

さらに任天堂は、2013年に据え置き機と携帯機のハード開発部門を「統合開発本部」へ一本化し、2015年にはシステム開発本部と統合され、技術開発本部 となりました。こうして、リソースをSwitchに集中させたことも、成功の要因の一つでしょう。

「持ち運びに特化した、純粋な携帯型ゲーム機」というコンセプトの行方は

——では、かつてのように複数のメーカーから専用ハードが登場し、市場が再び盛り上がる可能性はあるとお考えですか?

小山:ご存じのように2025年に発売されたSwitch 2の他に、現在もPCゲームを持ち運んで遊べる「Steam Deck」や、ASUSなどが展開している携帯型のゲーミングPCといったデバイスは存在しており、一定の需要を集めています。個人的には、Switch 2の「Lite」版も今後出てくるのではないかと予想しています。

しかし、往年のDSやPSPのように、純粋な「携帯に特化したゲーム専用機」が複数機種において、世界中で億単位で普及するような時代が再び来るとは、少し考えづらいかもしれません。

かつてのように通勤電車の中や街中の公園で、専用機を取り出して遊んでいる人の姿を見る機会もすっかり少なくなったように思います。

外での隙間時間に触る娯楽としての立ち位置はすでにスマホに占拠されていますし、新たな専用機を割り込ませる余地は小さくなっています。

——では、もし再び携帯型ゲーム機が独自のカテゴリとして脚光を浴び、複数のメーカーがしのぎを削るような黄金期が訪れるとすれば、何が必要になるのでしょうか。

小山: うーん……。 そもそも大前提として、特定の用途のみに特化した「専用機」が生き残り続けるというのは、非常に難しいことなんです。古くはワープロがPCに、ポータブルオーディオやデジタルカメラがスマホに立ち位置を奪われた歴史がありますよね。

さまざまな機能がスマホやPCに統合されていく中で、ゲームに特化した家庭用ゲーム機は、むしろ「専用機」として、驚くほど長く生き残っている特異なジャンルだと言えます。

その上でまた、かつてのように爆発的な市場を築く携帯型ゲーム機が生まれるとしたら……。

任天堂の元社長である山内溥さんはかつて、「ハードというのは、どうしても遊びたい『ソフト』を遊ぶために仕方なく買うもの」という趣旨の言葉を語ったとされています。山内さんの言った通り、ハード単体のスペックや利便性だけで、巨大な市場はつくりづらいのだと思います。

もし次に新たな携帯型ゲーム機がブームを起こすとしたら、どんなゲームデザインになるかは私にも想像がつきません。ただ強いて言うならば、そのゲームハードにはきっと、かつての初期の『ポケットモンスター』のように、「どうしてもそのハードじゃないと遊べない」「そのハードで集まらなければ絶対に体験できない」という、圧倒的な魅力を持ったキラータイトルが登場しているのでしょうね。

デバイスの形がどう変化しようと、ゲームの歴史はいつの時代も、そうした「絶対に遊びたいソフト」が切り拓いていくのだと思います。

取材:鷲尾 諒太郎、田村 今人
執筆:鷲尾 諒太郎
編集:田村 今人